ぼくのかみさま

 僕には、“何か”が憑いている。
 それは、僕が不安に揺れるとき、途方に暮れるとき、悔しさに歯噛みするとき、涙を流すとき、どこからともなく現れては頭を撫で、身を擦り寄せ、抱擁し、涙を拭い、笑顔を浮かべ、まるで僕を気遣うような、慰めるような素振りを見せる。僕のために手間暇をかけ心を砕くのを苦にしないかのように、むしろあたかも僕を、大切な存在だと言うかのような態度を取る。
 ――それだけではなく、道や選択に迷い、困難にぶつかれば、進むべき先を指し示し、導くように手を引き、時に試すようにして、密やかに知恵と力を授けるのだ。
 物心ついたときから、今に至るまでずっと。

 “何か”は、決まった形というものを持たない。
 ある時は同じ年頃の子ども、ある時は杖をつく老人、女でも男でもあり、人種もさまざま、鳥や獣の姿を取ることもしばしば。気まぐれであるのか、場に相応しい外殻を選んでいるのか、意志とは無関係に変じているのかは定かではない。
 だというのになぜ、それらが同一の“何か”であると分かるのか。
 不思議とそんな接触を許してしまえる、警戒心を勝手に解かれるような感覚に陥り、事実受け入れてしまうから、というのもあるし――なにより、“何か”が僕の目の前にやってくるとき、あるいは去っていくときには、必ず同じ鈴の音を響かせるからだ。
 気を抜けば聞き逃してしまいそうな、雑踏に簡単に埋もれてしまいそうな小さなものだが、僕には確かに聞こえる。
 チリ、と。
 ――ほらまた。

「……」

 どうも、と言ったつもりが声になりきれず、口からはただただ空気が漏れ出た。たったそれだけでも、唇が、口内が、気道が、ひどく痛んだ気がする。うまく取り込めず、吐き出しも出来ず、ままならない呼吸に苦しさが増していく。
 霞む視界に、滲み出るようにして白が浮かび上がる。鈍った思考でも、それが“何か”であるということは分かった。
 もうこれで、会えるのも最後か。
 そう思うと惜しさのようなものが湧いて、それを網膜に、脳裏に、この胸のうちに、今に腐敗へ向かうそれらに焼き付けねば、という思いに駆られた。どのみち霧散して、消え失せていくというのならば、せめてそれの記憶と共にがいい。渾身の力で瞼を持ち上げて、食い入るように見つめる。
 今日は人型だ。白いワンピース、袖や裾から伸びるしなやかな四肢、膨らんだ胸部、さらりと流れるような黒の長髪、女であるらしい。瞳は僕よりも澄んだ青。
 今の僕に相応しい姿が、それなのだろうか。僕のために、選んだのか。それとも、僕の望みが、それなのか。
 手を伸ばそうとして力を込めたものの、筋肉は脳の発したはずの司令を受け取らなかったようで、指先が僅かに浮く程度にしか動かすことが出来なかった。そんな僕の掌を、白く柔らかな掌が包み込む。今日は触れられる日らしい。
 というのも、“何か”は、時に透けたような状態にもなるのだ。半透明であったり、ごく薄くほとんど気配のみであることも、はっきりと見えていながらまるで手応えなく飲み込まれてしまったり、ものをすり抜けたりすることもある。その様子は僕以外の人間にとっては更に不定のものらしく、僕と同様に人や獣として見えていることもあれば、全く別の姿でいることも、虚空に過ぎない場合もあるらしい。
 ともあれすかすかと宙を掻くことにならずに済んで良かった。流石に最後にそれでは味気なさ過ぎると、僕ですら思う。しかも今日は温かい。手向けのつもりだろうか。
 言いたいことは色々あった。“何か”は、いつでもよく話を聞いてくれるし、聞かせたところでそれを他所で利用したり、他人に吹聴することもなかったから、僕は“何か”の前では普段よりももっとお喋りだった。煩わしいことを何も考えずに、ただ思ったことを素直に口に出来た。
 ――きいて。
 緩んだ自制と懐古は、幼い気持ちをも連れ戻してくる。しかし、唇すらもう自分の意志通りには動いてくれない。意味のある音を出してくれないどころか、込み上がってきた体液を漏らすのも防ぎきれなかった。ぱたぱたと口元から落ちた液体で、薄汚れたシャツが赤く染まる。
 体のどこもかしこも、言うことを聞いてくれなくなってしまった。最早使命も全う出来まい。そして、この状況ではNOCだったと知られてしまうだろう。
 しぬこと、それ自体はきっと、そんなにこわくはない。望み叶わず、役に立てずにおわるのが、悔しいだけだ。

「……」

 “何か”は、せっかくいつもより特段端正に仕上がっている顔立ちを、くしゃりと歪めてしまった。まるで人間がやる、悲哀の表情のようだ。似合わない。
 ぎゅっと、僕の手を握る力が強まった。

