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 話は下って帝国主義の風潮が拡まった十九世紀、各国列強はそれぞれ植民地獲得に躍起になっていた。それはその頃統一を成したドイツ帝国も例外ではなかった。
 日清戦争後の三国干渉で、日清講和条約(下関条約)により日本に割譲された遼東半島を返還させた事で清国に対して恩を売ったドイツは、一八九七年、清の山東省曹州にて発生した、現地人によるドイツ人宣教師殺害事件を契機に兵備を膠州湾へ出陣させ、湾岸一帯を占領した。
 翌一八九八年、ドイツ政府は極東における自国の本拠地として膠州湾を九十九年間の租借地とし、軍港を開設、鉄道設置や鉱山の採掘権を主張して支配下に置いた。

 その十六年後の一九一四年夏、欧州戦争が開戦。同盟関係にあった英国の要請もあり、日本国はドイツに対し膠州湾一帯を支那へ返還する旨の最後通牒を下したが、ドイツ側は応じず、八月二十三日遂にドイツ国へ宣戦布告。九月には神尾中将率いる久留米駐屯の第十八師団──通称菊兵団が歩兵第二十三、二十四、二十九旅団、攻城砲兵及び騎兵聯隊その他から成る独立第十八師団を形成し、山東半島に上陸を果たした。
 上陸当初は僅かながらのドイツ軍斥候兵と相対するのみであったが、南進するに従い武装した敵兵との交戦が増加した。これを攻略しながら即墨に到着した師団主力は、流亭、王哥庄を経て第一線まで南下してきた。
 激戦を極める中、ドイツ兵の死体収容処置のため、十月十二日一三〇〇(ヒトサンマルマル)より両軍は休戦状態に入った。翌日の十三日には非戦闘員(一般市民及び中立国人)の身柄安全を確保する旨の通達が内地参謀本部より到達、直ちに会見が両軍代表によって行われ、その受け渡し日詳細が定められた。

 会見より二日後の十月十五日──非戦闘員受け渡し日当日。
 霧雨の降る中、海路での現地支那人及びドイツ人から成る非戦闘員約千三百名の戦場退去が実行された。はしけに乗船したドイツ側の代表達が、整列して待つ日本軍の眼前に降り立つ。
 ドイツ側の軍使は、普魯西プロイセン王国陸軍の制服を着用した、鼻梁の整った年若い碧眼の中尉であった。
 革手袋を外した褐色の手を差し出される。赤井もまた手套を脱いでその手を握り、独語で儀礼的な挨拶を述べた。
「Sehr angenehm, Akai der Major.(少佐の赤井です、初めまして)」
「Sehr angenehm auch, Herr Major Akai. Ich bin Beneckendorff, der Oberleutnant.(お目にかかり光栄です、赤井少佐。中尉のベネッケンドルフです)──此度の貴軍のお心寄せには我が陸海軍一同、大変感謝致しております。総督よりも厚くお礼申し上げます」
 青年のその宛転たる話し振りに赤井は訊き返した。
「これは驚いた。日本に留学の経験でもおありでしょうか」
「いえ、ドイツに居る古くからの知己が日系人でして」
 青年は軍帽の下で理知的な微笑を浮かべた。
 見かけは柔和だが腹の中が読めない種類の男であった。何よりその透き通るような碧眼は気前よく笑みを浮かべてはいるが、高度な聰明さと一寸の隙をも許さぬ力強さとを内包していた。
 短い握手を交わし互いに背を向ける。非戦闘員らの乗船が終わると、日本軍の喇叭ラッパ手による吹奏が行われた。──ショパンの有名な即興曲だった。
 ドイツ軍代表団は雨に打たれながら静かに帰って行った。その背を見届ける赤井の視界の中で、先程の中尉が振り返る。視線が合うと中尉は微笑のまま不意に脱帽して、綺羅星の如き金髪を露わにし、手に掲げた軍帽を二、三度ばかり振ってみせた。
 美しく甲高い悲壮の旋律が小雨の戦場に響き渡る。
 微睡みのような眩ゆいその光景は、束の間の安寧であった──。

