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 スコンと眠って落ちた先、毎度お馴染みのユカイな夢が始まるかと思いきや、その日はなんだかいつもと違った。
 あのポジティブネコちゃんが、しくしくと泣いていたのだ。
 絵本と同じ、歌っているときでも変わらない、何を考えているか分からない表情はそのまま、それでもその体全身で悲しいと訴えていた。ふわふわのおでこをよしよしと撫でると、ネコちゃんはぎゅっとわたしに抱きついてきて、多分きっと泣いていた。
 もしかしたらそんなふうに、顔に出さないだけで、出せないだけで、こっそり影で涙してる人は、自分が考えている以上にいるのかもしれない。

 なんて教訓めいてふんふんと夢の余韻を味わったあと、まだまだ引きずる眠気を振り払う。妙にあたたかくて名残惜しい。しかし昨日の今日でまたニートさながらおそようございますをするのはいかんと、なんとかもたもたと瞼を開けた。

「ひゃっ」

 ――ら、視界一杯に、想定外のものが映って、抑えきれずに声が漏れた。

「……」
「……」

 しかし、ぱちりと合うと思った視線はちらりとも交わらず、そもそもその目は開いていなかった。
 すう、と微かな音が聞こえると同時に、ずし、と何かがのしかかるような感覚。それは音と連動するように、少し軽くなっては重くなってを繰り返す。その重みからじわじわと、布団とは違う温かさが、肩や背中から伝わってくる。
 ――秀一さんは、静かに眠っていた。
 しかもなんと、わたしの体に腕を回し、引き寄せ抱きかかえるような体勢をとっている。
 慌てて抜け出そうとするも、筋肉のしっかりついた腕は一方だけでも重い上、殊の外がっちりとホールドされていてびくともしない。湯たんぽ代わりにでもされだのだろうか。そんなに肌寒い季節でもなかろうに。
 ほぼ密着するような近さのせいで、す、と吐かれた秀一さんの息が、ふわっとほのかに顔へ届いてくる。

「あわっ」

 わたわた身じろいでも、またうっかり情けない声を漏らしてしまっても、それに対する反応は見られず、穏やかな呼吸は乱れることなく一定のリズムで繰り返されていく。まさに寝息だ。
 自慢じゃないが、というか完全に自供になるが、わたしはここに至るまで一日たりと秀一さんより早く起きた試しがないし、一日たりと秀一さんより遅く寝た試しがない。いつも気がつけば寝落ち、いつの間にか朝になり、肩をとんとん叩かれて、場合によっては軽く揺すられて目を覚ますのだ。よって寝顔を見たのなんて今日が初めてである。
 ち、ちゃんと寝る生き物だったんだ秀一さん。
 妙な感心を懐きつつ、脱出を諦めてその寝顔をしげしげと観察してみる。
 鋭い眼光が瞼の奥に仕舞われ、眉も口元も緩んでいるからか、抑揚の少ない低い声がないからか、起きている時に醸すちょっぴりぴりっとした雰囲気がないからか、はたまたその姿勢とあったかい体のおかげかーー。
 いつもより、どことなく、幼く見える。
 そういえば秀一さんはいくつなんだろう。随分慣れた調子で仕事をしていたし、後輩さんのような人もいて、振る舞いからして、少なくとも大学出たばっかりのお兄さんではなさそうだけれど。いまいち年齢不詳である。
 造りや瞳の色からして百パーセント日本人といった感じではないものの、アジアンテイストも配合された見た目だし、わりと固い言い回しをするし、声は結構渋いし、実はホントのトコよりちょっと若く見えていたりして。うーん、わからん。
 なんだかその顔をみていると、夢の中のネコちゃんを思い出した。黒いしあんまり表情豊かじゃないし、ちょっと似ているかも……いや失礼極まりないな。


 秀一さんが目を覚ましたのは、窓から差し込む光が淡さを消す頃だった。次第に強くなる日差しによって部屋があたたまり、寝苦しくなってきたのかもしれない。

「ん……」

 暇を持て余して、秀一さんの前髪の真っ直ぐな方をくるくると指に巻きつけ、このゴッドハンドで全部パーマにしてやるーなんて遊んでいたら、不意にむずがるような小さな声が漏れ聞こえて、規則的に上下していた体がもぞっと身を捩るよう動いたのである。
 慌てて手を離した直後、意外と長い睫毛がふるりと震えて、緑の瞳がゆっくりと姿を現した。

「……」
「……」

 秀一さんは、細く開いた目でぼんやりとわたしを見つめ、何を思ったか、ホールドしていた力を緩めると腕を若干上に移動させ、やわやわとわたしの後ろ毛を梳きはじめた。
 その手つきは、いつも頭を撫でるようなものとは少し違う。

「あ、あの……」
「……」
「……えと……」
「…………」

 ま、まだおねむなのだろうか。仕事やわたしのお守りで疲れが溜まっているのかも。うるさくしないでじっとしてた方が良い?
 面食らいつつおろおろしていたら、秀一さんはゆっくりとぱちぱち瞬いて、一拍間をあけ、さっと表情を引き締めた。

「…………おはよう」
「お、おはよ、です……」

 髪を梳いていた手がぱっと離れて、体にかかっていた重みが消える。
 秀一さんは、さっきまでの微睡むような姿が嘘のようにしゃきりと体を起こして、そのままいつも通り、わたしを洗面台に連れていき、ちょっぴり遅めの朝食を作ってくれた。
 抱っこ寝のことにも触れず、そんなことありませんでしたよみたいな顔と態度に、だんだんそれこそ夢だったかもしれないと思えてくる。先生はいつの間にかころころっとベッドから落っこちていたので目撃証人はゼロだし……いやわたしが蹴落としたんじゃないですよ先生。ほ、ほんとですよ。


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