けたて汐

「大変だよ秀兄!」

 歳の頃からして活気に溢れ元気な盛り、騒がしく帰宅するのはしばしばあることだったが、その日は一等激しかった。ドタドタと全体重をかけ踵をぶつけるような足音に、蝶番が外れるのではと心配になるほど荒々しく開け放たれ壁にぶつかった扉。
 その犯人はそれについて窘める隙も与えず俺の背にタックルしてきて、思った以上の衝撃にうっかり卵を潰しかけた。どうにかこうにかすんでのところで堪えたお陰で、殻取りに苦慮する自体は回避できたが。

「こら」

 振り向いて告げた俺の一言で、腰に抱きついた彼女はハッとしてその勢いを萎ませ、それまでの溌剌としたものから一転、しおらしい顔つきになる。

「ご、ごめんなさい」
「話はちゃんと聞くから、とりあえず手を洗って着替えて来い」
「はあい……」

 しょぼくれた声をあげる彼女の頭を撫でてやり、癖の強い黒髪を梳きながら、「今日はオムライスだぞ」と言ってやれば、彼女はこれまたころりと表情を変えた。眉を上げて目を輝かせ、口角を持ち上げるさまはぱっと花開くようで、ついついなんでも許してしまいたくなる笑顔だ。俺の弱点でもある。

「ホント!? あの切ってとろっとするやつ?」
「その切ってとろっとするやつ」
「待って! すぐ済ませるから! ボクが戻るまで、絶対切らないでね!」
「急がなくていい」
「急ぐよ!」

 声を張り上げながら駆け去っていく背を見送り、先程死守した卵を丁寧に割って、中身をボウルへと落としかき混ぜる。
 タンポポオムライスは彼女の好物のうちの一つであり、俺の得意料理のうちの一つだ。外食で出て来たのがいたく気に入ったようで家でも食べたいとせがまれ、散々失敗しながら練習して習得したのである。料理のリの字も知らなかった十年前、米を洗剤で研ぎかけたところから随分進歩したもんだ。それも全て、彼女――妹である真純可愛さゆえである。
 出会った当初はまだ幼女と言っても差し支えなかった真純も今や十七歳、花の女子高生だ。少々気性の荒いきらいはあるが、なかなかまっすぐ健やかに育ってくれた。
 家を空けがちで、今もアメリカだかイギリスだかに飛んでいる母親の代わりにあれこれと親じみたことをすることが多かったのでひどく感慨深い。
 そのまま何事もなくイチ高校生として青春を謳歌したのち卒業し、ほどほどの大学へ進んでくれれば、と思っていたのだが。

 盛り付け終えた皿を並べたダイニングテーブルを挟んで、向かい合わせに座る。
 ガワにナイフを滑らせとろとろと半熟卵が雪崩れる様をきらきらしながら見守り、一口ぱくりと食べて頬を緩め、勢いづいて更に二口三口、止まらないといった具合にもっと。作った側からしたら最大級の賛辞となる表情と食いっぷりを見せた真純だったが、その波が落ち着くと手を止め、えらく真剣な調子で言い放った。

「新一がいなくなっちゃったんだ」

 来てしまったか、と心臓麻痺の神のように頭を抱えそうになった。
 上着やマフラーが手放せないほど冷え込んでいるらしい今日この頃、真純やその同級生からすれば、“高校二年生の冬”である時期。
 彼を親しげに呼び捨て、友人とも形容できる関係を築いて遊び回り、伸びた髪を結わえもする妹がいようと、ある意味歪みなくコトは起きてしまったらしい。
 スプーンを咥えて眉を下げる真純は、明らかに気落ちしている。
 そう、“シンイチ”とは、真純の同級生であり、友人であると同時に想い人であり、意中の人物がいるくせに明言せず、真純に思わせぶりな態度を取るけしからん野郎なのである。
 いやそれを知りながら好意を寄せているのは真純のほうだけれども。悲しいかな簡単には諦められない想いであるらしい。向こうはスッカリサッパリ忘れ去っていたというのに、十年前の浜辺で出会ったときに火がついた初恋を未だ立ち消えさせず燃やしているとは、我が妹ながら天晴というかなかなか執念深いというか。不滅の法灯よろしく来来来世にまで灯し続けそうだ。

「元々ひと処にじっとしていない子なんだろう?」
「そうだけど、今回はいつもと違うんだ。蘭ちゃんとのデート中にいなくなったんだよ。あんなに楽しみにしてたのに、その後のフォローどころかさっぱり音沙汰なしで、それからもう二日も学校に来てない」

 片思いをしている割に“デート”などという地雷臭のする単語をあっけらかんと口にし、更には恋敵となる女の子と仲がいいというのだから不思議なもんである。最近の女子高生はみんなそんな感じなのだろうか。

