誰が為の滑落か

『お掛けになった番号は、現在使われておりません』
『午後七時、三十九分、三十秒をお知らせします』
『事件ですか? 事故ですか?』

 大事件である。しかし刑事的なかほりの“か”もないあまりに個人的な話であるので、民事不介入の先方に訴えても仕方のないことだろう。タップ。通話終了。これでこの番号はいたずら通報野郎のものとして記録が残ってしまうね。そうだ、番号を変えよう。
 ――と言いたいところだったのだが、今の俺には端末の買い換え代はおろか、基本の通信料すら支払う能力がない。
 なんたって俺の現在の所持品、この端末と服と体、以上。終わり。恐らく他のどこにも資産評価のできるものは一切ない。そうだろうということが、この数十分で嫌というほどわかってしまった。見切りが早いのが俺の長所です。嘘です。そうでもないです。
 しかし、こういう場合は例えば移動前や移動後に説明や解説が入ったり、案内人ポジションの人物と接触するイベントが起きたりするものではなかろうか。だというのに自称カミサマとかが申し訳ござらんちんとかあなたは選ばれたとかお前に拒否権はないとかのガイダンスをしてくることもなければ、モンスターに遭遇して凛々しい女戦士の戦いっぷりを拝んだり人買いに襲われるエルフをまだ自覚のない謎の力を発揮して助けたりということもなかった。
 俺が立っているのは真理の扉の前でもどこぞのファンタジーな森でもなく雑踏のさなか。空や風を遮って並び立つビル群に、それらの隙間を縫って張り巡らされたアスファルトの街路、のうちの一つである。気づいてしまった多分事実に近い事柄に思わず足を止めたおかげで、そこそこ多い人の流れは俺を避けるため一部くにりと向きを変えてやや動きを悪くしていた。
 しかし、何だコイツはた迷惑だなという視線は向けてきても、誰も俺に障害物以上の認識を持っている様子はない。避けてしまえばその僅かな関心すらも失っていく。そこらに立ってる木や看板と同じような扱いだ。ヘッドホン装備でスマホを凝視しながら歩いてきてぶつかり、気だるそうに顔を上げて俺を睨み、チッと舌打ちをした若者が、初めて俺が人間であることを認めたと存在と言ってもいいだろう。実質第一村人。お話聞くどころかこんにちはという暇もなくそのまま歩き去ってしまったのだが。
 ひとまず邪魔になりそうなので道の端に寄り、あてもなくトボトボと歩く。どうやらそれなりに賑わっている街のようで、人混みの中にはそういう人間もいるため、別段目立つこともなく埋没しているだろう。
 ううん、どうするか。オッケーグー○ル、家も職場も家族も上司も友人も消え去ってしまってここがどこかも分からないときの対処法。恥も外聞もなくマジで聞いてみたら、こちらをご覧くださいと人付き合いに疲れた人向けの質問系SNSや情報サイトを提示されてしまった。ネットは繋がるんだよな。なんか微妙にUIが違うし見たことのないサイトばっかり出てくるけど。でも違うそうじゃない。
 通りがかりのお姉さんが微妙な顔で俺をチラ見していった。待ってくれ第二村人。追いかけたら痴漢扱い不可避そうなので心の中で手を伸ばすに留めた。

 そんなこんなでうろうろと歩き回りながらしょうもない質問を繰り返してはグー○ルアシスタントに適当にあしらわれ呆れられシカトされ、無駄に消費した充電が二十%を切った頃だった。
 ――ふいに、ぐっと腕を引かれた。

「……キルシュ?」

 そして、聞いたこともない謎の単語を投げかけられた。
 腕を掴む手から腕へ肩へと辿った先にあったのは、サーファーみたいなカラーリングの、整った男の顔。なにやらひどく驚いたように目を見開いている。その色は青。カラコンか? フチがだいぶ自然でこだわりを感じる。
 ともあれ全く見覚えのない面だ。

「えっと……なんですか?」

 俺のそれに、男は動揺した様子を見せたものの、手を離すことなく俺の姿を何度も何度も足先から頭の天辺まで見回し、小さな声で「やっぱり」とか「たしかに」とかなんとかブツブツ呟いている。ヤバい人なのかもしれない。今度こそ事件なんじゃないか。今こそイチイチゼロの出番なんじゃないか。
 いつでもワンタップで繋がるようにしておこうとそろそろ動かした指を、男は目ざとく見遣り、ぐっと表情を引き締めた。エッこわ。

「キルシュ、生きていたんですね」
「生きて……?」

 何それ俺自分をめちゃくちゃ生きてると思ってたけど実は死んでた? 改めて聞かれると自信がなくなっちゃう。

「今までどこにいたんですか?」
「どこって、そこらを、歩いて……」
「その前は? あれから今までって意味です。どこに住んでたんですか? 何をしていたんですか? どうやって免れた? 何があったんですか? どうして今まで沈黙を? なぜ今ここに?」

