C-15

 そんな人間は知らないしいない、仮にいたとしても患者の情報を教えられない。もう夜も遅いから帰りなさい――諭すように告げる男の態度は揺るぎそうになく、けれど証拠はあの人がそこにいるのを物語っていて、なにより探偵として確信があったのだ。

 幸いと言っていいのか、以前そこでの事件に居合わせたおかげで間取りは把握していた。その記憶を頼りにこっそりと忍び込んだ、病室というには少し不足を感じる、普段使用していないのだろう窓もない薄暗いちいさな部屋の中、たしかにその人はいた。
 ベッドへ横たわる姿に息を呑んだ。火傷や他の外傷はきちんと処置を施されている。けれど、その傷を避けながらも、腕には拘束具がついていたのだ。
 あの男――新出智明はもうベルモットではない。事件のときの振る舞いからも高校で話した限りでもこんなことをするようには思えない。履歴からしてもここへ電話したのはこの人自身だ。なのになぜ。
 固く閉じられた瞼が開く気配はなかった。意識がないけが人をオレの体一つで運び出すことはできない、どうしたもんかと逡巡しているうちに、背後のドアががちゃりと音を立て、振り返れば驚いた様子の新出先生が声を上げた。

「君、いつのまに――!」
「やっぱりいたじゃない。隠してたんだ」
「なんて子だ……」
「どうしてウソついたの?」

 先生は片手で軽く頭を抱えたあとため息をついて、外に出て話そう、と言う。

「ナイショ話をするならここでもいいと思うけど」
「ここじゃなくてもいいだろ」

 その言い方にはどこか焦りが滲んでいた。オレに見られてはまずいもの、オレがここにいては不都合なことがあるのか。そう問い詰めようとしたときだった。

 ――はあ、はあ。

 不意に荒い呼吸が聞こえた。

「起きたんじゃ――」
「コナン君」

 続いたのは呻くような声だ。誰かに何かを言っているような口ぶりだったがはっきりとは聞き取れない。うわごとのように、いや、まさしくうわごとであるそれを繰り返し、同時に拘束された手が何かの動きをしようとしては繋がれた紐に阻まれる。

「いいから、出るんだ」

 新出先生は駆け寄ろうとするオレの手首を掴み、有無を言わさぬ力でオレの体を部屋の外へと引っ張る。抵抗しようとすると、ついには抱え上げられてしまった。ベッドでもがく赤井さんの姿は、彼に閉められた戸で遮られてしまう。

「なんで」
「ああなったとき彼に触れたらだめなんだよ。もっとひどくなる」
「それって……」
「彼を思うなら、声もかけないほうがいい」

 ――やめろ、だめだ、ちがう、いやだ、やめてくれ。

 扉の向こうから不明瞭なそれの一部が聞こえて、思わず言葉を失い固まってしまった。その隙に、徐々に大きくなる悲痛な響きから遠ざけるよう、先生はオレを診察室へと連れて行った。

 FBIはベルモットからその身を守るため、新出智明が事故死したかのように見せる偽装を行ったのだという。だから顔見知りであってもおかしくはないが、それだけであの人がこんな緊急時に連絡を取るとは思えない。
 二人の関係を問えば、新出先生は短く「彼は僕の恩人で、患者さんなんだ」と言った。恩人というのは偽装についてか。あの人が日本に来てしばらくだからそう長くもないだろうが、通院していたとは。

「何の病気で?」
「それは彼の承諾もなしに教えられないよ。君は彼の家族というわけでもない」

 怪我ではないようだ。しかし先生が口を噤んだらアクシデントでもない限り開かないというのは充分思い知ったことだ。知りたければあの人が目を覚ますのを待つしかないらしい。
 仕方がないからこちらの事情を話して押しに押し、赤井さんが意識を取り戻したら連絡することと、オレが様子を見に来ることについて、どうにかこうにか首を縦に振らせたのだった。

 間もなく先生の言葉の意味は理解した。偶然処置の最中あの人が“そう”なったところに居合わせたのだ。
 確かに“ひどい”。元々の力や技量の差か先生は止めるだけで手一杯で抑えるどころじゃない、オレだって力のない小一の体なもんだから、思わず麻酔銃を撃ち込んでしまった。
 なんてことをするんだと怒られたが、そうでもしなければこの人が死んでしまうと訴えて、先生はかなり渋っていたけれど、それからオレがいてあまりひどいときには問答無用で使わせてもらった。
 もともと意識がないのに筋弛緩の効果でぐったりとした姿は、かなり心臓に悪かったけれど。


 一週間ほどしてようやく目が覚めた赤井さんは一見ケロリとしていたが、状況を説明し終えた途端、自分の体を省みもせず出ていこうとして床に転げ落ちた。
 体中痛むだろうに、不首尾があるとでも言おうものならすぐにでも始末に飛び出しそうなほどで、丁寧に万事問題ない大丈夫だと言い聞かせ、灰原だって無事だし呑気に笑ってると写真を見せたところでようやく落ち着いてくれた。オレの言葉を素直に聞くのは、“響く”からかもしれない。
 現状で自分の出来ることが何もないと知ると、赤井さんはそれからずっとされるがままで、ただぼんやりとしていた。
 本当は携帯も用意出来ていたし、暇にならないようあれこれ持ち込むことも可能だったのだが、下手に刺激を与えてまた二の舞いになるよりはマシだと、せめて日付が分かる程度に経済新聞だけ渡して、申し訳ないけれどそのままでいてもらった。
 ただでさえ痛みを厭わない素振りが目につく。それくらいしないと大人しく休んでくれないかもしれないから。

 ぼうっと宙を眺めるさまは銃を握っていた時とはまるで結びつかないもので、見ているこちらの胸が痛んだ。
 意識が戻ってからは“ひどい”ことにはならなくなったが、先生が漏らした言葉によれば、日中だろうと夜間だろうと眠りたがらない、眠るたび魘されているのだという。

 “あの子がいるから”、そしてオレがいるから。赤井さんにとって生きる理由はそれだけ。憎まれていると知りながらも灰原の写真をじっと見つめて安堵し、相変わらずオレの頭を何度も何度も撫でて声を聞きたがった。
 懇願するようなうわ言が耳に残っている。あの人には死ぬことより生きることの方が酷なのかもしれない。
 生きろと言ったのはオレだ。あの人から死を取り上げた。しかしそれを後悔してはいないし、今あのときに戻ったって同じことをする。

 ――簡単な話だ、オレが放り出さなきゃいい。


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