 そして十月三十一日。天長節祝日であった。
 天長節とは日本の四大節の一つ、今上天皇の生誕を祝う為の祝日である。古代より執り行われてきたその儀は、明治六年(一八七三年)に太陽暦が採用されてから正式に国家の祝日とされ、以降元号が移ろってからの昭和二十三年までその名で通過されてきた。
 大正天皇即位に当たっては、生誕日である八月三十一日を天長節、二ヶ月後の十月三十一日を天長節祝日とした。祝日が二日あった訳である。
 通説では病弱だった大正天皇の御身体を顧慮し、盛暑期の儀の執行を避けた為、二ヶ月後に奉祝がなされたのだという。
 そう云った内地では祝賀情調のその日、日本海と黄海を隔てた彼方の支那国の膠州湾──青島では、日本征独軍がいよいよ総攻撃を仕掛けんと正に眈々と朝を迎えたのだった。
 早朝の〇六一〇、凄まじい砲声とともに開始された攻撃は日の暮れる頃にはドイツ軍の歩兵陣地第一線である狐山〜浮山間を破壊、翌十一月一日の宵には中央堡塁を奪取、砲弾と機関銃、光弾その他の攻防の末三日夜に第二陣地を占領した。
 戦況は着々と日本軍の優勢へと傾いていた。

「赤井少佐殿、第二中央隊の伝令兵より伝達であります。モルトケ山及びビスマルク山、イルチス山の敵陣第二防御線である砲台は八割を破壊、また、占領した山東鉄道付近にて分隊の兵が通訳と見られる支那人四名を捕らえたようです。処分の程は如何致しましょう」
「敵も連れて行く価値無しとして捨て置いたのだろう。金をやって帰らせろ」
 イギリス煙草を燻らせて赤井は命じた。報告に来た分隊長の少尉は敬礼をしながら、物欲しそうに赤井の唇で葉を燃やす煙草を眺めていた。
 赤井はその視線に気が付くと、ふっと唇を歪めて、煙草のケースから取り出した一本を少尉に向けて差し出した。
「英国軍からの支給品だ。燐寸は持ってるな?大事に吸うといい」
 少尉は驚いたように瞠目したが、すぐに赤面して「ありがとうございます」と煙草を手に後方へ戻って行った。
 間を置かずして数百米離れた山間にある敵陣地目掛けて砲弾が飛翔した。黒煙が灰色の空に昇り四房山をたちまち被覆する。連隊の兵達はその様子に歓喜の声を挙げた。
 赤井は軍用ブーツの踵を返すと兵を集めて一息に命令を下した。
「第一小隊に敵陣地百三十メートル手前に第三攻撃陣地を構築せよと伝えろ。工兵が足りぬようなら他隊から追加。第二、第三小隊は交通壕の補修及び第三攻撃陣地までの掘開を。砲兵は主力は残りの堡塁を、その他は市街を砲撃して援護。連隊長には私が報告する」
 兵士達が敬礼して散って行く。皆息巻いていた。張村河近くの総司令部へと向かう赤井は、今度は年端もいかぬような兵卒に呼び止められた。兵卒は赤井の正に軍人然とした圧倒的な雰囲気に気押されたのか、一瞬緊張した態度を見せるも、決心したように口を開いた。
 赤井は僅かに眉間を寄せてその報告を聞いた。場所を問うと、半里ほど後方にあるドイツ兵営だった建物だと兵卒は応答した。了解すると兵卒を連隊に戻らせ、赤井は進路を変更した。

