戸棚には軽い筒に入った萎びた茶葉しか見当たらず、仕方なしに紙パックの紅茶を掴み取る。寮の玄関ホールで帰り際に買ったばかりの安物だ。コーヒーなら普段自分が飲んでいるものがあるのだけれど。飲み物を所要している先輩は見た目に反して胃が弱いそうで、コーヒーだけはやめてくれ、と名指しで拒絶してきたのだ、恥ずかしそうな表情で。あれは面白かった。
 給湯室から一歩足を踏み出せば、携帯に視線を落としている先輩が目に入る。見覚えのある開閉式の黒い携帯に、口にするほど質がいいとは言えないが細かく手入れの行き届いたグレースーツをそつなく着込んだ男性は、二年前よりも落ち着いた様子であった。多数の生徒に追いかけ回されて頻りにビクビクと肩を上げ、警戒心を露わにしていた頃が懐かしい。

「なに笑ってんの、ナナくん会長」

 むっとした先輩の声にまた笑みが込み上げる。ナナくん。懐かしい呼称だった。
 「それにさあ、その笑い方どうにかならないわけ、」言いながら唇の片端を指で押し上げて、「これ」と彼は続ける。

「直す気がないんだ、無理だろ? ゴーさんの癖と同じで染み付いてるから」
「俺の癖?」
「ここのソファーはそこらのものよりずっと柔らかいぞ」

 指までさして示してやればゴーさんは微かに目を丸くした後、ワックスでゆるく立てられていた黒い髪をぐしゃと潰した。この学園においては一般的であるような、名の知れた家名や裕福な家庭の出ではない先輩は、少々高価なものに気を遣ってしまうらしく、今もソファーのほんの角に腰をかけていた。座面の半分にも達していないし背筋も真っ直ぐに保たれている。指摘されてもまだ抵抗があるようで姿勢はほとんど崩れていない。
 唇を突き出す仕草はまるでかわいくもなく、ギャップも相まっておかしさだけが増す。

「ナナくん会長の膝にならどっしり構えたくもなるんだけどこればっかりはねえ」
「おお、じゃあ座るか?」
「かわいくないなー! もっとサービス精神を振り撒って恥じらってみせなよ! ほら、お兄さんがかわいいのなんたるかを教えてあげるからこっちに来なさい!」
「なんだよそれ」

 ゴーさんの前だと笑ってばかりだと気づく。自分のしたいように振る舞い、会話の流れで卑下することにも遠慮のない姿が、この一見お綺麗そうな(つまりいつもなにかしらの好印象を与えたがる)学園ではマイナス方面で目を引いてしまうのに、結局はなぜか皆好いてしまうのだ。はたして彼がそれをどう受け取っているかは知らないけれども。
 邪魔な紙パックを机に置いて彼と向き合う。先程と変わらず中腰に近い体勢のままであるこの人の膝に体重をかけたなら、きっと二人して机に顔を打ち付けてしまうことになるだろう。目先の目的にしか考えの行き着いていないゴーさんにはそんなこと分かっていないに違いない。抱え込むためか、両手を伸ばしてにやにやとしている。
 馬鹿だな。また、先輩に指摘された通りの憎たらしい笑みが浮かんだ。

「失礼して」

 先輩の両足を跨いで、膝をソファーにつける。「は、は、」面白いほどに動揺している先輩の口がパクパクとせわしなく動いていて、餌を求める鯉や金魚というより、欠伸を堪えようとする子どものようだ。
 そうこうしながらも右手は背もたれに。それからゆっくりともう片膝もソファーに乗せたところで、触れそうだったお互いの鼻先は、先輩が背もたれまで体を引いたためにまた距離ができた。のだが、勢いよく背中をソファーに打ち付けたゴーさんの肩口に、顔から飛び込んでしまう。鼻が痛い。

「ゴーさん、痩せすぎ。鼻いてえんだけど」
「び、びっくりするに決まってるでしょ。イケメンのドアップなんて、そりゃあもう、心臓に悪いんだから」

 なら俺にも同じこと言えるよなあ。そう口にしようとした屁理屈はもごもごと掻き消えていった。ゴーさんに抱き締められ、スーツに顔が埋められていたからだ。頭も同時に抱え込むのはどうかと思う。

「誰に対しても警戒心は持っておかないと駄目だよ、ナナくん会長」

 こんな先輩でも男心というものがあったのだなと、実のところ安心していた。俺のこの金色の髪が好きだと分かりやすく真っ赤な顔で伝えてきたわりに、それ以降は先輩然とした態度を崩そうとしてこなかったから。
 きゅっ、とゴーさんの脇腹を捻りあげれば息苦しさからすぐさま解放される。

「まあ、わざとだ」

 諦めの早いところも、考えが一歩遅れていることも変わっていない。「えええ、もう、うわあっ、台無し!」慌てふためく先輩の声に、二年にも及ぶ戦いの勝利を確信した。





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