沈黙の中、乱菊が静かに口を開く。
2人が、この部屋を見て確信したこと。
「いつから…戻ってたの?」
それはゆず乃の記憶だった。
この浦原のクローンを見る限り、実験を始める前から記憶が戻っていたと考えて間違いない。
その質問に、ゆず乃は苦笑する。
「浮竹隊長に、紫陽花を見せてもらった時…」
あの時―――。
仕事をサボって中庭の石に座り空を見上げていた。
その時、紫陽花を持った浮竹が現れた。
その瞬間、私は全て思い出した。
色が変わった紫陽花を見て「君はどっちが好きだい?」と聞いた浮竹隊長。
私は「今が好きです」と答えた。
記憶を消されたことを嘆いても仕方ないから。
思い出してしまったことを嘆いても仕方ないから。
そして浮竹隊長は、自分の思うように行動したら良いと言ってくれた。
まさか私が、こんなことを始めるとは思わなかったはずだ。
「こんなに簡単に思い出しちゃってさ…。凄いと思わない? 私って」
そう言いながらゆず乃は苦笑する。
恋次と乱菊は、複雑な表情でゆず乃の話を聞いていた。
そしてゆず乃は続ける。
「自分を試す…それは口実でしかなかったかもしれない。私は、ただ…」
今の状況を変えたかった―――と、ゆず乃は続けた。
どんなことをしても、私から浦原を消すことは出来ない。
思い出したことを隠し、何事もなかったように暮らすことも出来ない。
喜助さんに会いに行くことも出来ない。
怪我をして喜助さんに再会してしまったのは、本当に偶然だった。
愛おしくて、嬉しくて、胸が潰れて死んでしまうかと何度も思った。
そして、記憶を失くしたフリをしたまま会いに行った。
実験の手伝いをしてもらい、傍にいたかった。
本当は実験を始めた当初、つまずいた。
現世で喜助さんに再会した時には諦めていた。
だが、会ってしまった。
最愛の人に会ってしまった。
だから望んでしまった。
実験が終わるまでは一緒にいたい、と…。
「皮肉なものよね。一緒にいる時間と引き換えに、これから一生会うことは出来ない」
ゆず乃の話に、乱菊は胸を痛めた。
自分とて同じ女。
ゆず乃の気持ちは良く分かってしまった。
どうして、こんな辛い恋になってしまったのか。
どうして自分は何も出来ないのか。
乱菊は、自分の傷む胸を押さえる。
「でも、望んだことなの。強制的に会えない状況にいなければ、私は会いに行ってしまう。何度でも…何度、拒絶されても。記憶を消されても。好きなままなの…っ!」
ゆず乃は、強張った笑顔を貼り付けたまま涙を流した。
恋次と乱菊の2人は、何も言葉をかけることが出来ない。
ただ、痛ましかった。
その時、実験室の扉が開けられた。
そこに立っていたのは、一番隊隊長の山本元柳斎重國。そして隠密の隊士達だった。
3人は体を強張らせる。
部屋には感じたこともない重圧が漂っていた。
「十二番隊ゆず乃。お主は重罪を犯した。分かっておるな?」
「…はい…」
「これからの詳しい処罰は、おって連絡をする。それまでは大人しく待機しておれ」
その言葉が言い終わると、隊士達がゆず乃を取り囲み連行して行く。
恋次と乱菊は、追いかけることも出来ずに顔を歪め見送るしか出来なかった。
部屋には恋次と乱菊だけが残された。
慌ただしく連れて行かれたゆず乃。
2人は、これからゆず乃がどうなるのか。
心配で堪らなかった。
ふと、乱菊は浦原のクローンに目が止まる。
「恋次…」
「…何だよ」
「ゆず乃は、本当に馬鹿ね…」
そう言って浦原そっくりのクローンに手を伸ばす。
このクローンも散々調べられた。
が、持って行かれなかったのだ。
それは何故か。
ゆず乃は、完成させておきながらも動かそうとはしなかったからだ。
肝心の、感情や命の部分を作らなかった。
連れて行かれる前に、総隊長が何故だと聞いた時ゆず乃はこう答えた。
「作っておきながら矛盾していますが、それは出来ませんでした。やっぱり、本物とは違いますから…」と。
きっと、浦原を誰よりも見て来たゆず乃には本物より勝るものはないと気づいたのだろう。
偽者の浦原を見る方が辛いと気づいてしまったのだろう。
「馬鹿な子…」
悲痛な面持ちで呟く乱菊。
そして、恋次もまた乱菊に負けないほど悲痛で歪んだ顔をしていた。
ゆず乃への正式な処罰が下ったのは、それから3週間後だった。
大罪を犯した者だけが入れられる牢獄。
秘かに作られているそこは、1度入れば2度と出ては来られない。
中にいるのは、罪人とその牢獄専門の隊士。
その隊士でさえも、外の空気を吸えるのは年に1度。
食料補充の時にしか開くことがない。
そこに、ゆず乃が入れられることが決定した。
覆すことは不可能である決定事項だった。
ゆず乃は、閉じ込められている部屋で窓から月を見ていた。
そして、もう少しで入ることとなる牢獄を想像する。
不思議と、恐怖や後悔はなかった。
むしろ、逆に安心していた。
これで諦めがつく。
これからは、何も悩むことなく静かに生きていこう。
そう思った。
「喜助さん…」
さようなら―――。
そう呟かれた言葉は、夜の闇に吸い込まれていく。
浦原は、ゆず乃の声が聞こえたような気がして顔を上げた。
しかし、聞こえるはずがないと苦笑する。
もう、しばらくここへ来ていない。
実験が成功し、完成したのでもう用はなくなったのかもしれない。
浦原はそう考えることにしていた。
「店長〜! 客だぜ?」
ジン太の呼びかけに、いつものようにヘラヘラと笑いながら浦原は下駄を履き店先へ向かった。
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