***

 風が出てきた。雨露霜雪のこの地は雨が降ると地盤が緩み、泥濘が酷くなる。舗装された広い道に出て、赤井はドイツ海軍の駐屯兵らが使用していた兵営基地に来た。
 大日本帝国陸軍の旭日旗が掲げられ、風に靡いている。歩哨に立っていた下士官は赤井を見ると敬礼したが、やがて顔面を蒼白させて基地の内部へと目線をやった。
 内部は暗がりに包まれていた。懐中電灯を片手に検めるように奥まで進んでから、地下へと続く階段を下りる。
 オイルランプの微かな明かりが漏れていた。近付く程に、密かだった声達は鮮明に赤井の耳に届いた。その部屋まで歩み寄ると、最早享楽の宴よりも、遥かに狂気を帯びた光景が広がっていた。赤井は眉を顰めて部屋の中へと足を踏み入れた。
「何事だ」
 そう不意に投げ掛けると、男達が数人、驚きに身動いで露わだった下半身を隠すために軍服の下衣を引き上げた。
「少佐殿っ……!」
「……捕獲した俘虜は丁重に扱えと云うのが本国の意向だ。隊に戻れ。それは私が預かり受ける」
 恭しく敬礼をして男達は出て行った。それを見届けてから、床に無惨に転がったものに歩み寄る。──雄の臭気が濃くなる。
 革の長靴でその投げ出された足を小突く。びくりと震えたのを確認してから、赤井は卓上にあった水差しを手にし、グラスに注いで口を付けた。
「Wasser?(飲むか?)」
 反応はなかった。もう一度グラスに口を付けて、床に横たわるそれに再び冷ややかな眼を向ける。
 褐色肌に金色の紅毛──。部屋の隅に投げ捨てられた深青の軍服は普魯西陸軍の制服だった。
「……嬲られ過ぎて声も出ないか」
 赤井が呟くと。それは俯いていた顔をおもむろに擡げた。そうして金髪の隙間から緩やかに覗いた虚ろな碧眼を見下ろすと、赤井はグラスを卓上に置いて椅子を引き、其処に静かに腰掛けた。
 脚を組む。碧眼の視線を受けて、赤井もまたおもむろに口を開いた。
「三週間ぶりだな、中尉殿。うちの部下共が手荒な真似をしたようで申し訳ない。
……どうやって捕まった?」
 床に転がった男──ベネッケンドルフ中尉は、赤井のその質問に何も答えなかった。後ろ手を縛られた身体を投げ出し、ただその碧い瞳を彷徨わせて、そして再び赤井に向ける。
──身体まで奇麗な男だった。
 鑑賞に耐えるその肉体は最早ある種の芸術美さえ感じさせる。まだ若い脈動が通う肌に下卑た白濁がよく映えた。

 赤井は暫し中尉の裸体を眺めてから、煙草に火を点け、挟持品を検める為に立ち上がった。無造作に落ちた軍服を拾い上げ、拳銃やサーベル、ナイフを机に並べる。懐の隠しポケットからは小さく折り畳まれた写真が現れた。
 赤井はその写真を検めると、また折り畳んで懐に入れ直した。そうして軍服を椅子の背に掛けて向き直ると、中尉は赤井のその様子を未だ虚ろな眼差しで見つめていた。
 色付いた唇が舌を覗かせる。中尉は僅かに声を震わせながら、ようやく小さく言葉を発した。
「…………たばこ……ほ……しい、」
 掠れた声だった。赤井は中尉の傍らに片膝をつくと、横になったその身体を起こして壁に凭れさせ、ケースから取り出した煙草を乾いた唇にさしはさませた。フィルタに燐寸の火を近付ける。それに合わせて中尉が息を吸い込む。
 火が着いた。チリチリと先端の燃える様を見下げて、赤井は逡巡する。
 女のような顔立ちだと云うのが、この中尉の見目に対する赤井の評価だった。従って、この若く美しい男がこうした戦場において、禁欲を強いられた兵士達の飢えた肉体を発散させる的となるのも、赤井は致し方ないと考えている。
 尊厳などあってないようなものだった。それが戦争だと、誰しもが理解しているのに諍いはなくならない──。

