NO HOPE

「わかった、教える、教えるからたす――」

 命乞いの言葉は、パシュ、と軽い音に遮られ途切れた。
 僕に縋るようにしていた小汚く醜い男は、額からぷしゅりと血液を飛ばし、あっという間に物言わぬ塊に成り果ててしまった。きっと腐肉になるのもすぐだろう。
 彼にその終焉を齎したのは、背後にいた“仲間”の男だった。振り返ってその相貌を見てみれば、たった今その手に持つ凶器の引き金を引いたのだとは思えないほど平静で、何事もないかのように涼しげなものだった。

「なぜ撃ったんです。せっかく情報を引き出せそうだったのに――」
「ジンの命令はこの男を殺すことだ」
「彼にはまだ生かしておくメリットがあったんですよ。組織の益になり得た。あなたにもそう伝えたはずだ」
「お前の命令を聞くようには言われていない」
「命令じゃなく状況を見た上での提言です」
「言葉を聞き入れろとも言われていない」

 僕などまるで歯牙にもかけないその態度に、カッと、頭に血がのぼるのを感じた。衝動的に動いた拳は男の頬にまっすぐぶつかり、男はその勢いの分だけ仰け反りよろけた。胸元を掴み引っ張るが、男はその手も銃も使おうとはせず、なされるがまま敵意すらみせない。

「どうしてやられっぱなしなんですか!」
「お前に傷を付けるなと言われている」

 しかし、銃を取り上げ向けようとするとその銃口を掴み己から逸らす。

「死んで良いとの命もない」

 仄暗い緑の瞳は、ただただ情けない僕の顔を映すのみ。
 何を言ったって無駄だ。そう、こいつは、犬なのだ。


 ――ライ。
 ジンの猟犬。そう呼ばれている組織のメンバーだ。ジンに忠実で、その命令はどんなものであろうと確実に成し遂げ、命令外のことは決して行わない。まるで情というものを感じさせない、無機質な男。他の任務がない限りいつもジンに付き従っていて、彼の許可なくば他人と喋ることもしない。
 彼について、組織内であまりいい声はあがらない。白痴、唖、気違い、薬物依存、快楽殺人者、サイコパス、ヘマトフィリア、ネクロフィリア、果てはジンと寝ているだの、ゲイでセックス中毒だの、実はアンドロイドなんじゃないかだのといった与太話まで。当人はそういった散々な揶揄をいくらされようが他人事のようにこれっぽっちも気にもしないで黙っている。
 常にジンといるという点では弟分のウォッカと変わらないように思えるが、彼はウォッカと違って隣に立たないし、酒や食事の際にもずっと傍に控えたままで、共にすることは決してない。もしかしたら違う場合もあるのかもしれないが、少なくとも僕の知る限り、他の構成員の目撃するところではそうだった。

「逃しかけたんだってな、バーボン」

 その時も、ライはソファにふんぞり返りタバコをふかすジンの背後で静かに立っていた。
 ライの目にし耳にした事柄は全て余すことなくジンに伝わる。実のところ白痴どころか頭の出来自体はそこらの下っ端より遥かに良いようだから、求められれば会話も一字一句間違えることなく告げるだろう。

「生かしてやる価値はなかったが……まだ使いようがあったか。勿体ねえことをした。あれがそこまで掴んでいたとは思わなかったんでな――こいつは融通が効かねえんだ」

 低く笑い、ジンはフィルター部分を指で挟んで口から離す。
 その動作を見たライがジンの手の横へ掌をすっと差し出した。
 ジンは当たり前のようにそれに灰を落とし、もう一度吸ってゆっくりと煙を吐くと、短くもないタバコを擦り付ける。熱さに体を跳ねさせることも、眉を寄せることもなく、耐えた様子すら一切見せず、ライは吸い殻を握り込みポケットへと入れた。

「まあ、あの愚図よりも何倍もマシだがな」

 おい、との呼びかけに、ライがジンの方へ僅かに身を屈める。

「次同じことがあれば一度連絡を寄越せ」
「分かった」
「もういいぜ。じゃあな、バーボン」

 顎で去れと示されて、こちらを一瞥すらしない男をひと睨みしてから、その通りにした。
 こんな風にあしらわれることのない、もっと深いところまで食い込まなければ。そう、苦く思いながら。



 一時期、ライはノックなのではないのかという疑念を抱いたこともあった。
 けれど彼はジンに命令されるがまま、CIAだろうとFBIだろうと区別なくあらゆる人間を手に掛けている。――公安の人間も、例外なく。
 だからあの件から、万が一にもそれはないと判じて、警戒しながら慎重に行動してきたというのに。

「――じゃあ、キュラソーを奪還して、ノックリストを手に入れるべきじゃないの!? ジン! 我々が本当にノックか、それを確認してからでも遅くはないはずよ!」
「そうだな、その通りだ」

 おい、と。その声にゾッとした。
 暗い倉庫の影から、ジンの呼びかけで姿を表したのは、想像どおりの、黒く長い毛を靡かせる犬。

「ライ――」

 キールが漏らした声に、ジンが舌打ちをする。
 ジンは滅多にライの名を呼ばないが、自分以外がライの名を呼ぶことにひどく不快を示すのだ。

「ノックリストは?」
「確保した」
「こいつらはネズミか?」
「そうだ」
「やれ。――ライ」

 命令に頷いて、ライは素早く銃を取り出し、その腕を持ち上げた。
 ネズミ狩りも仕事の一つとするその男に銃口を向けられることは、使命を遂げれぬこととほぼ同義だ。
 ――つまり、僕も。彼女も。


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