「家には行ったのか?」
「もぬけの殻さ。まあでもそれだけだったら、単に両親の元にいるって可能性もあるんだけど。あそこ、おばさんもおじさんもちょっと突飛だろ?」

 まあそれに関してはうちも人様のことを言えないところがあるが真純の言うとおりである。
 現在アメリカ在住の小説家と元女優だというシンイチの両親はたびたび奇天烈なことをしでかす、そういうエピソードは、真純を経由して、ときにテレビや新聞越しに入ってくるのだ。

「ただ、おかしなことがあって」

 ほお、と、相槌がやや気のない風になってしまったが、真純はそれを気にせず続けた。

「男の子がいたんだってさ。新一がいなくなったその日の工藤邸に、なぜか阿笠博士と一緒に」
「……阿笠と言うと、工藤家の隣に住む?」
「そう。有希子さんたちは相変わらずの留守なのにだ。小学生くらいの男の子で、名前が“江戸川コナン”」
「それはまた……」

 初めて耳にするわけではないとはいえ、改めて人の口から飛び出ると異様なファンタジーさとキラキラっぷりを感じる。確か書棚の本から失敬したもののはずだが、それと子供が並ぶ姿を見て、毛利の娘さんも何か思うところはなかったのだろうか。好きな男にほっぽって帰られた後だから正常な精神状態ではなかったかもしれんな。

「親が日本を離れてるとかで、博士に頼まれて、今蘭ちゃんのところで預かってるんだって。不似合いなくらいおっきなやつをかけた眼鏡っ子なんだけど、どうも、あれを取った顔が、ボクのよーく知るものに似てる気がしてね……」

 ぱくりぱくりと口に運ぶオムライスの、食感がいつもと相違ないのを無駄に念入りに確認してみる。うーん変わらん。

「新一にさ」

 恋した男の子のファーストコンタクトどんぴしゃの姿であれば、そりゃあ既視感たっぷり確信にも近くなるだろう。むしろよくそれで行けると思ったな。

「……親族なんじゃないのか」
「そういうことは言ってなかったけど」
「事情があるんだろう」
「従兄弟にしては似すぎだと思うんだよな……それに、新一がいなくなったタイミングでやってくるなんておかしくないか? もしかして隠し子とか?」
「――あまりよその家庭について無遠慮に詮索するのは感心しない。妙なことに首を突っ込むな」

 いまいち納得していない面の真純だったが、妹に甘い俺がここまで言う事は滅多にないもんだからか、しぶしぶといった風に頷いた。

「友人が心配なのは分かる。なんなら俺から工藤氏に連絡を入れておくから、大人しくしていろ。もし万が一事件性があった場合、お前が巻き込まれかねないんだ」
「……分かったよ」


 ――という話だったはずなのだが。

『どう思う? 秀兄』
「犯行可能な場にいたからといって容疑者がそれだけだとも、発見時の体勢がイコール致死の傷を負った瞬間と同様であるとも限らない。刃が上を向いていたのは、そもそも持ち手の概念のないものがそれを握っていたからかもしれない。周囲の状況的に、床に妙な跡でもあれば、犯人は既に生きてはいないということも考えられるが」
『そうか――サンキュ!』
「そんなことより早く――」

 帰ってこい、と俺が言う前に、通話はぶつりと切れてしまった。
 今日は毛利の娘さん宅で遊んでから帰ってくるという話だったが、どうやら毛利探偵の元へアイドルが依頼にやってきたとかで、ミーハーな娘さんと共についていってしまったところ、アイドルの自宅で殺害された遺体を発見してしまったらしい。そんなとんでもない状況であるにも関わらず、真純の声に恐怖は一切見られず、むしろ興奮したように浮ついていた。
 シンイチに影響されてか、恐らく一緒にいるとよく遭遇するのも相まって、真純はやたら探偵まがいのことをしたがるし、そういうときはなかなか言葉を聞き入れてくれないのだ。そこがまたけしからんポイントでもある。
 何かの修正力を感じなくもないが、やはり兄より想い人ということか。
 まあおそらく時期的にも性質的にも“彼”の同級生が重大な被害を被りはしないだろうが、俺がこうしていてあの場に真純がいる以上、予想外の事が起きる可能性もある。
 仕方ないから迎えに行こうと、鍋の火を止めて身支度をし、車のキーと財布を持って家を出た。




「ねえ、真純姉ちゃんのお兄さんって、何してる人だっけ?」
「うん? まるで知ってたみたいな聞き方だね」
「あっ、あの、新一兄ちゃんが言ってたような気がして!」
「へえ、そんな話してたのか? 彼。――秘密だよ、当ててみな」


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