Arethusa

「仮にも仕事中だったんだよ。作戦会議でなんて言った? 全部ボクの言うとおりにするって言ったんだよね? ボクが何かないかって聞いても、考えがあるなら組み込むって伺っても、無理だとかしたくないと思うなら止めていいって譲っても、ボクの指示に従うからってそればっかり、ずっとそうして一本調子だからあの位置についたんだよね、それは覚えてるよね? そりゃ最中はちゃんとやってくれてたよ、もうやりすぎなぐらいしっかりばっちり全員死なずに苦しんで戦意喪失かつ行動不能になってたよ、出来てたよ最中だけは! 遠足じゃないけど全部終わって帰ってくるまでが一つの行動でしょ? 狙撃だって引鉄を引くだけ、撃って終わりじゃなくて、道具の仕入れ手入れから現地の状態把握、場所と逃走経路の確保、目標の行動確認、姿勢を整え計算をしてタイミングを図って射撃、着弾の確認、排莢と回収、片付けに離脱、生還かつ報告までしてようやく“成功”でしょ? 一連の流れのことをそう呼ぶはずだよ、本業ならもっと細かい工程があるって言いたいぐらいなんじゃない? それを全部放り投げて音信不通になって挙句紐なしバンジーってどういうことなの? 何が労はかけないだよオレは余計な救助活動までする羽目になった上ただでさえどうなってっか分からねー寿命が無駄に縮まったっつーの!」

 約束したくせに、オレに返事をしたくせに、あっさりと手放そうとする。同じ方向を向いて手を取って歩んでいたと思っていて、頑張った、やりきった、報われたと、歓喜と達成感にあふれて、それを共有したいと思っているさなかにだ。
 とてつもなく、心底、これまでにないほど腹が立った!
 誰だってそーなるはずだ。それくらい言ってもバチはあたんねーだろ。
 そういえばまだオレの体についてはカミングアウトしていなかった、なんて、言ってしまってからハッとはしたものの、赤井さんはその点については触れず、ただだこうべを垂れて申し訳なさそうにしていた。まるで耳を伏せるか腹を晒すかした犬のように。

「…………おっしゃる通り…………」


 その投身事件から以降、明確に何が契機かは分からないものの、赤井さんは穏やかで落ち着いた様子で、しかも以前のような纏わりついていた濃い疲労感は鳴りを潜め、瞳も昏く沈むことがなくなった。
 驚くべきことに、表情は長い冬をようやく終え雪解けを迎えたかのよう柔らかくなり、自然な笑顔を浮かべるようにもなっていたのだ。


 更にニ週間と少し後。
 そんな赤井さんが情緒不安定になっている、との連絡自体はすぐに来た。検査を行ったというのも、その結果も。
 ジェイムズさんや降谷さんのツテを使い、何かあれば連絡が来るようにはしていたのだ。
 けれど組織のボスを捕らえただけでは、打ち倒した、収束したとは言えず、計画に深く関わり指揮まで執った分、そして自分の責任意識としても、他の構成員の捕縛や関係者の洗い出しと摘発や、薬についての情報収集に整理に、その所有や研究において今後の方針や権利の在処を決めたりといった事後処理をしなければならなかったし――それになにより、オレにはコナンと新一についての始末という大きな課題が待ち受けていた。
 探偵団やおっちゃんや世良、蘭たちとのひと悶着、どころかふた悶着もみ悶着もあって、赤井のことは任せろと言う降谷さんの言葉に甘え、連絡があってからしばらく来ていなかったのである。

「まさかまたバカなことしようとしてないよね」
「してない、しない。おそらくきみが想像するようなことは、全く」

 オレのマジギレはなかなか堪えたのか、赤井さんは以前にも増した恭順さを滲ませ即答した。

「それならいいんだけど。……本当に心配してるんだ。不便や不安があるならちゃんと教えて」
「いや、もう何も。強いて言うなら腹が空くことくらいだ」
「そういえば最近降谷さんの差し入れ食べてるんだっけ」
「ああ。彼の飯は美味いな、改めて分かった」
「病院食と比べたらそうだろうね」
「ん……まあ、そうだ」

