02

 “例の件について資料を纏めておいてくれ”
 それが、風見裕也の上司が風見に送ってきた最新のメッセージだった。
 一分前まで。

 “焼肉たべてます。美味しいです”
 一分と三十秒経った今がこちら。語尾にはお肉とニコニコ笑顔の可愛い絵文字まで付いている。
 風見は息を止めれば良いのか吐けば良いのかわからなくなった。

 そろそろ家についただろうかと、警察庁や病院での姿を思い起こして不安になり、安否を伺うメッセージを送ったところ来たのがそれだ。
 もしや詐欺目的のスパムなのではと疑い、むしろそうであってくれと願いながら仕事柄培ったスキルを総動員して徹底的に調べ倒したが、その希望に沿うような裏打ちはこれっぽっちも取れず、送信元はどうあがいても上司の連絡先でしかなかった。
 更には追撃するようにあのFBI捜査官がトングを持って肉を裏返している画像まで届いたのだから、風見はもう頭を抱えながら“良かったですね”と返すしかなかったのである。
 絵文字をつけるかどうか散々迷いに迷って、上司が送ってきたものと同じものを一つ入力するのに三分も要した。





「赤井さん、返ってきました!」

 嬉しくなってスマホを机に置き、くるりと回して向きを変え、赤井さんの方へ滑らすように押した。

「ホー……」

 トングでお野菜を返していた赤井さんが、ちらりと画面を見て、それから少しだけ眉根を寄せる。

「俺の写真を送ったのか」
「はい。心配してくれてたみたいなので、ちゃんと赤井さんも一緒にいますよって」
「……」

 赤井さんはどことなく渋い顔をして、焼きあがったロースをぼくのお皿に乗せてくれた。ありがとうございます、と言って、タレを付けて頬張る。おいしい。
 はじめはぼくも自分の分は自分でやっていたのだけれど、ぼくの焼き方がとても下手くそなのが気になるようで、トングを持っているのはほとんど赤井さんだ。
 ネギタン塩のネギを落とさずに綺麗に焼けるのだ、赤井さんはすごい。お野菜も焦がさずちょうどおいしいタイミングでくれる。とてもすごい。
 ご飯がなくなってしまったのでおかわりを頼んでいいかと、ついでにお肉ももっと食べてもいいか聞けば、赤井さんは黙って呼び出しのボタンを押した。

「あ、赤井さん、ツーショットも撮りましょうよ」

 きっとそっちのほうが風見さんもより安心するに違いない。
 そう思ってスマホを掴もうとすると、赤井さんが制するようにぼくの手を抑えてきた。

「……君、あまり写真に写るな」
「なんでですか?」
「今でこそ単なる刑事じみた真似をしているが、君は警備企画課の所属なんだぞ。潜入捜査も明けたばかりで、例の組織だとて根絶やしに出来たわけではないし、君に恨みを持ち未だ自由の利く人間は少なからずいるはずだ。それにこの先のこともある。極力己の情報は秘しておくべきだ」

 とても真面目な顔で言われたので、ぼくも真面目に返事をしなければ、と思ったものの、言葉の意味も分からずに頷いては失礼かもしれないと、頷きかけてやめた。

「えっと……けいびきかくか? ってなんですか?」
「公安警察を統括する組織だ。その中でも君は、ゼロ――チヨダとも言ったんだったか、それの一員にあたる」
「こうあん……ぜろ……ええと、ひみつ警察みたいな?」
「…………そういう類のものとの認識でもいい。とにかく、君は先日国際的な凶悪犯罪組織を打ち崩したばかりでな、命を狙われる可能性が大いにある」
「ぼくが? 命を?」
「ああ」

 なんだかマンガみたいな話だ。こんなにのほほんとお肉をじゅうじゅう焼いてもぐもぐ食べているのに。
 警備というのならテロや過激派団体なんかの相手をするおまわりさんなんだろうけど、とてもじゃないがそんなものと相対したような気がしない。なんだかグローバルなお話のようだが想像もつかない。
 ……あ、でも、それならぼくの仕事仲間である赤井さんもそうなのか。