 幼児の好奇心もかくやという具合に矢継ぎ早に質問パンチを飛ばしてくるがちょっと待って欲しい。なぜこの男はそんなことを俺に聞いてくるんだ。キルシュってなんだ。そもそもこの男は誰なんだ。

「一言くらい連絡をくれたって、いや、僕に、その資格はない、ですよね。――ヒロを、止められなかった。すみません、僕がついていながら。あなたに頼まれたのに。あなたが築き上げ、手繰り寄せた全てを無駄にしてしまった。でも、あれから僕も――」

 伏し目がちにしおらしくペラペラと何事か言っていた男は、俺を見てザッと血の気の引いたような顔をした。

「……もしかして、覚えていないんですか」

 覚えていないも何も忘れるようなモノが元からないに一票。もうちょっと早く気づいてくれないと優柔不断で主体性のない俺はもしかしたらそうだったかもとノリにノッてつじつま合わせに作話を始めてしまうところだったじゃないですか。危ない危ない。

「……人違い、かと」
「そんなわけありません! その顔で、その目で、その声で、その体で、“それ”を持っている! 間違いなくあなただ!」

 やんわり伝えた言葉に急に声を荒らげられてビビらない人いる? いるかもしれないけど俺はビビる。
 こわっマジでヤバい人だと後ずさったら、男はハッとしたように口を噤んだが、それでも手は離してくれない。おまわりさんまだダメですか? 何も不穏なことを言われたわけじゃないから脅迫にはならないよな。

「僕が、誰かも、わかりませんか?」

 そりゃまあ……と恐る恐る、引き気味に頷く。男はぐっと眉根を寄せて険しい顔をした。ヤダァいくら顔が良くても表情が怖いと怖い。むしろ顔が綺麗な分迫力が六割増くらいに感じる。
 世の中似た顔の人間も似た声の人間も似た体格の人間も同じもの持ってる人間もいるよ。俺は男ほどよく整っているわけでもないにせよ特に癖のないそこらへんにいそうなエキストラっぽい容姿であるし、この端末そこそこメジャーな量産品でカラーもスタンダードな黒だし。はじめに確認しろよとは思うけど久々に会う知り合いとかだったらテンション上がっちゃうのもまあ分かる、今度から気をつけてね。
 あのそれじゃあそういうことでってな感じに離脱を試みたが、男は失礼しましたと頭を下げるどころか腕を掴む力を強め、更にぐっと自分の方に俺を引っ張った。

「どこへいくつもりなんですか」
「いや、まあ、そのへんに」
「その辺って? 目的地は? なにか予定があるんですか?」
「な、ええと、まあ」
「ないんですね?」
「……ある」
「じゃあ教えてください」
「なぜ?」
「知りたいんです」
「答える義理が俺にあると?」
「もちろん」

 そんなアホな。
 もしかしてこれ、単に足を止めてもらうためだけに知人を装っただけであって、他に目的があったりするのか。まんまと引っかかったのか俺は。バカ高い飲み屋や怪しい事務所に連れて行かれたりするのは勘弁願いたい。
 ただでさえ茶化しちゃいるが実際問題笑えないレベルでとんでもない事態になっているというのに、更に不審者に絡まれるって今日の俺の運勢どうなってんだ。厄年ではなかったはずだが物忌みが必要な日だったのか。それを教えてくれる星の一族がいなかったことが俺の敗因かな。
 なんだか目眩がしてきた。
 ちょっと俯いて空いた手を軽く握って額に当てると、男は慌てたように手の力を弱め、「大丈夫ですか」と俺の背中をさすりながら覗き込んできた。

「すみません、刺激してしまったみたいですね」
「いや……」
「家はどこです? 送ります」
「いえ、は……ない」
「――そうですか」

 意味のわからないことに感じる一種の比喩に近いファッション目眩かと思ったが、殊の外視界や頭がぐるぐるクラクラして、痛みまで感じる。ともすれば転んでしまいそうにふらつく体を、男の腕がぐっと抱き込んできて支えた。
 まぶたを閉じ、ろくな抵抗も出来ないまま、引きずられるままにほとんど反射のようにして歩く。しばらくしたところで、男は俺をどこかに座らせた。腿のあたりからまとめて足を持ち上げられて、体の向きを変えられる感覚。直後に、バタン、という音。もう一度。座面から響く低い振動。まずいと思っても目を開ければまだ世界が回っていてとてもじゃないが動けなかった。
 これがプロローグイベントになるんだろうか。せめて案内人キャラは女性がよかった。なんていうしょーもない思考は、痛みを和らげる気休めにもならなかった。



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