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 まだ別途話があるという赤井とジェイムズを残して部屋から退出し、メインのフロアへと向かいながら、他の人間が後ろを歩く分、降谷とジョディは足並みを揃えずとも自然肩を並べることとなった。
 先程の話し合いについての詳細は、語られた内容からして廊下であけっぴろげにやらないほうがよさそうだ、と判断して、降谷は関連する中でも比較的無難な話題を選んでジョディへと話しかけた。

「ありすちゃんは、いずれかの事件の重要な関係者として保護するためにここにいる、と言ってましたよね」
「ええ。でも正直それは半分口実だと思ってたわ。シッターが見つかるまでの」

 ジョディはどこか呆れの色も滲む様子でそう返し、苦い笑みを浮かべる。

「仕事を支障なく進めるための有用な証人や有能な検事を見極めるのと、子どもを任せられる誠実で愛情深い人を探すのって別物じゃない? 見るべきアビリティも使う感性も違うし、子どもとの相性も重要になる」
「まあ、そうですね。同じように扱っても変わらない人もいるでしょうけど」
「少なくともシュウにとっては“そう”だと思うのよね」

 慣れない、難しいことだろうと、恐らくそういう意味で言い、彼女は軽い調子ながらも物憂げに息を吐いた。
 真実を追い、それを日の下に晒し突き付けることに重きを置く者としては、情の類は単なる行動原理や関係性といったピースの一つか、さもなくば関わる人間の目を曇らせ辿り着くべき場所への道を霞ませる靄のような、邪魔で取り払うべきものでしかない。
 元々理解しがたい言動をとったり無遠慮で無神経なところのある男だ。それが幼い女の子のための環境により良いものをはかり用意してやることが出来ると、頭からは信じきれまい。そのどちらも身近にいて、案の定あの様子なのだから不安にもなるだろう。

「しかも選んだ人物が適当かどうか評価するのには、子どもとのコミュニケーションも要るでしょ? はじめに比べて随分マシにはなったけど、それが円滑円満に出来そうかって言うと、ちょっと。まずもってシュウの眼鏡に叶う人間ってかなりの篩じゃないかしら」

 そもそもその篩自体の選定が間違っているのでは、という言葉は内心思うだけに留めた。
 彼女はなんだかんだと自分ではあれこれ文句や不満を口にしながら、他人にあの男を貶されると強く不快を示すきらいがある。
 仕事を共にする人間として、わざわざ分かっているのに機嫌を損ねる必要はない。例の組織を叩く作戦のときには、降谷がはじめ彼女にあたりきつく接していたことに対して状況的に仕方がないと水に流してくれたし、こちらに来てからも、彼女が友好的に接してくれるおかげで自然周りの人間の態度が柔らかくなっているのは明らかだ。
 証人や検事、とも言うが、同僚や同業者とて仕事を問題なく最良の形でおさめるのに必要な要素だ。

「その点フルヤならばっちりでしょうけどね」
「はは、万が一失職した暁には申し出ましょうか」

 万が一どころか億が一にもない事態だろうことはジョディも当然承知の上のようで、冗談めかした降谷の返答に軽快に笑った。

 実際のところ、赤井を雇用主として仰ぐなどと死んでも御免だが、あの子を気にかける、ということに関してはさしたる嫌悪もなし、むしろ多少の労力は割いても良いと思えるところもある。
 瞳こそ父親の気が強いが、全体的な顔立ちは母親由来らしく、その面影には遠く別の女性の存在すら匂わせる。血の繋がりは確かにあるというのだから、可笑しくはないことではあるが。
 頂いた分だけ注いであげれば、少しは報いたことにならないだろうか。
 僅かでも、今では叶わなくなった恩返しの代わりにならないだろうか。
 あの幼い子どもの姿かたちからは、そんな感傷的な気持ちを揺り起こされるのだ。特にあの所在なげで沈み込むような所作と顔色は、世話を焼くのも満更ではないという性分を刺激され、つい口や手を挟みがちな悪癖が顔を出すし、いっそ庇護欲と形容しても良さそうな、余計な情すら抱かせるようなところがある。

「……あの子、少し様子が変じゃありませんでした? 隠れんぼの後。その、やや気落ちしているというか」
「早く見つけすぎたかしら」

 なんてね、とすぐさま付け加えた辺り、彼女も感じるところがあったようだ。

「近頃、それでなくても元気がなかったのよ。もともと内気な子だし――“赤井”になったばかりで」

 それまでの何某ありすには戻れないと、あの男のことだから妙な気の回し方をしながら告げたんだろう。
 女子供に対してはまた違うのかもしれないが、少なくとも降谷の知る限り赤井のそれは、受け取る側に適した形であるとは言い難い。そういう心を添わせることが重要になる行為は、赤井と他者との感覚の違いが浮き彫りになりやすいところでもある。
 弱者に対して慮る意思自体は持ち合わせているし、そういう行動を取りはするものの、あの男はなんだかんだと肉体的にも精神的にも基礎値が高いし、突出した稀有な能力も備え、生い立ち境遇も凡庸であるとは言い難く、独特の思想と信念で生きているようであるものだから、ふつうの、ありきたりな悩みに囚われ苦しめられるという経験に乏しいのだ。あるいは一度対面した問題は、己を織りなす体系に有用な部位のみを残して精算し昇華しきってしまっている。だから理解が及ばないし、推察はできても共感ができないに違いない――というのが、これまで赤井とそれなりに紆余曲折を経た降谷が思う、赤井の一側面であった。
 降谷とて昔の赤井の所業に関して、もっと別のやり方や言い方をしてくれればあそこまで懊悩せず憎悪に駆り立てられずに済んだのにと、未だに不服に思ってしまうことがある。
 大の大人である降谷ですらそうなのに、あの赤井の血を引くとは思えないほど大人しくおどおどとした子どもが、真正面から示されたそれを全て上手く処理し切れたはずがない。

「フルヤのおかげでずいぶん気持ちが上向いたみたいだったわ。わざわざあの子の方から呼んで気を引こうとするなんて、シュウくらいだったのよ」

 出来るだけでいいから、よくしてあげてね、という言葉には、何の気負いもなくするりと頷けた。

 ――少なくとも、あの子にとって好ましい人間でいることは、降谷の現在の仕事との軋轢を生むこともなければ、折衝を必要ともせず、何に仇なすこともない。


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