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 幼い子どものように薄碧い眼だ。その中に削いだような無垢さと慧敏な聰明さとが見え隠れするのが、この男の持つ特徴だった。この眼が快感に濡れる様が、赤井は好き好まないわけではなかった。
 蝋燭の揺らめきが妖しくその瞳に映る。炎に紛れて赤井は小さく笑みを浮かべる自身を伺い見た。
 この少佐が何用でここにいるのか、想像するに難くない。己の行動に鑑みても、赤井は合点がいくのだった。警告か──。
 少佐は赤井の横を通り抜けて部屋の中央に歩み着いた。脇に抱えた軍帽をテーブルに置いて、赤井に向き直る。
「勘違いしないでください。貴方に自分の立場を弁えてもらう為に来ただけです」
「と云うと?」
「……貴方方にとっては無用な仕事でしょう。形だけ連合国の一員を名乗っていれば良い筈だろう」
「それは君達が決める事ではないな」
 赤井は再び少佐に歩み寄る。碧眼は決して赤井から逸らされることはなかった。
「忘れたか?君達の軍が我々日本軍に敗北を喫した事を。連合国を名乗るのはそれに足る理由があるからだ。君達こそ自分の立場を弁えたらどうだ……敗者には敗者の美徳とやらがあるんじゃないか」
 少佐は赤井の言葉に鼻で笑った。そして口を開く。
「所詮は蚊帳の外の人間ですね。敗者には何もないんだよ。何もないからこうして足掻いてる」
「悪足掻きが過ぎると云っているんだ」
 少佐の詰襟から覗く首筋に赤井は手を掛けた。少佐は今、その口で自ら認めたのだった。共和国軍の黒い動き──再軍備計画を。

 連合国はヴェルサイユでドイツに軍縮とラインラント非武装化を宣告した。誇り高い民族がその事に不満を持たない筈がない。条約締結から幾月も待たずして、民間の準軍事組織が次々と結成され、その波は当然正規軍内にも及ぶ事となる。
 将校らが非合法戦力を指揮しているのだ。右派の義勇軍に至っては、結成時は当時の国防相グスタフ・ノスケの後ろ楯まであった。
 また、ゼークト共和国軍総司令官は、条約により禁止された参謀本部を兵務局と名を偽り存続させている。今赤井の目の前に立つこの男もその一員だ。
「他国に売却すると云って条約の穴をついて、この国は武器製造を続けている。義勇軍らが使用している武器も君達が押収せずに隠匿していたものだろう。昨年のソ連との協定も軍事的陰謀からか?ゼークトはロシアの広大な土地の何処かで兵器開発でも始めるつもりなのか」
「……さすが、こんな短期間でそれだけ調べ上げるなんて、骨が折れたでしょう」
「否定しないんだな」
「云っただろ、噂になってるって。その気になれば貴方ひとりくらいいつでも消せる……ッ、」
 赤井が少佐の頬に舌を這わせると、不意の行動に少佐は言葉を詰まらせた。深く眉間に皺を寄せて、「やめろ」と低く囁く。
「優しいんだな、少佐殿。わざわざ忠告に来てくれたのか」
「忠告?馬鹿を云うな、Ich bedrohe dich.(これは脅迫だ)」
「可愛らしい脅迫なことだ……」
 軍服の上からそっと、赤井は少佐の身体に触れる。喉仏に口付けると、少佐が息を呑む喉の動きが赤井の唇に伝わった。
 手を這わせる度に筋肉の緊張がわかる。今度はおもむろに引き結ばれた少佐の唇に口付けて、赤井は飲み込むように何度か食んだ。
 上衣を脱がせてシャツの下の肌をまさぐる頃になっても、少佐はその唇から息すら漏らさなかった。
「随分頑なだな。この間は君から誘ってきたというのに」
「……あれ、は、」
「あれは……?」
 胸部を舐めるとようやく少佐は喉を反らせて小さく声を挙げた。赤井は思わず笑ってしまう。乳首が弱いとはまるで女のようだ。
 執拗に舐め上げてやると、密着した腰が僅かに引けていくのがわかった。逃がさないとでも云うかのように、赤井が彼の股間を掴む。
 中途半端にかたくなったそこを手助けするような手付きで赤井は愛撫を送る。上下に擦り、完全に勃起させてから、少佐の肩を押して上半身をテーブルに縫い付ける。もはや抵抗する気もないのか、少佐は大人しく赤井のなすがままとなった。
 手早くベルトを外して下衣と下帯を脱がす。すっかり天を向いた一物を見下ろし、赤井は云った。
「垂れ流しだぞ少佐……感じ過ぎじゃないか」
「そんなところ触られたら、誰だってこうなるっ……」
 噛み付くように叫ぶ少佐の、透明な体液が流れ落ちるそこに、赤井は指を這わせた。中指で襞を撫で、薬指とともに挿入し、圧迫する中を解しながら「君は特にそう、、、、だ」そう揶揄う。
「普通の男は尻の穴をいじくられてこんなに乱れることはないんだよ……自分でもわかっているだろう」
「ひ、ッ……あ……」
 内部で掻き回すと、一物の先端は更に蜜を滴らせる。弱々しく震える姿は痛々しい程だった。今にも爆ぜそうな程に張り詰めたさま──いじらしいまでの悶え様に、赤井は嘲弄して、己の軍袴を寛げた。
 掬うように少佐の膝を支え、浮かせた尻の間にゆっくりと埋め込む。挿入の間少佐はかたく眼を閉じて、唇はだらしなく開けたまま、辱められる感覚にまるで滲み入るような表情を見せた。
 奥深くまで到達し赤井はひとつ息を吐く。見下ろした先で少佐はそっと眼を開けて、碧眼から悦楽の涙を零した。
 女よりも奇麗な男だ。赤井が舌舐めずりする様を、少佐は見上げて、そして云った。
「普通の、男は……男の尻に入って、獣みたいに腰を振ったりしない」
「……そうか」
 なら、と。赤井は腰を引きながら口を開く。
「普通じゃない者同士仲良くしようじゃないか。なあ零……君をこの名前で呼ぶ男が他にいるのか?」

