13

 それから公園を少し散歩して、また地下鉄に乗り、スーパーのようなところを何件か梯子して、男の人の家へと戻った。ジョディさんは夕飯を作って、また一緒にシャワーを浴びてくれて、髪を乾かしてくれた。
 ほかほかでバスルームを出たときには、窓の外は暗くなっていた。一日はあっという間である。

「ありすちゃん」

 わたしをソファに座らせたジョディさんが、少しだけ神妙な面持ちで向かいに膝をつく。その隣に男の人もしゃがみこむ。ジョディさんがちらりと目配せをすると、男の人は、ボールをパスするようにわたしへ視線を移して、口を開いた。

「薄々勘付いているかもしれんが、改めて言っておく」

 真面目な声色に、アッハイと背筋を伸ばす。

「探しものが得意な人や、捜査機関の――おまわりさんにも手伝ってもらっているが、君の家が見つからないんだ。恐らく、まだかなり時間がかかる。お母さんも見つからない。ある可能性が考えられはするが――それはもう少し確実なものとなってから教えよう」

 何かを言いかけ逡巡するようにして唇を引き結んだジョディさんとは違い、男の人は躊躇う様子なく続ける。

「しばらくはここに住んでもらうことになる。俺に気を遣う必要はないし、危ないことさえしなければ、自分の家のように使って構わん。彼女が言ったよう、好きに見て回っていいし、欲しいものがあるなら言え。一万ドルの落書き帳は、流石にそうすぐ用意してはやれんが――」

 それはベンチのプレートのことを言ってるんだろうか。用意されても困るのでいいんだけれども。

「もし嫌だというなら、ジョディの家か、あるいはまた別の家を用意することもできる。……分かるか?」

 問いかける声に、首を縦に振った。
 至れり尽くせり、願ってもない言葉だ。感謝の正拳突き一万回ぐらいしたいところである。
 わたしは今のところ頼れる人が目の前の二人しかいないのだ。自分がどうなってるかも、ここが何なのかも分からないもんだから、追い出されたらのたれ死んでしまう。あんな右も左も分からない街で、一人で生きていける自信が全くない。
 ソファを降りて、そうっと膝に触れたら、男の人はポケットに入れていた手を出して、わたしの手に軽く重ねた。比べてみるとかなり大きい。節くれだった指はちょっとかさついている。

「ここでいいのか?」

 鋭い眼差しを向けられると、どうしても反射でたじろいでしまう。
 けれど、顔は怖くても、怖いことをするわけじゃないし、むしろとてもいい人だ。そこらへんで拾った知らない子どもなんてほっぽっていてもいいのに、そのおまわりさんに丸投げしたっていいのに、そこまで面倒を見てくれるなんて。
 頷いて、お願いしますと言おうとしたところで、はたと気づく。

「あの……なまえ……」
「名前?」
「お、おしえて……くだ、さい」

 ジョディさん曰く“シュウ”さんらしいものの、ちゃんと聞いたことが無い。

「あんた名前も教えてなかったの!?」
「いや、一度言ったはずだが――ああ、英語だったから――」

 ……と思ったら、どうやらあの夜に既に名乗っていたとか。聞いたような、聞いてないような。外国語の中に混じると、固有名詞はそれと知らなければ判別できないもんである。

「俺は赤井秀一という」
「あ、あか……」
「シュウおじさんでいいわよ」

 ううん、でもおじさんというほどの年齢じゃなさそうだ。

「しゅー、たん」

 ――違う間違えた舌が回らなかった!
 秀一さん、と言い直そうとしたけれど、ジョディさんの派手な笑い声に遮られてしまった。バカウケしたらしい。



 そのあと、ジョディさんは、なにやらお仕事らしい電話がかかってきて、慌てて出ていってしまった。休日の夜にそんな風に呼び出されるなんて、一体何をする仕事なのか謎である。
 もう良い時間だから寝ろと言ってわたしをベッドへ運んで置くと、男の人改め秀一さんは、何か片付けなければいけないことがあるとかでリビングに戻っていってしまった。
 しばらくして、ドアの隙間から細く漏れていた光は、ある時ふっと消えた。
 もしかしたら、またソファで寝ているのかも。
 ソファもそれなりに大きくはあったけれど、あの体の大きさでは足先をはみ出させるか、膝を曲げることになりそう。柔らかくてもマットレスとは違うし、狭くて寝返りもうてないだろうから、体を痛めそうだ。やっぱりわたしが向こうで寝たほうがいい気がする。
 気になってそわそわしていたら眠れなかった。
 これから先も、ずっとそうするつもりなんだろうか。どうするんだろうと考えて、些細な未来の想像は瞬く間に不安へとすり替わった。

 ――ずっと、こうして生きてくことになるんだろうか。

 もう家に帰れないんだろうか。
 もう家族に会えないんだろうか。
 もうわたしの居場所なんてなくなっちゃった?
 もう“わたし”なんて、どこにもいなくなっちゃった?

「……おかあさん」

 顔を合わせるのなんて盆正月の帰省くらい。忙しいとかめんどくさいとか言って、それだってしないときがあった。
 けれど、しないのと、出来ないのとは、大きく違うんだ。

「……おかーさん……」

 自分の出した声が思いの外震えていて、幼く拙い響きがあんまりにも情けなくて、なんだかちょっぴり泣けた。
 一度ぽろりと零れだすと、他にもぽろぽろ後を続いて止まらなくなって、ついには喉がひくつきはじめる。しゃくりあげるとはこういうことを言うんだ。呑気にそんな事を思う自分と、まとまらない考えをぐちゃぐちゃとかき混ぜる自分とがいた。
 どうしたらいいんですか先生。
 そんな日もありませう。毎日ならば神経衰弱です。即刻病院へ。


 back 

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -