手紙 | ナノ
 



「…あれ、乱歩さん。何をそんなににやけているんだい?」
「え、僕笑っていた?」
「そりゃあもう。至福の時を過ごしているかのようだったけどねェ」

 初夏の季節。一通の手紙が乱歩の元へと届いた。
 綺麗な白い便箋にしっかりと包まれて海を越えて渡ってきたそれは、少しだけ物量が多くて大層読み応えのある品物であった。
 面倒事が嫌いで派手なものが好きな乱歩にとってちまちま本を読み文字を追いかけるのは退屈で苦痛な仕事である。
 それでも、そんな苦痛な作業を乱歩は終えていたのだ。

「与謝野さん、何か紙があるかな?」
「紙?何でも良いなら真っ白な紙を持っていた様な気がするよ。一寸待って」

 そう云うと、乱歩の要求通りの用紙を何枚か自身の活用している机の引き出しから取り出してくれた。
 それを乱歩は持ち上げて見つめると、「ふむ」と一人で納得をしていた。与謝野も彼が何を目的としてその紙を欲しているのか判りはしなかったが、そんな彼の性格を随分と前から知っている為、これ以上何も問うことも無く、離れて彼を一人にさせた。
 とっくに一人の世界に入り込んでいた乱歩は与謝野が離れたなど気づく筈も無く、真っ白な紙には自身の思い描いているものを既に形にしようと試みていた。

『乱歩君、お元気ですか』

 安直な言葉から始まる大量の紙は、ポオからの手紙であった。
 彼が日本へ来訪して帰国した数日後から、乱歩とポオは文通を始めていた。
 当初は、乱歩も面倒に感じており、返事こそしろと福沢から指摘されてしまったので渋々書いていた。

『…今日は、大きなイベントごとがあるというのだが、我輩はただ窓から眺めていただけであった。もし乱歩君がこちらに来る機会があれば一緒に遊びにでも行ってみたいと思い、想像を膨らませていた』

 日記にも似た内容が沢山。詰め切れるだけ押し込まれた紙は、乱歩にほとんど読まれていなかった。数少ない彼の読んだその内容に対して一つ返事。

『窓から見るお祭りなんて詰まらない』

 乱歩は、それだけを返してポオを悩ませていた。
 あまりにも互いの文章の量が違い過ぎるのだ。
 温度差。二人の間には明らかに寒暖差がはっきりと浮き出ていたのだ。それでも、ポオは諦める事無く一生懸命彼に手紙を送り続けていたのだ。
 毎回探偵社に届く分厚いそれは、鬱陶しさを通り越して面白いと感じるまでに発展していた。

『先日夢を見た際に乱歩君が出てきて大層驚いてしまった。途切れ途切れの合間に出てきた君の姿は乱歩君と初めて会った時から、何も変わっていない様で安心した。夢から覚めた時に君は勿論姿を見せてくれはしなかったが、それでもこの手紙を手に持つ君はそのまま姿で今も有り続けていてくれることを何よりも嬉しく思っている』

 見えない彼の姿を手紙の文章から読み取るポオ。乱歩も、それでけ素っ気ない返しをしてもしぶとく送ってくるものだから、とある時全ての手紙をもう一度取り出したのだ。
 読むにはあまりに名探偵の多忙な時間の無駄な消費にしかならないと考えていたが、捨てるには惜しいとも思っていたのだ。机の下に束ねられていたそれらをもう一度目を通してみる。

「……莫迦じゃないの」

 きちんと読み返してみると、それを書籍化出来る程の文章力で海を越えた先の島の情景が事細かに記されていたり、二人の過去の話を書き込まれていたり、と。
 一文字一文字が重く、受け止めきれない乱歩には手紙を落として破ってしまいたい衝動にも駆られてしまった場面もあった。
 それでも、矢張り「莫迦」なのだ。一言で片づけてしまえば実に彼を笑える存在にまでなっていた。














『Thanks and regards,』

 この締めくくりが何時からか変わっていた。
『With love,』

 乱歩は英語を理解出来ている訳では無かったので、彼からの文章は全て日本語訳されていたものだったが、それでも最後は達筆に書かれていた。
 それが、何枚か手紙のやり取りをしていくうちに変わっていたことに漸く気づいてしまったのだ。

「…あれ、乱歩さん。何をそんなににやけているのですか?」

 今度は国木田が彼に与謝野と同様に尋ねた。
 皆が乱歩の表情に気になって声を掛けたくなってしまうのだ。国木田もまた耐えきれずに素直に本人に訊いてみる。
 乱歩もまた今気分が善いので正直に応えてあげる。

「莫迦莫迦しくて笑っているんだよ」

 そんな返しが来たところで国木田が理解出来るわけも無い。誰も、第三者がその言葉を訊いて納得できる材料など散らばっていないのだ。乱歩が一人で理解しているだけ。

「ねぇ、国木田君。何か面白い返しは無いかな?」
「如何いう事ですか?」
「With loveに勝る結びだよ」













『愚かで愚かな海を越えた先の人間へ。
 毎度毎度飽きもせずに出来事を文字に起こして実に滑稽だなと思っていたけれど、それでも滑稽すぎて先日にやけていたら社の人々に問われてしまった。君が変なものを送ってくるからいけないんだよ。
 そんな詳細を知らされても、その光景を実際に目で共感するのは無理なんだから。それを写真だったりせめて目に見えるものを提示してくれると非常に助かるよ。
 けれど…それよりも、君と共に何か思い出を作りたいと思ってしまった僕は君の来訪を取り敢えず待ち続けてみる事にした!今度手紙を返すときは君がやってきた時にするから、早く会いに来て
 今後ともよろしくお願いいたします』