 考え過ぎなのか、どうにも他に思うところのありそうな、少しの間が気になる。
 今まで最低限すら食べないこともあった人だ。食べたいと思えて、美味しいと言えて、胃におさめることができるのならそれに越したことはないだろうけれど。
 空腹以外にも、今までちらとも口にしなかった暑いだとか寒いだとかといった訴えも見られるという。情動的な面も変化が見られるし、もしかしたら満腹中枢を含めた視床下部やその周辺に異常が起きているのでは、という話もあった。
 脳は繊細だ。物質的には些細なことが、人間としての機能に大きく影響を齎す。それに寡黙で恥ずかしがり屋だ。その“些細なこと”を、密集する神経細胞に隠し、複雑な構造の内に秘め、目に見えるような主張をせず、後々手遅れになった頃に発覚するということがしばしばあるのだ。
 降谷さんが再度検査を行うよう手配したと聞いたときには焦ったもんである。また若干寿命が縮められる思いもした。
 赤井さんの入院が長引いているのは、怪我の治りもあるが、そうした様子観察の意味合いが強かった。

「体はどう?」

 そう言って触れると、赤井さんはわずかにびくりと体を跳ねさせ、少し顔を顰めた。

「……ッ」
「あっ、ご、ごめんね」

 普通の人間としてはやや薄くもとれる反応だけれど、火傷を負おうが刃物を掴もうがケロリとしていた人がするには随分大仰で、それにも毎度驚いてしまう。
 元々の閾値が高すぎるにしろ、痛みにもかなり弱くなったように思える。それも不安要素の一つだ。

「……まだ痛い」

 そうみたいだね、と相づちを打とうとしたとき、背後からばさりと音がした。
 振り返ってみると、ちょうど扉を開けたといったていでスーツ姿の降谷さんが立っていて、その足元にはチラシやパンフレットのようなものが散らばっていた。
 印刷されているのは建物やその内装、間取り、地図なんかの画像や数字。どうも賃貸や分譲マンションの情報らしい。よくよく見てみると土地や戸建ての見学会や展示会のチラシまである。
 もしかして、赤井さんが引っ越したいとでも言ったのだろうか。
 そんなことを考えている間に、降谷さんはカツカツとベッドに近寄り、床頭台に持っていた紙袋を若干荒っぽく置いた。そして、

「ああ、ありがとう。今日は何――」

 と、紙袋に伸ばした赤井さんの手を、握手するようぱしりと掴んだ。

「どうした」
「あなたさっき何て?」
「なんだまた……」

 ぎゅっと、降谷さんが手に力を入れたのが見て取れた。

「おい、痛い」
「これが?」
「痛い痛い」
「ほんとうに?」
「あだだ待て待て」

 ぎゅうう、と端からみても痛そうなぐらい握り込まれて、赤井さんが逃れようと手を振り腕を引くが、降谷さんは緩めもせずにそのさまを凝視している。

「本当に痛いんだ、やめろ、きみの握力が凄まじいのは、充分わかったから……」
「……」
「あの、降谷さん、さすがに怪我人だし……」
「…………」

 近寄ってスーツの肘部分を引っ張ってみたがびくともしなかった。するわけねーか、思えばこの人組織の武闘派を素手で殴り倒してたからな。

「……降谷さん?」
「………………」

 降谷さんは不意にぱっと手を離したかと思えば、今度はがばりと抱きついた。もちろん赤井さんに。

「――――ッ!?」

 その瞬間、赤井さんの口あたりから、初めて聞くような、声にならない悲鳴のようなものが飛び出た。そんな声出んのかよ。それマジでそこから出たのかよ。

「た、助けてくれ……」

 そうして降谷さんの肩越しに縋るように視線を飛ばされ手を伸ばされたが、オレには無理な相談だ。
 降谷さんのボクシング仕込みだという逞しい肉体を、こんなひょろくてちっさい小学生が引き剥がせるわけがない。物理的に不可能だ。元の姿でも怪しい。もうちょっとどうにかできる状況で頼ってくれねーかな。
 救出は諦めてチラシやパンフを集め、あとは応援することにして十数分。
 耐えかねた赤井さんがナースコールを押し看護師が駆けつけてくるまで、もはや一種の拷問なのではというその光景は続いた。


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