Who Killed XXX?

 ――はあ、はあ。

 荒い息だ。こんなときに、誰なんだ。犯人探しをしようとしてこの場には自分しかいないのを思い出した。
 いけない、このサイトを確保するのに手間取った。慌てて弾丸を詰め構えると、間もなく男がやってきた。レティクルがぼやけて見える、焦点は合っているはずだ、目の方か、瞬きをすると見失いそうだ。
 汗が滴る。なんだか暑い。銃を固定するため壁や椅子に擦り付けた体があちこち痛む。

 ――はあ、はあ。

 男はベンチに座っていた。毎朝そうして缶コーヒーを飲む習慣がある。会社でそれなりに立派な部屋を持っているのに、デスクより空気を感じるそこが好きなのだという。
 男はなんの変哲もない、多少頭と運がいいだけの善良な市民だった。己の人生を、己の手の届く分、全うしているだけの男。一人の女性を愛し、二つの無垢な命を育んでいる男。家族に回したあまりの金で缶コーヒーを飲み、貯めた小遣いでドライバーやパターを買って下手くそなゴルフを楽しみ、部下や友人たちに奢るのが趣味の男。

 “――はやくやれ、標的が動く、怖気づいたか”

 機械越しの声が急かす。うるさい。おかげで息が乱れる。

 人を撃つのは初めてじゃない。引き金を引くときはその命を奪うつもりでやる。実際に死んだやつもいる。殺すつもりで撃って、殺して、よくやったと褒められるのだ。――だがそれは、殺す他に手がない、そいつの息の根を止めなければ更なる災厄を齎す、そいつを刈り取ることで救われる者のいる、凶悪でどうしようもない犯罪者たちだったからだ。

 ――はあ、はあ。

 男には子供がいる。男の子と女の子。まだ幼い男の子と――××と同じ歳の女の子が。あいつは今頃中学生だ。少しはお淑やかになっただろうか。お転婆がすぎるほどだった。また鼻にポテトを突っ込んだりしていやしないだろうか。
 調べすぎた。知りすぎた。
 男の少しばかり強い正義感が、部下の愚かな行為を諌めてしまった。男の人柄の良さが部下に罪を吐露させてしまった。男は行政機関の正しい使い方を知っていた。それだけなのだ。それだけ、それだけだ。

「アルファ・スリー、撃て。許可する」

 不意に背後から声がした。息を飲んだ。誰もいないはずの場所から。鍵をかけていたのにいつの間に。確認したいが、スコープから目を離すことは出来ない。その声はどこか聞き覚えがある。誰だお前は。

「背押しが欲しいんだろう。してやるよ。大丈夫、お前は正義だ。これは任務だ。長期的に見ろ。お前の行為であのちっぽけな人間ひとりよりも数多の未来が救われる」

 “――やれ、まだか、お前はノックなのか”

 調べすぎた、知りすぎた。情報は重要だ。それを得るために潜った。対象の人間性から導くのは情ではなく行動原理や因果関係で、結果と事実以上のことを捉えてはいけなかった。

「大丈夫、たったの百ヤードじゃないか。射撃大会で優勝した、哀れな人質を救い出した、本部でも評価された、大丈夫――それを引けば間違いなくあいつは死ぬ」

 男のそばに何者かが近寄って言葉を交わし、こちらを指差した。――スコープの反射光。もたもたしている間に雲の隙間から太陽が姿を見せたのだ。他にいいサイトがなかったからといえ、ありえない初歩的なミスだ。コーティングもないクソみたいなスコープのせいだ。まずい、まずい。

 “――やれ”

「射撃を許可する。撃て、撃つんだ」

 次の瞬間には、男の頭は飛び散っていた。機械越しの声が言う通り、指をさした人間のものも。


 ――けれど一度の瞬きの後、スコープの向こうで倒れる恰幅のいい男だったはずのそれが、黒髪の女の姿へと変わっていた。


 心臓が激しくどくりと跳ね、ライフルを放り出した。窓から飛び降りたい衝動をなんとか抑えて、鍵を壊して開け、長い階段を駆け下りる。なかなか地上につかなくて、こんなに長かったか、まだかまだかと焦れば焦るほど足はもつれかけ、二階から一階ではついに転げ落ちた。
 必死であのベンチがある公園まで辿り着けば、たしかに女がその身を横たえていた。しかし駆け寄って抱き上げてみれば細いながらも息がある。血が滲んでいるのは急所ではない。助かる。よかっ――

