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 ばいばい、と手を振ったのは、ジョディさんとキャメルさん、そして女の人がもうひとり。
 零くんさんはごはんの後にどこかへ行ってそれっきり。けれど、秀一さんがデスクを離れたのはあの会議のようなものの時だけで、秀一さんのところへ何かを持ってきたり話しに来たりする人も、いつもより少なかった。
 単純に、みんな忙しかったのかもしれず、たまたま今日がそういう日だったのかもしれない。けれど、秀一さんだけに用事があるのにわたしが付いてきてしまうと敬遠したのかもしれないというのは、一日を通した感じからして、充分ありえそうである。
 秀一さんの腕の中、申し訳ないと反省しながら揺られて少し。
 ビルを出てすぐのことだった。

「かくれんぼは飽きたか」

 特に前置きもなく、おもむろに秀一さんがそう訊いてきた。

「えっ、ぜ、ぜんぜん……」

 一体どうしたんだろうと思いながら返せば、秀一さんはそれまでさくさくと迷いなかった足を止めた。そして、ちらりとわたしを見下ろす。

「降谷くんの誘いも断っていただろう」
「あ……」

 そうだ。食事を終えたあと、またやろうか、と零くんさんに聞かれたのだった。
 前にそうして遊んでくれたこともそうだし、入院中に掛けてくれたのは社交辞令からくる言葉ではなかったのだと、とても嬉しくなった。それは事実だ。
 けれどなぜか、すぐさまに頷こうと意識したはずの首が動かなかったのだ。うん、と、簡単な二文字を発しようとしたはずの喉は震えなかった。肯定の意思を込め、それを示すための形を作っただろうと思い込んだ頬は固まっていて、自分が思うよりもはるかに手前の段階で動きを止めていた。
 わたしのそのさまを見て、零くんさんは、わたしがそれに気づいて訂正を入れる前に、遮るように「ごめんね」と言ったのだ。それから、「今日はよそうか」と。

「……えと、その、あ、あきて、ない……いやじゃ、なくて……えと……」
「……そうか。今日は気分が乗らなかったんだな」

 秀一さんはどことなく断定的な声色でそう言った。
 そういうことを自分でもはっきりとわからない場合がある、と、その口調で、まっすぐ目を見据えたまま続けられれば、そういうものかなと思ってしまう。頷いてみせれば、秀一さんはまた歩み始めた。
 その、動き始めた景色の様子が違って、思わず首を傾げた。
 もしやマッピングでもしているのだろうかと思うほど毎日色んな道を辿って帰る秀一さんだけれど、やはり家がひとつである限り向かう方向というのは決まっているのだ。なのでえふびーあいのビルを出てからある一定の距離の間は近頃デジャヴばかりが常だったのだが、今日は違った。

 秀一さんは、てくてくと、明らかに意志を持って、そこに入った。幾分過ぎて道の隅に寄り足を止めたところからして、ただ通過するためにやってきたのではないようだ。 
 道の脇、植え込みから飛び出た四角いプレートに、シンプルながらもおしゃれな字体で、おそらくこの場所を示すのだろう文字が刻まれている。

「してぃ……はる、ぱーく?」

 ふっと、頭上から、息を漏らす音が降ってくる。

「惜しいな。シティホールパークだ」
「ほーる」
「その名の通り、市庁舎……役場として作られた建物の周りにある公園」

 もはや今更わたしのめちゃくちゃに拙い日本語発音なこととか、秀一さんのめちゃくちゃに良い発音だとか、その二つの差異だとかに落ち込んだり恥ずかしがったりはしない。うーん間違えた、もう一問。
 ……うそだ、わりと恥ずかしいしできれば巻き戻したい。小学生でも知っている単語なのではなかろーか。というかわたしでもちゃんと一拍置けば音まで読めた。反射的に言ってしまっただけなのだ。あるじゃないですか脳内では好きに読んでる事件。アルトとかようつべとか。そういうやつです。ありますよね先生。せやなってだいぶ投げやりな相槌ですね先生。
 改めて音も聞いて認識してみれば、その響きにも覚えがあると気づいた。しかも結構最近……

「あ、れーくん」
「何?」

 うっかり出したわたしの声に、秀一さんがわたしの視線の先を追ったので、違う違うそこに零くんさんはいません眠ってなんかいませんと慌ててジャケットの襟を引っ張ってしまった。何から何までやらかし。

「あ、あの、れーくんがいってた……してぃ、ほーるぱーく」

 ともあれ、そういう話をしてたなって思い出しただけなんですということは通じたらしい。秀一さんは納得するようにああ、と言ってわたしを見下ろした。

「彼はなんと?」
「う、うんと……」
「……」
「……いろんなおとがする……」

 まるでネタ切れを起こした夏休みの小学生の宿題みたいになってしまった。ごはんがおいしかったです。縦長のひらがなに字間たっぷり。
 実際にはそれはただの例えというか前説みたいなもので、本題はもうちょっとほほーっとなる話だったはずなのだけれど、うまく説明する言葉が出てこない。まず秀一さんはあの時のことをどこまで知っているんだろう。
 えーとえーとと言葉を探して、ちょっぴり諦めかけたタイミングで、秀一さんはそれが分かったかのように待つのをやめて口を開いた。

「……なるほど。そうだな。日によってはもっと騒がしいこともある」

 ご、ごめんない零くんさん、不名誉な印象操作をしてしまったかもしれない。


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