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島内にはすべり台の他にも、ブランコやターザンロープ、ザイルクライミングなんかのアスレチック系遊具があった。 しかしスプーンも危うく落とすようなわたしの手では支えもなしにものに掴まっていることは難しいだろうし、何もないところで転ける足で足場の悪いところに登ればすぐさま落っこちるだろうことは容易に想像がつく。秀一さんたちからすれば考えるまでもないことだったようで、それらはスルーして、所々に点在する謎のオブジェに登ってみたり、当時のままで中身はアートの展示スペースになっているというお城に行ってみたりしながら、のんびりとうろうろ歩いて回った。 広々と取られた芝生があちこちに広がっているため、ボールやラケットといった道具を持ち込んで遊んでいる人たちもいる。その様子を見て、ジョディさんがああいうのをしても良かったわね、と言う。確かに相手さえいれば楽しそうである。それに哀さんが同意した。意外にも哀さんはサッカーが好きらしい。なんでも好きな選手がいるとかなんとか。 賑やかではあれど、あんな都会からすぐ近くにあるとは思えないほどのどかな風景だ。 歩けば歩くほど、なんとなく公園といえば住宅に囲まれて申し訳程度の樹木と遊具を置いた野球もサッカーも禁止された小さなエリアという既成概念を思い切りよく打ち崩されていく。 ほどほど疲れたところで、トラックのような店舗の屋台から食べ物や飲み物を買って、そこからやや離れた場所にあった公園備え付けのテーブルとチェアでお昼ごはんをとった。 黄色いお米に野菜と鶏肉を乗せ、ソースを掛けた料理は、チキンオーバーライスというらしい。結構そのまんまである。牛丼よりひとつ捻らない感じがする。 赤いソースとスパイシーな香りの通りちょっぴり辛いものの食べ応えがあって美味しかった。ナンらしきものも乗っていたので、もしかするとカレーの国と出身が近いのかもしれない。ひとパックがかなりボリューミーで、全部は食べ切れなかったので、残りはまた工藤さんに食べてもらってしまった。 食後は少しゆっくりしようということになって、ちょうど木陰だったテーブルを拠点にするような形をとり、わたしと哀さんは近くにあったハンモックに乗せてもらった。 大人も乗ることを想定された赤いハンモックは、二人が寝転がった程度ではまだまだ余裕がある。はじめの揺れが収まってしまえば、小さな二人が多少みじろいだところでそう激しく揺らぐこともない。 そよぐ風に、哀さんの栗色の髪がふわふわと控えめに跳ねる。ソープやシャンプーよるものか、はたまた香水でもつけているのか、哀さんの体からは、ほのかに人工の良い香りがする。 地に足のついていない状態というのはこちらにきてからは珍しいことじゃないけれど、やはり人の腕に抱き上げられているのとは違う。胎児さながら丸まり寝転がって微かな浮遊感や風を感じていると、何とも言えない気持ちが湧いてくる。穏やかに凪ぐかといえばそうでもなく、ざわめき波打つわけでもない。 遠巻きに響く賑やかな異国語、風と葉擦れの音、すぐそばの静かな呼吸。 幾分の距離を置いて耳に届く、陽気な調子の声はジョディさんだ。それに軽やかに応えるハスキーさの混じる声は工藤さん。ぽつりぽつりと、ふたつの合間を縫うように零される低い声が、秀一さん。 ふいにそれが途切れる。 ちらりと伺ってみたところ、どうやら、ジョディさんが何かを促したことで、秀一さんが席を立ち、どこかへ行ってしまうようだ。 わたしと同様そちらへ顔を向けていた哀さんは、秀一さんのその背中がほんの小さなものになってしまうとまた先程までの体勢に戻り、さらりとわたしの頭を撫でた。 それから、ささやくような声で言う。 「あの人と、どう?」 「え、えと……」 「その様子じゃいまいちみたいね」 苦笑して、哀さんは手を休めずに続けた。 ねえありすちゃん、と。 「新しいこと、今までと違うことに慣れるのって難しいわ。その努力はゆっくりでいいし、そもそも慣れ切る必要もないと思うの。できないことやわからないことは避けて通ってもいいし、怖いもの、嫌なものから逃げるのは、自分を守るために大事なことだもの」 「それくらい、あの人も考えてるわ。そういうことを認める程度の甲斐性はあるはずよ」と茶化すように付け加えて、哀さんは眉を下げながら緩く笑んだ。 「気持ちの整理がつかないのを申し訳なく思わなくったっていい。怒ったりしないわ。少なくとも私たちはね」 小さな手が、裏打ち示すように、わたしを撫でる。それが偽りないことであるのを理解するのには、柔らかな感触と丁寧な手つきで充分だ。 「ただ、せめてそれを隠さずにいて。そうでないと、まわりが見当違いなことをしてしまうかもしれないわ。そうとは知らずに、あなたのして欲しくないことをしてしまうかもしれない。外から心の中なんて見えないから。――あなたのためになる心配をしたいのよ、みんな」 その言い回しは、どこか秀一さんを彷彿とさせるものだった。そう思った途端、いもうと、という低い声が、脳裏に蘇る。その言葉が本当だとすれば、わたしと哀さんの間に繋がりを感じるのは不思議なことではない。けれど、その面影に秀一さんを見ることは、ありえないはずなのに。 未だぐちゃぐちゃの思考の棚から余計なものを引き出そうとするのを押し留めて、ひとまず目の前のものを見据えようと頷いた。 「うん……ありがと」 少しずつ、少しずつ。 ――与えられる分、わたしだって報いなくては。 秀一さんがジョディさんに頼まれて買ってきたというアイスを平らげて、また少し散策して帰ろうと言うことになった。たったひとつをするのに、それだけの時間がかかった。 「……あの」 「なんだ?」 くい、と裾を引っ張って、その瞳がわたしを捉えたのを確認して。 わたしの言葉をじっと待ってくれる緑色から、目を逸らさないように踏ん張って。 「……だっこ……」 手を伸ばすわたしを見下ろして、秀一さんはぱちぱちと瞬いた。 煩い鼓動が何度鳴ったか。いつもの倍ほどの間のあとに、短く了承を告げる声が降ってきて、大きな手のひらがわたしの体を持ち上げる。 たったそれだけのことだけれど。 それを一歩、と数えても、いいだろうか。 |