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「おはよ……で……」

 です、とつけるかどうか迷って、尻すぼみに変な言葉がついてしまった。それに、秀一さんはほんの少しだけ眉を下げて、わたしの頭を撫でた。

「ああ、おはよう」



 背景や状況がどうあれ、自分で選んだことなのだから、いつまでもうじうじしているのはみっともないし、病は気からじゃないけども、そうしていたらますます下降していくのだからよくない。
 そもそもわたしはかなり幸運である。こうしてなんの備えもなくやってきた見知らぬ土地でも衣食住に困らず過ごせて、周りは優しい人ばかり、身体も損傷無く健康で、何に脅かされることもなく、快適そのものと言っていい暮らしなのだ。きっと見る人によっては羨ましいくらいの生活。なんにも嘆くことなんてない。ないはず。
 何にしたって変にいじけていてはだめだ、ヘタイラくらい強く生きねば。

「ありすチャン、ゲンキだして」

 ……とは思うものの、どうにもよそからはしょぼくれて見えるようで、えふびーあいの人達はこれまで以上に優しく接してくれるようになってしまった。

「だい、じょぶ、げんき」
「これオイシイよ」
「ありがと、です……」

 お菓子をくれる頻度が増え、その数も増え、よく話しかけてくれる上、しょっちゅう背中や肩をぽんぽんしてくれたりハグをしてくれて、代わる代わる遊ぼうかと言って構いに来てくれるのだ。元気アピールをしてみるものの、なんだかいまいち通じない。そんなに情けない顔をしているんだろうか。
 今日も、秀一さんのデスクの一角にこんもりと山ができるほど飴やチョコやクッキーを貰ったし、秀一さんがジェイムズさんに呼ばれると、秀一さんが声をかけるまでもなくすぐにジョディさんがやってきた。

「ありすちゃん、かくれんぼしましょっか」

 ついさっきまで仕事をしていたように見えるのに、暇になっちゃったわ、なんて笑う。
 ジョディさんにしてみれば、好きな男の人がいきなりコブ付きになって、言ってみれば横取りをされたようなものだろう。それに、その、わたし、のような存在がいるということは、そういうことなのだ。内心決して面白くはないはずで、思うところがないとはいかないはずである。
 だというのに、こうして他の人たち同様、むしろそれよりもかなりまめにやってきてくれる。すごくいたたまれないし申し訳ない。

「……気が乗らないかしら? じゃあ別の――」
「う、ううん、や、やりたい……」

 無理しないでいいのよ、と言うジョディさんにぶんぶん首を振って腕を差し出す。
 先生も一緒にやりましょと誘ってくれたので、抱いていた先生をもう片手でジョディさんに向けた。じゃんけん、と二・三回ほどやって、勝ったのはわたしと先生だ。先生がグーしか出せないからか、ジョディさんは気を使ってチョキばかり出してくれたのである。先生が鬼になっても困るので八百長じゃんけんはありがたく受け取っておこう。
 近くのデスクの方を向いて数を数えだしたジョディさんを尻目に、隠れる場所を探しに駆け出す。

 つらりと並ぶデスクの間を抜けたところで、眼前が紺色でいっぱいになった。
 どん、と身体に衝撃がきて、視界が揺らぐ。手とお尻にも軽く鈍い痛みが走った。要するに、何かにぶつかって尻もちをついたのだ。
 その何か――紺色のスーツを纏った足の持ち主はそこで足を止めた。
 高い背に、少し赤みの強い肌、鋭く神経質な印象を受ける顔立ちに、つるりとした頭部。首を上げて目に入ったその姿は、ジェイムズさんよりは細身なおじさんといった風で、多分今まで見たことがない人だ。

「××××××××××××××?」

 おじさんは、やや胸を反らせてすっと立ったまま、目だけをちらりと動かしてわたしを見た。
 何と言ったのかはわからないけれど、早口なそれにはつんつんと生えた棘が見えそうなほど厳しい声色で、少なくとも好意的なことを言われているわけではないらしいことは察することができる。

「ごめ、えっと、あ、あいむ、そーり……」
「×××××××××××××?」
「あ、あの……」
「××××、××××××××××」

 頭を下げてはみたものの、おじさんにとっては不充分な謝り方だったようだ。何しろ向こうの言い分がさっぱり分かっていないので当然といえば当然だけれども、見下ろしてくる瞳も声も冷たくて、のしかかってくるような強い威圧感に身が竦む。

「××××! ×××、××××××××」

 慌てて駆けてきたジョディさんが庇うようにしてわたしのそばにしゃがみ何かを言うけれど、おじさんはそれで空気を緩めたりはせず、むしろわたしに向けたものよりも厳しい態度で返した。ジョディさんはそれにたじろぐようにして語気を弱める。

「×××××……」
「××××××××。×××××××××××××××××××?」

 先程よりも小さな声を揺らしながら何かを言いかけたジョディさんの言葉に、被せるようにしておじさんがつらつらと早口に喋りだして、ジョディさんは不本意そうに口を噤み、じっと耐えるようにそれを聞く。
 いつの間にか、穏やかだったフロア内の空気が一変していて、ピンと張り詰め緊張しているのが感じられた。


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