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 大振りな眼鏡、整えられた銀の髪と鼻下の髭、深い彫りと皺。造り自体は厳しくも見える顔だけれど、目尻の皺と醸す雰囲気で穏やかな印象を受ける。
 広い肩幅に厚い胸板、しっかりとした体つき、それを包む仕立ての良さそうなスーツ。上品なおじいさんと言った風体の人だ。

「はじめまして、私はジェイムズ・ブラックという」
「私たちのボスよ」
「ぼす」
「一応えらい人なの」
「おいおい、一応とは言ってくれる」

 ジョディさんの茶化しに柔らかく緩めた表情は、落ち着いていて品が感じられるもの。
 その表情や格好はいくらか違えど、やっぱり見覚えがある。

「その絵本は赤井君に買ってもらったのかね?」

 ――わたしの記憶違いでなければ、本屋さんで出会って、この本と歌を教えてくれたのはこのジェイムズさんのはずだ。わたしが覚えた歌は、この声で奏でられたもののはず。
 ……はずなのだけれど、“はじめまして”に、なんだか他人行儀な素振り。記憶違いかも……外国人の顔の区別がはっきりつくわけじゃないので、改めて考えてみると自信がなくなってくる。
 どうなんだろうとウンウン悩んでいたら、ジェイムズさんの隣に立ったジョディさんが、見兼ねたように口を開いた。

「ボス、“しゅーたん”よ」
「なに?」
「ありすちゃんはそう呼ぶの」
「ほう、可愛らしいあだ名だ」

 そう言って、ジェイムズさんが立派なお髭を微かに揺らして息を漏らした。こ、これわたしのせいで秀一さんが笑われてるのでは。
 上司さんにこんなこと知られて子どもに侮られてるなんて不名誉な印象ついたりしないだろうか。そもそもわたしの喉周りがポンコツだっただけで、決してそんなオタクが嫁につける接尾語みたいな呼び方をしようと思ってしたわけじゃないのだけれど、弁明しておいた方がいい?

「あ、あの、ちが……しゅー、しゅーいち、さん……」

 なんとか噛まずにアワアワと口にしたところで、ジェイムズさんは軽く目を見開き、手を上げて、「ああいや、別に改めずともいい」と言った。

「彼は少々、人を遠ざけがちというか、取っ付きにくいところがあるからな、それくらい和やかな方がちょうど良さそうだ」
「そうそう。ぴったりよ」

 なぜかジョディさんに、えらいわねと頭を撫でられた。褒められた? 一体何がどう? もしやわたしのネーミングセンスもなかなか捨てたものではない……とか?
 こてこて首を傾げてみても、ジョディさんもジェイムズさんも補足してはくれず、かといって自分で聞くのも恥ずかしくてできず、なんだかよく分からないままに、ジェイムズさんがうむ、と一区切りつけてしまう。
 それから、一度咳払いをした後に、刻まれた目尻の皺をくっと寄せ、大きな体を屈ませてわたしの顔を覗き込んだ。

「それで、あー、“しゅーたん”が、買ってくれたのかね?」

 ちょっぴり照れ混じりな問い。
 言わせてしまったようで申し訳ないと思いつつ、わたしが頷くと、ジェイムズさんは笑みを深めた。

「彼は歌ってくれたかな?」

 ジェイムズさんの、太くて少し硬そうな指が、とん、と、わたしの抱えた絵本を突く。
 ポジティブ猫ちゃんソングのことだろうか。そんなことないないと首を振れば、ジョディさんが吹き出したように息を吐いて笑い声をあげた。

「シュウが歌ってるところなんて見たことないでしょ」
「ひょっとするとと思ってね」
「一度拝んでみたいわ。あの顔と声で、“I love my white shoes”! 想像するだけで面白い」

 ふふふ、と、掌を口に当てながら、眉を下げたジョディさんが肩を揺らす。
 確かに秀一さんは、歌やダンスなんかとは縁遠そうな人に見える。今のところリズムに乗ったり鼻歌を歌ったりする姿は見ていないし、そもそもこれまでそんなにゴキゲンそうでいたことがない。少なくとも見た限りは。
 ずっと特に何の感慨もなさそうで、表情といえば、たまに眉根を寄せたり、口角を上げたりするくらい。単にわたしに対して表現するものがないだけなのかもしれないけれど。
 秀一さんでもウキウキワクワクしたりすることがあるんだろうか。もしかしたら猫ちゃんみたいに、顔に出ないだけでるんるん気分で胸を弾ませたりしたりして。
 素材と参考資料が足りなさすぎて、脳内で想像した秀一さんは、ラグったゲームのアバターみたいに、ギターを持ったまま棒立ちで佇むのみであった。代わりにわたしがアテレコしとこう。あらま……秀一さんって、何が好きなんだろう?

「ありすちゃんが頼めば歌ってくれるんじゃない? “しゅーたん、おうたきかせて”って」

 いやそんなわけないと思う。なにいってだこいつってな感じであの鋭い視線を白くしてぶつけられるだけだと思う。

「試してみる価値はありそうか」
「だって“先生”もシュウが買ったのよ」
「先生?」
「このうさちゃん」

 ジョディさんの手が、今度は先生の頭を撫でた。おとなしくモフられるがままの先生だけれど、なんとなーく心持ち気持ち良さそうに見える。さては先生、綺麗系が好みだな? セクシーなのキュートなの前者が好きなのだな?


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