「あ、あっ、あっ、あ、あっ」
 身体ごと揺さぶられるような抽送に高い声を挙げて、少佐は悶えた。激しい衝撃に零れ落ちる涙が、虚しくもテーブルに散っていく。
 汗と、男の淫猥な性の匂いが赤井の嗅覚に届く。滑らかな褐色の皮膚の下で、律動に合わせて弛緩と緊張を繰り返す筋肉と──そして、いまだ硬度を保ったままの一物を眺めながら、赤井は不意に上半身を倒して少佐の耳元でこう問い掛けるのだった。
「そんなに淫乱で戦場で一体どうしていたんだ……まさか塹壕で掘られていた訳でもあるまい」
「そんなッ、わけ、ないだろ……っ、あ、ひ……!」
「零……」
 真上から乱れる男を見下ろして、赤井は脈絡もなく云う。
「ソンムで何人殺した?」
 同じような質問を以前にもしていた。少佐は快楽に揺れながら、わからない、と途切れ途切れに答える。赤井は繰り返した。
「思い出せ。君が直接撃ち殺した敵は何人だ?君が立てた作戦で相手は何人死んだ?──100人か、1000人か、1万人か……零……数えてみろ」
「わか、っな……、っああ、あ、アッ、」
 狭い肉の中で打ち込むように赤井は腰を動かす。獣のようだと少佐は云った。けれどこの行為は獣の行為とは程遠い──。
 これは凌辱だ。生殖本能に忠実な動物がどうして、凌辱のための交尾を、しかも雄同士でしよう……。
 赤井は自身の額からこぼれる汗もそのままに少佐の中から抜け出た。瞑ぎながら快楽の波に揺れていた少佐が眼を開ける。九年前の中尉がそこにいた。手折られてより一層、淫らに咲く花のように確かな存在感だった。
 Dreh um. 赤井が云い放つと、少佐は僅かに間を置いてテーブルから上半身を起こし、床に脚を下ろして赤井に背を向けた。テーブルに手を付いたのを見計らい、赤井が再び少佐の中に押し入る。
「零、ちゃんと数えたのか」媚肉を押し分けながら問うと、少佐はほとんど枯れた声で、なんでそんなことを訊くんだと、そう答えた。
「教えてくれてもいいだろう。それとも忘れたか?戦争の惨さを。血と灼けた肉と、死の匂いを……零、国の為に命を捧げた君の仲間達は、報われたか?ドイツは負けただろう」
「やめてくれ……」
 お願いだから、と。泣きながら懇願する少佐の肩を押さえて、赤井は腰を引いた。穿ってやると苦悶するかのような低い唸りを少佐は挙げた。性の匂いが増す。小刻みに震える身体は瞭然と物語っていた。
 赤井はまた笑う。夜は長いのだと、言葉で伝える時間すら惜しい。
 蝋燭の火が燃え尽きて焦げた匂いが二人を包むまで、淫ら極まる行為は続いた──。

***

 爆発寸前の危うい空気が街を覆っていた。

「はっ………ぁ、あ……」
 ルールの占領は解除されぬまま六月に入った。各地で小競り合いが頻発している。不安定な情勢──いつまでフランスとベルギーの虐遇を許すのか、パンを寄越せ、ブルジョアを打ちのめせ、アカを倒せ──国民は割れていた。
「あっ、あっ、ぃ、ア、あーー」
 赤はコミュニスト(共産主義者)の掲げる色だ。ドイツ共産党の党旗も、ソビエト連邦の国旗も赤色で、鎌と槌のシンボルがある。打倒資本主義。その根源とされる旧帝政や軍部、ユンカー、ブルジョア階級を憎悪している。
「もう少し声を落とせ……」
 赤井は突き上げる勢いもそのまま組み敷く男の口許を手で覆った。呻きが漏れる。何度かの律動の後に、緩やかに精を放つ。赤井の下で恍惚に疲れ果てた身体は、酸素を取り込もうと肩で必死に息をしていた。赤井は寝台に腰掛けた。
 安いホテルだ。最中ずっと粗末な寝台がギシギシ音を立てるのを赤井は苛立ちながら聴いていた。後ろで横たわる男は貴族士官であるにもかかわらず、こういった場所をあえて選んで赤井に抱かれた。
 軍服が乱雑に重なっている。来た時と同様に着込み直して、赤井は云った。
「ドイツ政府は自国の賠償履行能力について査定する中立機関の設立を求めたそうだな。十中八九米国が対象になるだろう……カーゾン(イギリス外相)がフランス政府に送った、ルール占領はヴェルサイユ条約違反だとの通告も、ポアンカレは勿論聞き入れんだろうな」
「……素直に英国に従うような奴だったら、ルールは最初から占領されてないだろ」
 ベネッケンドルフ少佐はようやく息を整え終えたのか、静かに半身を起こしてそう吐き捨てた。
 そもそもドイツにとっては、米国すらも友好的な位置関係にあるとは云えなかった。大統領だったウィルソンは終戦前、ドイツに民族自決権(各民族が政治決定に於いて、他の干渉を受けないとする権利)と非賠償を提議したが、ヴェルサイユ条約という屈辱の調印を迫られたのは戦後の連合国によるパリ講和会議であったし、最終的には英仏伊と同様、アメリカはヴェルサイユに批准したのだ。
──何が中立だ。少佐は一言こぼして浴室へ消えた。
 そうして赤井はホテルを後にする。これから大使公邸に戻らなければいけない。右手の腕時計で確認すると時間は僅かに空いていた。

