恤みの諦念

「死にてえのか」

 ぐっと胸ぐらを掴んで持ち上げられ、多少の苦しさはあったものの、死よりは遥かに遠いぬるいものだ。その手付きからは、言葉面よりも幾分も穏健な意志がそいつの脳だか胸だかの内に存在するらしいことが見て取れた。
 ――ヤる気がないなら、しなければいいのに。
 それは、対象となる行動こそ違えど、こいつも僕に対して思っていることなのだろう。

「ええそうです。ですから余計なことしないでください」

 むかむかと湧いて出た不快感は、恐らく相手が捉えたであろう感情とは源泉を異にするものだが、それをわざわざ告げ訂正する必要もない。いっそ本当に心底から嫌ってくれて、こうやって痛みもなく体を傷つけまいとするみてくれだけの所作をやめ、なりふり構わずにやってくれるようになった方が、僕としては都合が良い。
 挑発する意図でもって吊り上げて歪めた僕の唇を見遣り、そいつは眉を顰め、咥えたままの煙草をくっと軽く噛んだ。当人はさておき、その臭い煙の匂いは僕も気に食わない。自然と眉が寄る。

「そういう減らず口は手前の尻くらい拭けるようになってから叩くんだな。威勢ばかりよくても使えねえんじゃ話にならん」
「だったら了承も得ず手出しするのはやめてもらえますか? わざわざ頼んでもいない必要もない尻拭いをしに飛んできてるのはあなたの方でしょう。放っていてくれたらこちらで勝手に始末しますよ。単に恩着せがましくものを言いたいだけならよそを当たってくれません?」
「おい、よせよ」

 様子を伺っていた“仲間”が耐えかねたように口を挟むと、そいつは“仲間”を目だけでちらりと見遣り、小さく舌打ちをして、

「――てめえがそう死にはしないとタカ括って粋がっていられるのは何故なのか、少しは考えてみたらどうなんだ」

 吐き捨てるように言ってパッと手を離し、僕に背を向け、やや荒い足取りで部屋を出ていった。
 どちらにせよ任務を終えて報告を済ませるまで、僕とこの“仲間”、そしてあいつはこの部屋一つに住まい留まらなければならないようになっている。気が落ち着けば、あるいは僕の仮眠時間になれば、またしらとした顔で戻ってくるだろう。
 溜息一つをついてソファに座り込めば、隣に“仲間”が座り込んできた。

「よくないぞ、バーボン」

 咎めるような声色だ。実際窘め半分そのつもりなのだろう。

「あの手じゃ生還の見込みはなかった。あいつがやらなきゃお前が殺されてた」
「だから何だって言うんだ。あの時点で僕が死んだところで“どの”任務にも支障はなかったはずだ。より確実に堅固にするにはむしろその方が効果的でもあった」
「……それは、まあ、たしかにそうだ。あれは組織にとっても、“俺たち”にとっても重要な案件だったし、失敗するわけにはいかなかったから、出来る限り手を尽くしておくべきだというのも……でも、わざわざお前の身まで擲たなければいけないような場面じゃないだろ?」
「勿体ぶって出し惜しみをして、使いどころを失して無価値になるよりましだ」
「……バーボン」

 “仲間”の声に、非難の色が増した。

「あいつはお前のためにやったんだぞ。礼の一つくらい、別に――」
「当人の意志を蔑ろにした、ただの迷惑行為だろ。欲してもいないものを押し付けられて、それをありがたがって感謝しろって? ずいぶん僕を間抜けに仕立てたいんだな」
「カリカリするなよ。ちょっと疲れてるんじゃないのか」

 宥めるポーズか、“仲間”は眉を下げ、身を寄せて僕の肩に腕を回し、ぐっと抱いた。
 “仲間”も喫煙者だから、寄せられた身体からほのかに煙草の香りがする。眉を寄せるほどの不快感がないのは、あいつに比べて吸う量が少ないからか、それとも僕の心情に拠るものか。

「あいつが嫌いなのは分かるけど、それを持ち込むなんて、らしくない」
「別にあいつ自身が嫌いなわけじゃない。ただやることが僕の考えに合わないというだけだ」
「……そーですか」

 呆れたような相槌には、額面通りに受け取ったわけではないことが伺えたが、それも構わなかった。どう思われてもいい。特にこいつには。

 ――この人生ははずれだ。そして失敗した。
 生まれも育ちも面白くなければ、顔も声も身体も気に食わない。眼前に敷かれ往く先へ伸びる軌条も。修正を図ろうにも、どうやら僕とこの身体の因果や宿命とは随分相性が悪いらしい。絡め取るようなそれを断ち切れず、藻掻けば藻掻くほど意に反して沈んでいく、泥沼のような人生だ。
 そろそろ詰みも見えてきたから投了したいのに、どうにも上手くいかないし、周囲はまだ早いだの手はあるだのと続けさせたがる。
 いっそあいつだったらまだ良かったのにと、思うことがある。
 きっとなんでも好きにして、それがまかり通って、自分も周囲も思うがままにしながら生きてきたんだろう。挫折の匂いを醸さない、後悔の念を悟らせない、己が往く道を指標も軌条もなしに決め、その足で作り上げて歩いてきて、きっとこれからもそうしていく。そういう男だ。
 粗陋な人間とへらへらくだらない低俗な会話を繰り返しながら媚びを売り歩くより、そういう奴らの脳天を撃ち抜いて黙らせて回るほうがよっぽど楽しいだろう。
 ……なんて、それが羨望により歪んだ見方であることは、自分でも分かっている。
 今にも死にそうな、厭世的な空気を纏いながらも、その実生への執着は強い男。目的意識ゆえだろう。しらとした顔をしながら、確実に何かを聢と見据えている。生きるための、生き続けるに足る理由があるのだ。

「あまり欲張りたくはないけれど――出来れば少しでも、益のある死に方をしたい」

 僕の言葉に、“仲間”は表情を曇らせた。

「……なあ、お前には生きててもらわなきゃ困るよ」

 ふるや、と、どこか懇願するように、微かな声量で紡がれたその三文字は、この身の持つ名のうち、比較的古く、法律行為を行うにも障りのないものの一つだ。いまこの身を置く組織において、その名を知るのはこの“仲間”しかいない。そして、その“仲間”の、組織内で知られ与えられている二つ以外の名を知るのも、僕だけ。こいつと違って、僕は組織に与して以来一度も呼んでいないから、うっかりすると忘れそうになる。
 それでなくてもそもそも脳に仕舞っているものの総数が多いのだ。余計なものばかりだけれどなかなか捨てることを許してくれないので、綺麗に整理して、隙間なく詰めて、使わない物に目隠しをするしかない。またきっと“次”もあるから、今使っているものだって押しやりやすい場所に留めて、余白を空けて置かなくては。
 ともあれ僕らの“所属”の都合上、備えもなしに消えられては確かに後が大変だろう。

「なるべく、困らないようにはする」

 割合からすればさほどではないにしろ、それなりの時間一緒にいた仲なのだ。情も湧く。早く次には行きたいけれど、せめてこの身をこいつに役立ててから終わりたい。
 ――贅沢な望みだ。叶わないと知れた時には、諦めるほかない。

 “仲間”は、訴えるような目を向けながらも唇は引き結んだまま、静かに僕の肩を撫でた。もたれ掛かってきた頭の、黒髪が頬を擽る。
 こちらも軽く頭を擦り付ければ、ほんの小さな、笑みのような吐息が、しんとした部屋に響いた。


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