C-24

 二人でベッドに並ぶのも、慣れたことだ。
 けれど、たまに変装を解くところに居合わせることはあっても、ずっと赤井さんの姿であることは珍しい。間近にその顔があると、なんだか変な感じがする。

「ねえ、赤井さん」
「ん?」

 手にしていたのは探偵左文字シリーズだ。ようやく新刊にたどり着いたらしい。オレが勧めるものを相変わらず律儀に読む。

「その、この前の、灰原……哀ちゃんのこと」
「……ああ」
「聞いちゃったんだよね」
「悪いが、ほとんど」
「……あんまり気に病まないで。ただ誤解してるだけで、状況に煽られただけで、哀ちゃんだって本心じゃないし……」
「いいや、あれは本心だろう。そうである方がいい」

 迷いなく、揺れることもなくそう言った。顔色を伺うものの、それまでと変わった様子もない。手元で軽く紙の端を弄んでいるのみ。

「許されないのはむしろ喜ばしい。望ましいことだ。あの子が愚か者に慈悲を見せ許してしまえば、彼女が理由なく奪われ取り上げられた理不尽を肯定することになる。それこそあの子にとって負荷にしかなりえない」
「そんな……」
「問題は俺の処理だ」

 処理。さらりと告げられたそれには、声の比でない重みが乗る。
 もともと私物というものがほとんどないこの人が、不必要なほど綺麗にした屋敷内の景色が脳裏を掠める。それに反してぐちゃぐちゃの、到底何かをえがいているものとは思えないキャンバスも。

「恨みは活力へ繋がるケースもあるが、過ぎれば只管悪質な毒でしかない。俺の存在はあの子から平穏を奪う。俺の生そのものがあの子を心安らかでいさせない。害であり、負の要因にしかならない。あのうつくしさを否が応でも蝕んでしまうんだ――きみが、許可をくれれば一番いいんだが」

 何の。
 声にならなかった。

「手間はかけさせない。目障りにならないようにもする」
「――」

 喉が詰まるようにして言葉が出ない。

  “あいつのせいで、私は澄んで生きれない――”

 あの哀哭と、この人の嘆願とが、まるで絡んで気道を締めるよう、ぐるぐると胸や頭を巡る。

 人殺しは悪だ。倫理に悖る行為であり、今オレの生きる世界では社会通念的にも、法律においても罪にあたる。オレは今まで探偵として、殺人はどんな理由があろうと許されないことだとしてきたし、きっとこれからだってそうやって罪を犯した人間たちを糾弾し暴いていく。
 でも――じゃあオレは――この人をどうしたらいいんだ?
 いま同様のことをすれば、オレが手を離せば、きっと戸惑いなく去ってしまう人を。それでも確実に、手を染めてしまっているこの人を。オレが繋いだこの人を。
 あんな風に嘆き苦しむ灰原に、仕方がないとも、FBIは承知のことだとも、とても言えない。言ったって何の気休めにもならないし、行き場を失って尚の事苦しみが増すばかりだ。
 灰原はまだ“嘘つき”がこの人だと気づいていない。けれどこの人は知ってしまった。己があいつにとって益をもたらさないこと、最善が何であるかを。
 外から理屈付けて差し出したところで効きはしない。諦念や逃避でなく本当に、それが一番いい手法だと思っているのだ。そしてそれは事実、被害者ともいえる灰原の望みに近い。しかしそれだってやっていいことじゃない。

 重ねるよう握った手は乾いて、少し低い体温を感じさせる。呼吸は平静だ。オレのほうがよっぽど乱れてる。瞳も静かにこちらを見据え、時折瞬く。宣下を待つようじっと。

「あげられない……ダメだ、生きて」

 捻り出せたのは、声に似つかわしく、ガキめいた台詞だった。

「……そうか」

 ――手放さないと決めた。それも曲げられない、折ったりできない。同じことをするのも変わらない。

「悪い」

 赤井さんが俺の頭を撫でる。

「すまない、もう言わない。きみの許可もなしにしない。きみの判断に従う。だからそんな顔をするな」

 自分の思うようにしてほしい。縛られて抑えつけられるのを良しとしないでほしい。でもそれは、生きた上でのことなんだ。
 掬えば掬うほど、抱えれば抱えるほど、保つのが難しくなっていく。噛み合わないものが出てくる、順番をつけなきゃいけなくなる、選ばなくちゃいけなくなる――いつかきっと、何かを切り捨て、諦めなきゃいけなくなる。そんなことする気はねえけど、その片鱗が、ちらちらと視界に入ろうとしてくる。その可能性を、確かに感じた。

「すまない、面倒ばかりかける……」
「……それはいいんだ」

 頭からさらりと降りた手で、抱き寄せるように肩を引かれた。今日はやけにスキンシップが多い。嫌ではないけれど、むしろ人間味を感じるほどだけれど、どこか違和感を感じる。
 オレの気を紛らわすよう、もう遅いから、と言って、赤井さんは閉じた本をサイドボードに置いて電気を消し、オレを軽く抱えたまま少し体をずらして横になり、布団を掛けてくる。その上に手まで乗せてきて、まるで幼い子供をあやすような仕草だ。

「……きみも似ているな」

 ぽつりと呟いた声は柔らかい。
 薄暗い中、すぐそばでオレを見つめ細める瞳も同様で驚く。わずかではあるが、頬も自然に緩んでいる。そんな表情、ずいぶん見ていない。
 ――似ている? 一体誰に?
 問いかけようとして、いくらか迷って、口を噤んだ。きっとそのまま目を閉じてくれれば、穏やかに眠ってくれるんじゃないかと思ったから。


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