 鬱屈とした雑踏を進んでテネメントの連なるバラックに辿り着いた。法令で等しく五階建てにするよう定められた建物が永遠に続いているかのように、赤井の視界一杯に迫り来る。ベルリンの暗黒面を密集させたかの佇まいを呈する街並みは、淀み、擦れ違う人々の視線も鋭利だ。
 もっともそれは赤井が着用している軍服が生み出す視線だった。片腕のない男──傷痍軍人らしき男が新聞で顔を隠し、その奥から赤井を見ていた。
 ちょうどその時だった。幼い響きに似つかわしくなく“Mein Herr,”と声を掛けられたのは。
 赤井は視線を下げる。まだ十にも満たない少年が、無機質な瞳で赤井を見上げていた。
「うちの姉ちゃん、ちょっと具合が悪いみたいで。おじさんみてやってよ。軍人だろ?どうしたら治るかな」
 赤井が無言でいると、こっち、と少年は赤井の手を取って歩き出した。
 アパートとアパートの狭間を縫うように奥へ進む。変哲も無い住居の一室は、せめてもの雰囲気作りにと、白くかすかに透ける大判のレースが天蓋のように寝台を覆っていた。
 そのレースの向こうに、人の動く気配を感じる。座って、と少年は赤井に椅子を勧めた。大人しく腰を下ろし、脚を組む。
 少年と同じきついベルリン訛りのドイツ語が、レースの奥からこぼれるように聞こえてきた。
「ハイナー、なんで軍人なんて連れてくるの」
少年がレースの中へ消える。
「だってきっと金持ちだよユーディット。外国人だ」
「フランス人じゃないでしょうね」
「フランスの軍人は青い制服を着てる?ならたぶん違う……」
 ひそひそと話しているつもりなのだろうが部屋が狭いため丸聞こえだ。ユーディット……ユダヤ系の名だ。そのうち、少年が顔を出してきてしどろもどろに問い掛けてきた。
「おじさん、最初にきけばよかったんだけど。フランスから来た人?」
 ナイン、と赤井は否定すると、続けて「日本人だ」と告げた。少年はまるでその言葉自体初めて聞いたとでも云うように少しばかり小首を傾げ、「イギリスでも、ベルギーでもない?」と重ねて訊いた。
 赤井はまた否定した。ようやく安心したように、ほっと幼い唇から息を漏らす。
「よかった、ユーディット、フランス人が大嫌いで……でも大丈夫そうだね。きっとおじさんもユーディットのこと気に入ると思うよ」
「病気はないのか?」
 おもむろな赤井のその問いに、少年は大きな茶色の眼に不安げな色を宿して云った。
「ないと思う……」
「医者の診断書は?」
「そんなのないよ」
「話にならんな」
 赤井はにわかに立ち上がる。踵を返すその背中を追って少年は「まって!」と走った。赤井の軍服の裾を掴み、「おじさん、お願いだから」そう懇願してくる。
「僕たちもう長いこと客を取れてないんだ。おじさん、お金持ってるでしょ?身なりでわかるよ。靴だってピカピカだ」
「……君は声を掛ける相手を間違えたな」
 赤井は身を屈めると、少年と目線を等しくして口を開いた。
「貧しさを楯に声を掛ければ誰にでも優しくされると思ったら大違いだ。君は幼いが性病という言葉くらいは聞いた事があるだろう。種類は様々だが、どれも死に至る事もある恐ろしい病気だ。客を取りたいなら考えろ。君の思う金持ちの客は、病気に罹患するかもしれない危険を冒してまで君の『お姉さん』を抱こうとは思わない」
 軍人が偉そうに云わないでよ。そう語調を荒げてレースのカーテンから顔を見せた人物に赤井の視線が移る。見たところ十四、五のあどけない少女だ。恐ろしいほど肌が白く、丸く薄茶色い眼が擦れたような眼差しを赤井に送っていた。
「あんた達軍人と政府が戦争を起こしたから、あたし達は今こうしてるんだ。軍人も政府も、フランス人と同じくらい嫌い。お父さんを殺した」
「コミュニストか、君達」
 赤井のその問い掛けは、答えが紡がれる前に、開かれた扉の音に掻き消された。
「子ども相手に詰問ですか」そう、訪問者は云った。赤井は振り返る。先程まで確かに、ホテルで赤井に組み敷かれていた男が、その名残など跡形も無く消し去ったように、濃灰のスーツを隙なく着込んで立っていた。碧眼に見下ろされ、赤井はようやく腰を上げる。
「テオドール!」少年は顔色を瞬く間に明るくさせて男の膝辺りに走り寄り抱き着いた。その柔らかい頭を撫で、ベネッケンドルフ少佐はまるで身内のような親しみ易さを持って「ハイナー、久しぶりだね。すまない中々来られなくて」と碧眼に僅かな笑みを滲ませた。
「テオ、どうして最近きてくれなかったの。ずっと待ってたのに。仕事がいそがしかったの?」
「うん……」
 曖昧に頷きながら少佐は脇に抱えた紙包みを少年に手渡し、革靴を滑らせて室内へ踏み込んだ。後ろ手に扉を閉める。赤井には眼もくれず、天蓋の掛かる寝台へ近付きそこへそっと腰を下ろした。
 レースの中の少女は身支度を整えてから現れ出て来た。娼婦になるには若過ぎる少女も、ベルリンではざらにいる。度を超えたインフレーションの忌むべき産物のひとつ。性病が蔓延し、爛れながら人が死ぬ──。
 ユーディット、と。ベネッケンドルフ少佐は少女に語り掛ける。
「もう自分を犠牲にするのはやめよう。そう約束したね。食糧が足りなかったのなら云ってくれ。君のお母さんの薬代も、出来る限り援助する。ハイナーを使うな」
「……そんなに全部世話してくれなくてもいい」
 だって、と少女はそっとこぼすも、やがて諦めたように嘆息すると、ふと口元を白い手で覆い厨房の少年に向かって云った。
「ハイナー、豆を煮てるの?その匂い気持ち悪い、火を止めて」




