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私が近寄って膝をつくと、子どもはびくりと震えて、またソファの影に隠れ、片目だけをこちらへ見せた。 「こんにちは」 「……こ、こにち、は……」 「私、彼の仕事仲間のジョディっていうの。あなたのお名前教えてくれる?」 「…………」 ひどくたどたどしい挨拶のあと、子どもは黙り込み、うろうろと視線を彷徨わせる。 「日本語で話しかけてやれ。その子供、恐らく英語に慣れていない」 「そうなの?」 分かっているならはじめからそう説明して、仲介でもなんでもやってくれればいいのに、シュウはそれだけ言うと、部屋の中をいくらか歩き回って、バスルームを覗いたかと思えばベッドルームへと入っていく。何やってんだかあの男。 改めて先ほどと同じ言葉を、とびっきり優しくゆっくり日本語で繰り返せば、子どもは再び顔を出して、おずおずと口を開いた。 「……あの……ありす、……です」 「ありすちゃんね、よろしく」 手を差し出すと、子どもはずいぶん迷った挙句、おっかなびっくりといった様子でソファの影から出てきて姿を晒し、握手に応じるよう手を伸ばしてきた。 小さく柔らかな掌は、緊張のせいか若干冷たい。 包み込むよう握ってやって笑いかけたことで、ようやくわずかに頬を緩めたと思ったら、シュウがベッドルームから出てくる音で、子どもはまた表情を固くする。 「あなた何したのよ、ずいぶん怖がられてるじゃない」 振り返ると、相変わらず両手をポケットに突っ込んだあのポーズでキッチンの前に立ち、いまいち何を考えてるんだかわからない顔をして子どもを見ていた。 「――なるほどな、魔法瓶にでも入れておくべきだったか」 「は?」 「しかしアレは自分用に取っていたものでな、既に盛った後だった」 「何の話をしてんのよ」 「椅子を動かした跡、ほのかに漂う匂いにゴミ箱のキッチンペーパー、そしてこの破片」 シュウは片手を出してかがみ、キッチンの隅にあったビニール袋を持ち上げた。カチャリと音がする。 「昼飯を食いっぱぐれたらしい。おそらく電子レンジで温めようと思ったんだろう。使い方は分かっていたし身の丈を補う多少の知恵もあったが……」 ビニール袋を置き、今度は電子レンジの取っ手に手をかけがちゃりと開けて、子どもへ視線を飛ばした。 「この扉が子供には固く、開けた勢いで皿を落とした――そうだろう?」 あたかも捜査の分析でもやっているような口ぶりだ。内容は子どもの失敗についてという、市警でも扱わない些事だけれど。 シュウがレンジの扉を閉めてこちらへ歩を進め、私の隣にしゃがみ込むと、子どもは目に見えて青ざめた。ぱっと私の手から逃れて数歩後ずさる。 「あっ、あ……あの、ご……ごめんなさい、ごめんなさい」 幼くか細い声が、哀れになるほど震えながら、詰まり詰まりそう言う。 「そんなに怯えずとも、別に怒ったりはしない」 「そうよ、彼の目算が甘かったのよ。ごめんなさいね、スコープ越しのものが何ヤード先にあるかなら当てられるのに、一フィート隣にいる女の子がどんな気持ちでいるかは分からない人なの」 シュウがちらりと非難するよう横目で見てくるが、事実を述べたまでだ。ポケットに入れっぱなしの手を布越しに叩いてやると、シュウは渋々引き出して、子どもの頭へぽんと乗せた。子どもはそれにもびくりと震えた。 「……そうだ、悪いな」 珍しく殊勝な彼のその態度にも若干和らげた表情にも、子どもはおろおろとしっぱなしで安心する様子が見えない。 「しかし、大人しいかと思いきや、殊の外好奇心旺盛なようだ。靴箱、シンク下、洗面台、本棚、ベッド、キャビネットにクローゼットの奥――隅から隅までよく見て回ったものだが、何か分かったかな? 小さな探偵さん」 どうやらさっき確認していたのはそのことらしい。子どもが覗くか触れるかした形跡が残っていたようだ。 ……もしかしたら、いえ本当にひょっとしたら、気持ちを和ますためのジョークのつもりだったのかもしれないが、追訴の内容を連ね煽っているようにしか聞こえない。 思えば日本で関わりのあった少年少女たちはみな我が強く陽気で、多少婉曲な言い回しでも好意的に受け取り、あるいは説明を求めて理解する聡い子たちだったし、“探偵”とはなによりの褒め言葉だったのだから、彼らであれば充分通用しただろう。 しかし、ここまで内気で怖がりな子どもには、単に怒られているようにしか感じられないに違いない。 案の定子どもは、喉を引きつらせるような音をさせ、蚊の鳴くような声でごめんなさい、とまた繰り返し、ついにはぽろぽろと泣き出してしまった。 シュウの手を払い抱き竦めた小さな体は、ほぐれるどころか随分とこわばってガチガチだ。 「あんたね……」 「……」 払われた手をそのままに、シュウは珍しく呆気に取られたようにして、解せない、という顔をしていた。 ダメねこれは。先が思いやられるわ。 |