「残念だったな。一発じゃ死ななかった。どうしたんだ。らしくない。整備不良か? 距離を読み違えたか? 弾道特性表を忘れたのか? 手が悴んだか? 姿勢がうまく取れなかったか?」

 またあの声がした。

「止めを刺さないとな。半端な容赦は禍根を残す。余計な火種となる。どうして拳銃を持ってきていないんだ、だめだろ、ほら、俺のを貸すよ」

 背後からにゅうと拳銃が現れ、それを持つ手を視線で辿れば、男がひとり立っていた。

「ほら、早く」

 そう言って拳銃を握らせてくる。重い。マグナムだ。だめだ、この女は撃てない。撃ちたくない。撃つ気はなかったんだ。

「撃つ気もないのに銃を向けたのか?」

 男には見覚えがあった。横に流した短い黒髪、顎を縁取る髭、つり目がちな瞳。――しかしその耳輪は欠けていない。代わりとでもいうように、胸から血が溢れ出ていた。
 なぜだ、お前は生きているはずでは、

「どうして狼狽えるんだ。気まぐれで生かしたんだろう。たまたま止めたら死ななかっただけだ。なんの感慨もなかったはずだ。どうでもいいはずだ。俺の生はその女の死より価値がない。他の数多の死さえただ地面に叩きつけられる雨粒のようなものだろう」

 違うとは言えない。お前たちが本当に生きてるのかどうかわからないんだ。死んだのかだってわからない。わからない、わからないんだ。

「ならこの女も変わらない」

 抱えた腕に意識を戻しぞっとする。熱が消えている。まだ動いているのに。気づけば辺りは暗い。まるでベイエリアの様相だ。うそだ。掌は勝手にそれを握りしめる。やめろ。
 だん、という音が頭蓋に大きく響いた。
 上手だ、男が褒める。


 ――いつの間にかまた、あの窓際に戻ってスコープを覗いていた。
 円形に縁取られた風景が目まぐるしく変わる。しかしその先にいる生き物は全て変わらず崩れ落ちていく。俺が指を動かすだけで、面白いように次々と。雨粒を数えていてはキリがない。褒め言葉なんて染み込まない。
 背広の男は缶コーヒーを飲みながらベンチに横たわった。指をさすはずの人間も曇天の下で倒れ込む。それを見届ければもう用はないとでも言うように景色が変わった。
 ブルックリンのアパート。扉の前に女が立っている。今度は金髪の女。――待ってくれ、あいつは違う。

「違わない。任務だ。撃て。いつも通りにやればいい」

 できない、無理だ。

「どうした、整備不良か。馬鹿な改造でも施したのか。撃て。やれ。アルファ・スリー。ノックなのか。射撃を許可する。怖気づいたのか。撃つんだ」

 だめだ、動けない、重い、重いんだ。

「引き金は重すぎてはいけない。制御に支障が出る。一匹も逃すな。生かしておくなんて落ち着かない。許可が下りているからすぐ終わる。撃ち抜いてやればいいんだ。益と選択の問題だ。撃つ気がなければ向けない。撃て。下手に生かせば綻びが生まれる。羽ばたきは遥か彼方のなにものかを揺らす」

 重い、重い、俺には荷が重い。やはり俺では務まらない。俺では出来ない。俺ではだめなんだ。

 ――はあ、はあ。

 重い荷なら下ろせばいいじゃないか、邪魔なものは捨てればいい、得意だろう、と男が笑う。ヒトの脳はよく出来てる、と。荒い息に混じるよう、声は間近で響く。
 男の手が銃身を支えた。もう一方の指がすうと添えられて、引き金は撫でるような動きだけで弾丸を発射する。それは狙い通りの場所へ吸い込まれてゆき、やすやすと女の命をもいだ。ああ、かみさま。



  ――さん。


  ――××さんは、


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