「...''3. Die Divisionen dürfen unter nicht mehr als zwei Armeekorps-Kommandos zusammengefaßt sein. Das Halten oder die Bildung von anders zusammengefaßten Streitkräften oder von anderen Behörden für den Truppenbefehl oder für die Kriegsvorbereitung ist verboten.''...」

 シャワーの雫が金髪の前髪を伝い落ちていく。呟きながら、彼は薄い碧眼を通してその様を眺めた。足元に溜まった湯に雫は溢れ、小さく次々と波紋を広げる。ひとつ、またひとつ……
 栓を捻ると、やがて波紋は止んだ。
 洗い立ての清潔なタオルで浄めた身体を拭う。リビングに戻り、寝酒用にと保管しているブランデーをグラスに注いで一口を一気に仰いだ。心地良い倦怠感が訪れる。長椅子に腰を落ち着けると、自然、唇から再び言葉が漏れた。
「''Artikel 170, Die Einfuhr von Waffen, Munition und Kriegsmaterial irgendwelcher Art nach Deutschland ist streng verboten.''……」
 言葉を切ると、不意に笑みが溢れてきた。敗戦──そして不当な調印──から四年、頭に叩き込まれた膨大な文字の羅列は、やがて脳髄に染み渡り、こうして敬虔なまでに口から漏れ出るようになった。毎食前、毎夜、日曜の朝、唱えた聖書のように、ともすればそれ以上に、忿懣とともに脳内で文字が沸き上がり、入り乱れる。

 かつてのプロイセン陸軍に属する軍人の多くは、条約調印後の軍縮により除隊を免れ得なかった。彼の隊の士官の多くも同様だった。彼は出自が貴族であったために除籍されずに済んだ──と思っている。プロイセン時代、尉官以上の将校は大方が貴族であったと云っても過言ではない。
 身分が物を云うのだ。帝政が崩壊し、資本主義から社会主義に変容しつつあろうとも、それは未だ根強く残っている。
 ゆえに人々が争っていた。最右翼者と共産主義者は武器を取り、武力行使して互いに殺し合っている。罪もなく犠牲になるのは、常に銃後の弱者達だ。
 彼は微睡む意識の中で、少女と少年を思い出した。義勇軍をルールへ送る作業で忙しく、此処のところろくに通ってやれなかった。更に意識は記憶を遡る。ドイツの降伏、ソンムの惨状、そして──青島での凌辱。
 はっと彼は起き上がる。清涼な初夏の雰囲気に窓の外の木々は葉を抱き寄せ揺れていた。深い緑……いつのまにか朝靄の立ち込める時刻になっていた。
 目覚める直前。自分を何を──誰を、脳裏に思い起こしたのか。あれは、あの男ではなかったか。眩惑なオイルランプの灯りで深まる緑の眼。中に押し入る感触……。新緑を匂わせる男。
 裏手の小屋から馬の鳴く声がした。馬丁が来たのか、寝藁を掻く朝の物音がする。

 ベネッケンドルフ少佐は緩慢に腰を上げると、再び浴室へと消えて行った。


***


 破滅的な困窮の最中にあっても、ホテル・アドロンは栄華の一時代がまるで永遠に続いているかのような様相を呈していた。ブランデンブルク門の女神は変わらず四頭馬車に座し、ベルリンの混迷を見下ろしては冷たい視線を投げ掛ける。
「君とこうして会うのも何時ぶりだろう」そう、赤井の正面に座る人物は云った。石田在仏蘭西大使──第二次大隈内閣においては外務大臣を、戦後の講和条約により発足した国際連盟では日本代表を務めた、政界の大物である。人目を憚っての密会。これは赤井のたっての希望だった。
「お呼び立てして申し訳ありません」
「いや、こちらとしてもそろそろ時期かなとは思っていたのだよ。君の熱烈なラヴ・コールに味気ない手紙で返すのも潮時だったからね」
 永山大使とはまた異なる人種の外交官だった。永山大使を陽と喩えるなら、石田大使は陰だった。陽に照らされてできる影ではなく、あたかも最初から存在しないかのような陰。
 軍事監視委員の方は順調かい?大使の言葉遣いに親しみがこもる。赤井は「骨の折れる仕事です」そう切り出して珈琲を口に含んだ。
「君ほどの優秀な武官が珍しい。やはりこの国の再軍備は起こるべくして起こったという訳か」
「パリではそういった情報は?」
「さっぱりだ。用心深さもドイツらしいな……もっとも、ある程度は予想できた事だ。軍事国家から武器を完全に取り上げるのは不可能だ。ましてやこの国は連合国だけではない、隣国からの脅威にも悩まされていただろうしな」
 石田大使の云う隣国とは、ドイツ北東と国境を接する波蘭ポーランドのことである。かつてはヨーロッパの大国ポーランド・リトアニア共和国として各国列強と肩を並べていたが、プロイセン、オーストリア、ロシア帝国による三度もの領土割譲の末、ポーランドという国は世界地図から消滅したのだった。欧州大戦でのロシアの崩壊とドイツの敗北、そしてヴェルサイユ条約での民族自決権の採択により、ポーランドはようやく独立を果たすが、長きに渡り屈従を強いられた遺恨から、ドイツにとっては警戒すべき敵国であった。そうした政治的事情も、ドイツの再軍備化計画を推し進める要因に成り得たのだろう──。
「対ポーランドについてはソ連も同様です。昨年の独ソの条約も、両国の利害が一致した故でしょう……ゼークトは既にロシアで軍事演習を行っています」
「……他の国は何と?」
「『然るべき手段を取るまで』と」
 ふっと石田大使は息を零して珈琲カップの黒い水面を見つめていたが、次に視線を上げた時には有無を云わせぬ強い眼差しを赤井に向けたのだった。
「日英同盟も解消され、ワシントン体制となってこの方、日本は孤立気味だ。アジアの小さな島国が列強の脅威と見なされている事実は名誉な事だが、程々に済ませたいというのが我々の本音だ」
「心得ています」
 赤井の返答を聞くと石田大使は椅子の背に凭れ、いささか体勢を崩して寛ぎ始めた。さて、と話題を振るように赤井を促す。
「君の本題を聞こうじゃないか、大佐殿。アメリカ時代の誼だ、私に出来る事なら何でも云ってくれ」