「レイ」

 その瞬間、あれほど激しく全身を苛んでいた苦痛が消えたことよりも。流れ出ていたものがぴたりと止まったことよりも。

 ――喋った。

 もっと驚くべきそれに、頭が真っ白になった。

「縺昴i縺励c縺ケ繧九o」

 “何か”は、そう続けた。それまでの悲痛そうな表情から、どこか安堵したような笑みを浮かべて。
 意味はわからない。少なくとも僕の習得している言語にはかすりもしない。しかし初めて聞く儚い響きの声は、ふわりと耳に入り込んで――胸がじわりと温まる心地がした。





 夢というのは面白いもので、意外と自分の意思で操作出来てしまえる。
 はじめの頃は内容を忘れてしまったり、いいところで終わってしまったり、悪夢から逃げ回ったりと、思い通りにいかなくてもどかしくなったりしていたけれど、慣れてくると目覚めても覚えていられるようになり、最中の意識もはっきりとして、“動かし方”が分かるようになってくるのだ。
 コツを掴んでしまえば自由度はぐんと上がった。ストーリーを切り貼りしたり、同じシーンを繰り返したり、少し戻って別の展開にしてみたり、やめたくなれば覚醒して、二度寝で続きを見たりもできるし、空を飛ぶのも、海を歩くのもお手の物。歌も絵もスポーツも現実より遥かに上手に出来るし、どんな難しい問題でも解けるし、何と戦ったって負けないし、魔法だって使えてしまう。怖いものなしだ。
 アクションに恋愛に大冒険や宇宙旅行。子どもに男にも、鳩にも猫にもなれる。
 現実ではとてもありえないことを楽しめる、しかもタダで。仕事に追われ忙殺されそうな現実を忘れられる。眠るのが楽しみになって睡眠時間を削ることは極力しないようにとの意識が芽生えたし、夢を見ている状態は質のいい眠りではないとは聞くものの、削りに削っていた頃よりも心も体も調子がいい。
 人に言うにはちょっぴり恥ずかしいが、かなりお得でエコな趣味だ。
 最近は、夢に湧いて出てきたお気に入りの登場人物にスポットを当てて、たまーにちょっかいかけつつ、放って置くとどうなるかを観察する、ベリーライトな忙しい人向けシムなんとかっぽい遊びを楽しんでいる。
 その中で今のところ一番のお気に入りが“レイくん(仮称)”という男の子だ。
 金髪に青い目、可愛らしい顔つきが見ていて目の保養になると目を付けたのだけれど、思いの外やんちゃでお喋りさんで性格も可愛く、しかも私に懐いてくれたもので、ついつい構いたくって夢中になっていたら、いつの間にか泣き虫なちびっ子から立派な大人に成長してしまっていた。産んでもいないのに大きくなったねえと親じみた気持ちになる。いや、この場合産んだと言っていいのか?
 スーツをきめた社会人。部下もいて、ビシバシ指示を飛ばす姿も見られる。それでも可愛らしさが残ったままなのは私の願望が働いてしまったのだろうか。喜ばしい限りである。

 そんなある日、というか今日。その“レイくん”が、お仕事でウッカリ失敗をしてしまった。
 単なる忘れ物だとか発注ミスだとかならよかったのだが、やんちゃな半面とっても真面目で優秀でもあった“レイくん”は、なかなかに立派な職につき、危険を伴う、というより隣り合わせ、というか危険そのものの仕事をしているのだ。
 いつも通りちょこちょことこっそり手を出しつつも、あんまり介入しすぎるのもためにならないと親心に似た謎ポジ目線でハラハラと見守っていたのだけれど、ついにきてしまったのだ。いつか起こるかもしれないと危惧していた事態が。
 “失敗”した“レイくん”は――床に座り込み、腹部を抑えて、苦しそうに弱々しい呼吸を繰り返していた。
 いままで何人か、生を終えるのを見送ったことはある。でも“レイくん”はまだ若い。惜しい気持ちが大きくて、そして大好きなお喋りもできない“レイくん”の姿があまりにも衝撃的で、もうほとんど反射で、傍に膝をついてその手を取ってしまった。夢の中の話だというのに、その意識がスッカリ頭から飛んでいってしまっていた。自分でもびっくりするほど慌ててしまったのだ。
 喧嘩を仕掛けてくる子を返り討ちにし、ボクシングで試合相手を打ち負かし、襲いかかる犯罪者を無力化し、時に銃を握って引き金も引いた、褐色の、男らしい、頼もしい手。それが今は、弱々しく、私の手すら満足に掴めずにいる。その事実に、胸がきつく締め付けられるように痛んで苦しくなった。
 大丈夫だ、大丈夫。私はいくらでも覆せる。
 掌をぎゅっと握り、治れ治れと必死に念じていたら――

「……………………しゃべった」

 ――“レイくん”は、あたかもファーストフードのセットのおまけを見た子どものような事を言って、私をぽかんと見上げた。

「いやそらしゃべるわ」

 思わず素でツッコんでしまった。


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