「ご、ごめんなさい、赤井さん。あの、風見さんに削除してくれるように頼みます」
「いや、まあ、それについては構わんよ。彼も心得ているだろうし、俺もその程度ならどうとでもできる。ただ今後は控えてくれ」
「はい……」

 反省。自爆はともかく人を巻き込むのはいけない。
 またやってしまったと項垂れていたら、視界の端で、赤井さんがトングを置き、メニュー表を手に取った。それをぼくのほうに向けて開いてくる。

「肉の写真でも送ると良い。話のネタにもなるだろう」

 そう言って赤井さんは、まもなく注文を受けにやってきた店員さんに、開いていたページに載っていたものを頼んだ。
 A5の黒毛和牛。
 紙面で既に美味しそうなのに、実物がやってくる?

「い、いいんですか? ほんとに?」
「大したものでもあるまい」
「大したものでもあるですよ!」

 網を空けて、一旦水を飲んでわくわくしながら待っていたら、本当に来た。
 鮮やかなのに品のある色合い、細やかな脂肪の白いベールがきらきら輝いて見える。わ、と思わず声が出た。赤井さんはそれを惜しげもなく網に広げ、頃合いを見計らってまたぼくの皿に乗せてくれた。
 一枚目はタレを付けずにゆっくり口に入れた。口の中でとろりと溶け出しそうなくらい柔らかい。脂は思ったほど重くなくてしつこくもないし、ふわりと鼻を擽った香りがこれまたとっても良い。

「おいしい……すごく美味しいです。ありがとうございます」
「そうか、好きなだけ食べるといい」
「この、じゅうじゅうって音がまた良いですよね。わくわくして」
「そうか」
「肉汁がぽたぽた落ちてくのもったいなく感じません? あれも絶対美味しい」
「そうだな」
「赤井さんは?」
「もう腹一杯なんでね」

 赤井さんはもう完全に自分の箸を置いたまま、ぼくの食べるスピードに合わせてお肉を焼いてくれた。こんなに美味しいものが目の前にあるのにだ。すごい、アガペーってやつだ。
 大事に食べなきゃ、と思いながらも、舌も胃も早く次をおくれとせがんで来て、箸を握る手もやってやろうぜと張り切るもんだから、ぱくぱく平らげてしまった。ご飯がすすむのでもう一杯おかわりもしてしまった。白いご飯はなんにでも合うけど、お肉にはとびきり合うと思う。


 会計になると、赤井さんは店員さんにさっとカードを手渡した。
 そう、奢ってくれるという話だったのだ。あんまり美味しくてつい調子に乗って食べすぎたとちょっぴりドキドキしていたけれど、赤井さんは何事もなく支払いを済ませて、伝票も領収証もぼくに見せなかった。

「あ、あの……いくらでした?」
「気にするな」
「次はぼくが奢りますね。お寿司でもしゃぶしゃぶでも、なんでもいいですからね」
「君はそういうのが好きなのか」
「えっ、えっと」

 食べたいアピールに聞こえてしまったんだろうか。赤井さんの好きなものにしましょうと言ったけれど、返ってきたのは、まあ機会があれば頼む、と社交辞令的な返事だ。友達だというし奢りあいっこをしていたのだと思ったのにそうでもないらしい。
 もしや奢ってくれるというのもホントは社交辞令だったのかな、と不安になってちょっぴりそわそわしていたら、赤井さんはふっと小さく笑って、車に行こうとぼくの肩を軽く叩いた。

 赤井さんは食後の飴も全部ぼくにくれた。なんていい人なんだ。
 お肉の後味をもう少し楽しむかどうか迷って、車に乗り込んでから開封して口に入れた。ころころと舌で転がすと爽やかな味が広がる。これも美味しい。

 ……あっ、お肉の写真撮るの忘れてた。


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