***

 外務省小会議室にて、赤井は手にした資料を捲りながら、「特に目新しい情報はないな」とさして驚きも見せずに云った。椅子の肘掛けに肘をついて、脚を組み替える。正面で手持ち無沙汰のように頬杖をついたピエールは、赤井の言葉に肩を竦めた。
「ご存知の通り、局面は依然膠着したままです。ポアンカレは英米に何と云われようとも折れませんよ。まあ、ドイツがルールにおける抵抗運動を即座に停止すると云うのであれば話は別ですが」
 英国の再三に渡る譲歩交渉に対し、フランス首相ポアンカレは強硬姿勢を崩さなかった。七月、英外相カーゾンはフランス政府に対し、次のように明言した──眼を向けるべきはドイツの支払う賠償金額ではなく、賠償金を支払えるかの履行能力の可否である事。ルール地方を生産的な場とする占領前の状態に戻すべきとの事──。
 ポアンカレはやはりにべもなかった。英政府への回答には、「普仏戦争(1870-71)後のフランクフルト講和条約によるプロイセン軍のフランス占領が、5億フランの賠償金が支払われるまで続いた」事や、「当時プロイセンの領土内は戦場とはならなかったにもかかわらず、フランスに多額の賠償金が課された」事を列挙し、変わらずの態度を示した。
「大体、我々の債務返済の為にはこの国からの賠償金が必要不可欠である事は米国だって承知の筈だ。ヴェルサイユに批准したのはそういう理由からでしょう。それを今更、『借金返済とルールの占領とは別問題だ』なんて、都合が良いにも程がある」
「この国の現状を考えてもみろ。制圧しようとすればする程、君達に対する恨みは募る。あれだけの大きな戦争を引き起こした物は何だ?遺恨以外の何物でもないだろう。領土と勢力の奪い合いが生み出した負の感情だ。──既に、次の大戦の火種は蒔かれているかもしれんな」
「……そうならないように、この国から武器を取り上げた筈だったんだ」
 物憂げな表情でピエールは云うと、視線を赤井に滑らせて、好奇心を携えた眼差しで問い掛けてきた。
「随分ドイツの肩を持つんですね、シュウ。恋人でもいるみたいに……」
 男とも女とも云わずピエールは言葉を選んだようだった。「気になるか?」そう返す赤井の傍まで席を立って回り込み、椅子の背に手を付いて赤井を見下ろした。
「奇麗な眼。お母様が米国出身だって云ってた?」
「ああ……」
 唇同士が触れ合い、すぐに離れる。「今夜、家に行ってもいい?」耳許で囁かれた言葉に、赤井は首を振った。
「今夜は駄目だ、仕事で帰らない」

 そう断りを入れた時。小会議室の重い扉が開かれた。ドイツ語を話す男達が、先客がいた事で面食らったのか、いささか眼を見開いて立ち止まる。
 先頭に立つ男の姿を見定めて、書類を仕舞いつつ赤井は腰を上げる。‘‘Major Beneckendorff,’’ 気立ての良さそうな笑みを浮かべて赤井は云った。
 ‘‘Herr Oberst Akai,’’ ベネッケンドルフ少佐は云いながら、赤井の隣に居並ぶピエールに視線を移す。僅かに怪訝な表情を浮かべ、「お取り込み中でしたか」と続けた。
「We are leaving now.(もう失礼しますよ)」そうピエールは笑みを携えて返すと、悠然とした態度で扉へ歩み出した。赤井も続く。脇を通り抜ける丁度その時、ベネッケンドルフ共和国陸軍少佐は、‘‘Mr. Colonel,(大佐殿)’’と英語で赤井を呼び止めた。
「Could I have a few moments of your time?(少しお時間いいですか)」
 赤井はピエールと、少佐の後ろに控える軍服姿の男達を交互に見遣った。少佐は部下達に目線で扉の外を指し示す。ピエールは赤井に薄く笑んで、少佐の部下達に続いて会議室を後にした。
 重々しい音を立てて扉が閉まる。それを確認した少佐は部屋の奥へ向かった。先程赤井が腰掛けていた椅子に手を置き、不意に振り返る。
なんでフランス人と一緒なんだ。少佐の言葉はどこまでも明け透けだった。
「友人を持つのに人種も国籍もないだろう」
「ポアンカレの手下でなければ僕もそう云いますよ」
 流すように赤井を見て、少佐は吐き捨てる。
 夏だというのに少佐の碧い視線は冷ややかだった。目の前に居直ると、その眼は上目に赤井を見上げる。すっと逸らし、少佐は窓際に歩み寄ると外の風景を眺め下ろした。眼下のヴィルヘルム通りは例外無く、背広姿の男達が往き来を交わしている。

 この日の赤井は、軍事監視委員の一員として、此処76番地のドイツ外務省に参じていた。兼ねてより同委員会は、ヴェルサイユ条約第二〇五条にのっとり、ドイツ政府に立ち入り査察の実行を要求していたのだが、ドイツ側は、査察にフランス及びベルギーの委員が立ち会う事を断固拒否し、取り合いを見せなかった。よって、予定していた十一回の査察回数を大きく下回り、三回と定められた内の本日は二回目なのだったが、この若い少佐にしてみれば、そんな日に委員会のメンバーである日本人の将校が、よりにもよってフランス大使館の人間とこそこそ顔を合わせていたという状況自体が気に喰わないのだろうと、容易に思い至る。
 会議では常に穏和な態度を保つ少佐の、滅多に赤井以外には見せない傲岸な表情を、先程予期せずして他人の前で引き出し得た事に、赤井は少なからず優越に浸るだけの自負をも感じていた。
「派手な行動は謹んでください。誰のおかげでこの街に居られると思ってる」
「君のおかげだ──とでも云わせたいのか?残念だが、付き合ってやってるのは此方の方だ」
 碧眼に睨まれる前に、赤井は少佐の背後に従き、その褐色の耳の中へ言葉を吹き込んだ。
「俺が居なくなったら困るのは君だろう。どうやって慰めていくつもりだ……」
 湿った息とともに囁きかける。やはり微かな花の匂いがした。
 少佐は逃れるように身動ぎすると、赤井から僅かに距離を置いて云った。
「お前……なんであそこに居たんだ」
「あそことは?」
「あのバラック。子ども達と会っただろ」
 ああ、と赤井は大机に腰を凭れさせて声を出した。
「少年に声を掛けられたからだが?」
「……日本人の将校があんな場所に用事があって行く筈ないだろう。貧民窟だ。僕を調べるのは勝手だが、子ども達は関係ない」
「そうだろうな。気位の高い『少佐殿』が、アカの子どもと関係があるとは毛程も思っていない」
 ならなんで、と。少佐の視線は怪訝に赤井に突き付けられる。赤井は理由を述べるでもなく、あの少女、と無垢な瞳を脳裏に蘇らせながら口にした。
「堕胎させるなら、手遅れになる前に早く処置をしろ。今のこの国は食い扶持が一人増えるだけで途端に生きづらくなる……それとも、君があの腹の中の赤ん坊をも面倒見るつもりか?いつまで隠し通せる。目を掛けてくれていた大人が、嫌悪する軍人だったと知れたら、純粋な子ども達はどう反応するだろうな」
 少佐の拳は小刻みに震えていた。激するに任せて大机に叩き付ける。そうして寸分の激情から落ち着きを取り戻し、金髪に覆われた額を掌で覆うと長い息を零した。
 テオドール、と。呼び掛けた赤井の言葉に被せるように、少佐は云った。
「大人の勝手で……また、あの子達から、大切な家族を奪いたくはない」
 呟いて、少佐は俯かせた碧眼をそっと上げた。声色に反してその瞳は揺振れておらず、意志を宿す見慣れた碧さだけが真っ直ぐに赤井を貫いてくる。

──‘‘お父さんを殺した’’。

 この若い少佐からは血の匂いを感じられない。やはりほんの僅かに、場違いな花の香りを漂わせるばかりだった。

***

 日が落ちると夏だと云ってもベルリンは肌寒い。昼の名残を残す湿っぽさに幾分か冷気を増した風が、昏い森の奥から撫ぜるように吹いてくる。グリューネヴァルト──緑の森の中を、屋根のないメルセデスは湖畔に向けて進んで行く。
 大きく口を開ける洞へ誘われるままに進んでいるかのような、静かで惑いのない運転だった。言葉の無いうちに、やがて車は湖畔の手前でエンジンを止める。
 些細な喧騒すら皆無だ。月の灯りが仄かに木々の合間を照らし、夜に調和するように潜んでいた瀟洒な建物を浮かび上がらせる。
「どうぞ」云いながらも少佐は、客への気遣いは見せずに、赤井より先に玄関の重厚な扉を潜った。バロック的な調度品の数々に迎え入れられるままに、屋敷の奥へと歩みを進める。
 リビングルームでは装飾の施された暖炉が一時の閑散を見守るような佇まいで冬を待っていた。夏の間に、と、軍帽を脱いだ少佐は金髪を掻き上げて話し始める。
「ある程度の石炭を確保しておかなければ、冬は越せない。けれど新たに生産される石炭は零細なもので、それも殆どがフランスに送られる。知ってるでしょう、ドイツの冬は厳しい……街で凍死した死体を今年、何体見た事か──」
 夏になってもインフレーションは収束の気配を一向に見せなかった。そればかりかマルクの下落は今この瞬間ですら続いている。相場はついに1ドル=35万マルクに到達、闇商売による取引が横行し、もはや銀行ですら信用できる機関ではない。連合国の人間が、ライヒスバンク(ドイツ帝国銀行)を執り仕切っているに等しかった。
 こうした市場での相場を自在に操っているとして、資本家達に怒りの矛先が向いている。インフレを利用して経済・産業を牛耳り、一大コンツェルンを築く者もいた。そういった資本家達の中にはユダヤ人も少なくない。ロスチャイルドという象徴的ユダヤ財閥もあった。こと帝政ロシアや欧州においてはそれこそ何世紀にも渡ってユダヤ人排斥運動が盛んだが、今回のインフレは、ドイツ人の反ユダヤ感情に益々拍車をかけている。
 加えて、只でさえ世界を赤化させようと劃策するソヴィエト連邦の首脳達は、ユダヤの息がかかっているのだ。五年前のドイツの敗戦も、ユダヤに唆されたコミュニストらが、国内で蜂起した事に起因するとの流言まであった。共産主義とともに、反ユダヤ主義が、今世紀に入ってより深層まで瀰漫したという事になる。
 憎まれる。ユダヤ人というだけで──。
「湯を溜めてるので、先に入ってきてください」
 冷たい視線が急かしていた。言葉通り、身体を洗え、という意味だ。
 赤井はおもむろに腰に提げた拳銃と軍刀を下ろし、喉元の勲章を外してから軍衣を脱いだ。シャツは羽織ったままバスルームへ向かう。少佐はすでに関心を失ったのか、赤井に背を向けてテーブルでワインを手酌していた。

 シャワーを終えてリビングに戻ると入れ違いで少佐が浴室へ行く。赤井は煙草に火をつけてから寝室へ入った。白く清潔な部屋だった。ともすれば病室のような様相に、民族的なデザインの絨毯と寝台の木枠の彫りが家柄の上等さを表す。
 チェストの上の写真立てに気が付き、既視感から赤井はそれを手に取った。そこに丁度、少佐がバスローブ姿で現れる。少佐は赤井に一瞥を送るも見咎めもせずにチェストに近付き、抽斗ひきだしから取り出した錠剤を口に含んだ。
 そのまま顔を近付けてくる。赤井は眉を寄せて唇が重なるのを防いだ。
「俺はクスリはやらん」
 寸前で少佐が動きを止める。碧い眼差しが、柔らかく突き刺すように赤井を見つめる。
「ただの鎮痛剤ですよ……戦場じゃ必要不可欠だ」
「此処は戦場ではない」
 少佐は身を退けると、置いてあった水差しをグラスに注いで錠剤を喉に流し込んだ。再びグラスを水で満たし、「Wasser?」と赤井に問い掛ける。赤井は答える代わりに煙草を咥えた。
 何故、棲家に招かれたのか。深く考える事もせず同乗した。委員会による査察は夜更けまで続いた。綱渡りだ。実際、この金髪碧眼の男との会合の最中は、赤井は部下に指示を送る事ができない。少佐とてそれは同様だが……。
 煙草の灰が落ちかけていた。灰皿で火を消す。同時に、またしても濡れた金髪が近付いてくる。今度は制止しなかった。
 覚えたてのような触れ合いから徐々に深みを増していく。ひとまず歯列をなぞり合うと溢れ出る唾液を互いに飲み込み、上顎を撫で、離れ側に唇を愛撫する。少佐が細く吐息を空中にこぼすのを聴きながら、赤井はその頸筋に顔を埋める。
 少量のモルヒネで性的快感を得られる筈がない。けれど、少佐の表情は口付けの合間から悦びを携え、その吐息は毒を含んだように熱い。うなじからは花の香りが濃く漂う。催淫効果でもあるのではないかと思わせる程、嗅覚に強烈に残る。
 いれて、と一息吐いて少佐が漏らす。口付けだけで極めそうな勢いに薄く嘲弄い、赤井は少佐の肩を押して己の前に跪かせた。のろのろとした動作を咎めるように、顎を強く掴む。少佐は引き摺り出した赤井の性器にその唇を寄せ、舌を絡めてから喰むように咥内へ招き入れた。
 裏筋を擦りながら頭を動かす。碧い目が儚さを帯びて赤井を見上げてくる。懸命な奉仕に、赤井の一物も熱を高め獰猛な硬度を保つ。上気せるような熱気の中で呼吸を整え上下する肩を掴み、赤井は身体を反転させて、少佐の背をチェストに押し付けた。唇を指で抉じ開け、一思いに突き入れる。喉奥まで捩じ込まれ、少佐はきつく眉間を寄せた。えずく感覚よりも先に、二度三度と立て続けに喉を犯され、苦痛の──少しばかりの苦痛であれば感じていない筈だが──悦びの無垢な涙を浮かべる。
 射精感に耐えながら赤井は少佐の咥内を蹂躙し続ける。唇が赤く色付いてきた。ようやくというところで解放してやると、堰を切ったように少佐は噎せ込んだ。顔を上げさせる。濡れ切った碧眼は赤井を映すと静かに水滴を落とした。
 立てAufsteh.と命じた。重い腰を上げて少佐が立ち上がると、赤井は視線で寝台へ行くよう示した。少佐がベッドに乗り上げるも早々に、シーツに縫い付けてバスローブの下の肌に触れる。
「ぃ、あ、ッ────!」
 望み通り、解してもいないそこに無理矢理押し入る。
 喰い千切られる──。女のそれとは違い、乾いたままの排泄器は押し返すような蠢きを繰り返すも、奥へ進む程に赤井の一物に寄り添うように絡み付いてくる。
 打ち付けて、腰を引き、再び穿つ。苦い喘ぎが甘美さを増す。はち切れんばかりに主張する少佐の一物は、律動に合わせて震え、絶えず湧き出す泉のように欲望を滴らせていた。
「あ──、あ、っひ、ァ、あっそこ、掴むな……っ!」
 後ろから擦り上げると、強過ぎる圧迫からか少佐は制するように赤井の左手に触れた。けれど容赦のない赤井の攻めは、あまりに弱々しい抵抗を物ともせず、震える欲望の先端をその指先で掻き倒す。赤井が抉るように鈴口を犯すと、嬌声はひときわ高く挙がり、頬を濡らす滴は次々とシーツにこぼれ落ちる。
 不意に赤井は少佐の薄い耳朶じだに歯を立てた。軽く喰んだあと、耳孔まで舌を突き入れて、愛撫するようになぞる。そうしながら結合部を揺らすと、あっという間に赤井の指先は熱い飛沫に濡れた。腰を引く。褐色の身体を仰向けにし、弛緩しきったその孔に濡れた指を差し入れ、浅い部分を引っ掻いた。残骸を吐き出すように、少佐は一物からまたしても性を放出させる。
 風呂に入った後だというのに、花に、汗と性の交じる匂いが濃い──。赤井は再び中へ入ると、少佐の腹の深くまで届くような抽送を重ねて、そうして最初の吐精を迎えた。更なる快感を求めて腰を揺すれば揺する程、空気が湿り気を帯びる。
 悪戯に名前を呼ぶ。薄碧い眼差しはいつになく熱く、ほどけるように、赤井に向けられていた。



 毛並みの美しさでその馬が如何に手を掛けて育てられているのかが分かる。
 ザッ、ザッ、と。馬丁の寝藁を掻く音を聴きながら、赤井は小屋の入口の扉にもたれた。しばらくその様を眺めていると、汗を腕で拭いつつ振り返った少年が、赤井の姿を見定めて驚きに目を見開いた。グーテンモルゲン、そう声を掛けると、馬丁の少年はいささか困惑した表情を作りながらも、‘‘Herr’’を付けて同様に挨拶を返した。
「奇麗な馬達だな。名前はあるのか?」
「はい……この青毛がダリエで、向こうの真っ白いのがマグノーリエです」
「マヨーア・フォン・ベネッケンドルフが付けたのか」
「そこまでは、」
 知りません、と続いたであろう少年の言葉は、口からまろび出る事はなかった。勝手に歩き回るな、と。赤井の背後で、少し嗄れた声がした。
「毛並みの良いのがもう一匹来たな」そう揶揄するように振り返ると、不機嫌そうな表情の男が、朝靄の晴れ間の中で立っていた。金髪が、水分を含んだ空気に濡れ、昏く輝いている。
 ベネッケンドルフ少佐は少年に邪魔を入れた事を詫びてから、「彼女達の食事はこれから?」と訊ねた。少年が肯く。
 餌遣りを自ら代行する少佐の横で、赤井は馬の艶を浮かべる黒々とした頬辻を撫でた。絹のような手触りは、赤井の掌に殊更しっくりと馴染む。二頭とも精悍な立ち姿だった。四肢は引き締まり、肉感は弾むようにしなやかだ。
「美女に囲まれてるな」
 称賛の言葉が赤井の口から吐いて出る。「羨ましい?」マグノーリエの白い長毛を梳きながら少佐が問う。
 ああ、と赤井はしぜん肯いた。
「……湖の方まで連れて行ってもらいましょうか」

 照り出した朝の光の中で、その被毛は艶を増して赤井の眼に映る。鞍の上に腰を落ち着けて、揺られながら相並んでの行進は、不思議な穏やかさを憶えさせた。「ダリエは滅多に人に懐かないんですけど」少佐が云う。赤井は馬上で嘯いてみせる。
「昔から馬と女には好かれてきたからな」
「……そういう話は訊いてない」
「下世話な話は嫌いか、少佐殿。貴族は難しいな」
 少佐の返答はなかった。ただ沈黙ののちに、手綱を引いて、僅かに口角を上げながら赤井に好戦的な視線を送ってくる。
「初めて乗った女を走らせるくらい、大佐殿には造作も無い事でしょう」
 云い終わるや否や、少佐は鞍を蹴って、駆った。白いしなやかな体躯が、まるで奔放な小娘のように瞬く間に走り抜ける。
 霧雨が降ってきた。赤井も、青毛の巨体を走らせる。馬に乗るのは久方振りの事であった。馬と一体になり、思うままに駆け抜ける高揚感……。
 木々が開けてきた場所で、少佐は鞍から降りて、じっと立っていた。「夜明けの瞬間がもっと奇麗なんだけど」辿り着いて同様に下馬した赤井に、視線は前方を据えたまま話す。
 湖水の静かなさざめきが聞こえた。霧雨に濡れた木々の葉が、艶美なまでに深く緑を帯びる。遠くの雲の切れ間からのぞく朝日が水面に降り注ぎ、眩い程の光の反射を放つ。
 俺が殺したんです。微かな声色に赤井は少佐を見遣った。
「ユーディットの父親は……スパルタクス団──KPDカー・ペー・デーの前身──の中心人物のひとりだった。敗戦の直前、キールで反乱が起こって、暴力革命を掲げる共産主義者達はベルリン中で政府打倒のストライキを扇動した。王宮広場でも戦闘になった。血がたくさん流れて、軍人も、民間人も、死んだ。主要団員らを捕まえて、銃殺を命じました。国家間の戦争ではない、国内で、同じドイツ人を……」
 少佐は追憶に耽りながらも、その表情は湖水の表面のように穏やかだった。
「何も共産主義者を片っ端から毛嫌いしている訳じゃない……あの当時の政府はたしかに腐敗しきっていた。戦争は金になる。武器を製造しては、敵であるフランスに売って、稼いだ。そのドイツ製の武器で、徴兵したドイツ人が大勢死んだ。軍は、容認してた。偽善なんです、貧民街に通うのは……自己満足の贖罪だ。俺は今も──」
 腐ってる。
 小さく呟かれた言葉が空気に溶ける。マグノーリエが慰めるように鳴いた。少佐は微笑んで、その真っ白な頸筋を丁寧に撫でる。
 帰りましょうか。独り言のように云った少佐の背に、赤井は呼び掛けた。『零』という名は勿論彼の本名ではないが、少佐は僅かに振り返ると、ひっそりと、赤井を見つめて口を開いた。
「貴方にその名前で呼ばれると、俺が、俺じゃなくなる気がする……」


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