 赤井は中尉の背中の縛を解くと、手首を胸の前でもう一度縛った。その手で中尉は口の煙草を操り、長い一息の煙を吐く。
 貴方とは、と。中尉はようやく明瞭な言葉をその唇から放った。
「この戦争中、もう一度顔を合わせる事になると、あの時なんとなく思ったけど。──まさか、こんな風に再会するとは、思わなかったな……」
 すっと濡れた眼で赤井を見上げた中尉は、自嘲の笑みを携えて云った。
「どうせ同じくやられるんだったら、貴方みたいな色男に最初に抱いて欲しかったかも……」
「……俺に男を抱く趣味はない」
 赤井はそう云い放つと立ち上がって椅子に座り直した。
「君を憂慮しようじゃないか、中尉殿。どの道君は日本軍の俘虜として日本の収容所に収監される。私の質問に答えてくれれば、帰国迄の間君を手厚く待遇しよう」
「……同盟国はこの戦いに負けるとでも云うような口振りですね」
「現に貴軍が設置していた三つの砲台はほぼ破壊されたも同然だ。時間の問題だと思うがな」
「……質問というのは?」
 赤井は机上の拳銃を手に、弄ぶように遊んだ。
「『鉅野きょや事件』に関する秘密文書──ヴァルデック総督(青島守備軍総督・海軍大佐)が持っているな?」
 鉅野事件──十七年前に曹州で発生した、現地郷民によるドイツ人宣教師殺害事件の事である。ドイツが此処膠州湾を租借地とする切欠となった事件だ。
「そういった文書があるのかも定かではないが。僕が海軍所属だったら貴方の質問に答えられたかもしれない」
「そうか、まあいい」
 カラカラ、と金属が床に擦れる音がする。拳銃の鉛弾が落ちている。赤井は左手の手套を外してその内の一つを拾い、再び中尉の眼前に跪いた。
 壁に手を突かれ、中尉は碧眼を大きく見開かせて赤井を仰ぎ見た。その視線を受けて、赤井は手にした銃弾をこれ見よがしに目の前に翳し、話し始めた。
「鉛は筋肉内では溶解しないと云うが──試してみるか?中尉……腹の奥に何発も挿れられるとどうなるか流石に判らんな……」
 赤井は鉛の弾丸をひたりと中尉の大腿に押し当てた。冷たい金属の感触に中尉が息を詰まらせても、構わずに赤井はその弾を肌の上で滑らせ、徐々に降ろしていく。白濁に塗れた孔に辿り着くと、その切っ先を僅かな力を込めて埋め込んだ──。
「な……なに、して……やめろ、」
 顔面蒼白で中尉は制した。声が裏返っている。赤井の軍服の肩を押すが、膝裏を取られると腰が滑って上手く力が入らない。
 ひゅっと中尉が息を吸った僅かな隙を突いて、赤井は指先を銃弾とともに泥濘んだ後孔に押し込んだ。ずるずると奥まで侵入する指と冷たい異物に、中尉は赤井から顔を背けて歯を食いしばった。震える指先から煙草が滑り落ちる。
 その内に指を追加され、鉛弾で緩くナカを拡げられると、散々犯された腔内が再びの淫らな刺激に熱を持ち、柔らかく誘うように蠢き始める。
「……っん、ぅ……は……ぁっ……あっ、」
「良い顔だな、中尉殿……此処も悦んでいるようだ」
 中尉は赤井のその言葉に薄っすら眼を開けて、自身の股間に涙に濡れた碧眼を向けた。其処は完全に雄を膨張させ、赤井の指に壁を抉られる度にひくひく揺れては先端から透明な汁を溢れさせていた。
 ぐるりと腔内で指を使われ、鉛の弾丸で舐るようにある一箇所をやられると、中尉は切なげに秀眉を寄せてとうとう極みに到達した。褐色の肌に新しい精が飛散する。
 中尉の呼吸が整うのを待って、赤井は収縮する孔から指を引き抜いた。カランと床に転がった銃弾は色々な体液に濡れて妖しく光っていた。

 汚れた指を手巾で拭い、赤井は早々に立ち上がる。机に並べていた武器を纏めて抱えると、中尉に向き直り冷酷な眼差しで言葉を掛けた。
「銃弾は残しておくから自分で確かめるといい──ああ、くれぐれも舌を噛もうなんて真似はするなよ。我が国の俘虜収容所は中々良い処だ。戦争なんて馬鹿げた所業とおさらばできる……この戦いが終わるまでのほんの少しの間我慢するだけでいいんだからな」
「……戦争に死ぬのが軍人だろ、」
 汗と涙で覆われた顔で中尉は云った。その瞳の純粋さに、赤井は何も答えずに部屋を出て行った。

***

 ドイツ軍は第一、第二攻撃陣地の他に五つの堡塁を構築していた。海岸堡塁、台東鎮東堡塁、中央堡塁、小湛山北堡塁、小湛山堡塁、全てに巨大且つ厚さニ米という頑丈な鉄筋コンクリート製のトーチカ(防御陣地)を備え、周囲には大きいものだと十米幅の有刺鉄線鉄条網が張り巡らされていた。
 尚且つ数十に昇る機関銃にて各堡塁は武装され、中間にある堡塁にも軽火器が配備されている。堡塁手前には約六キロにも及ぶ鉄条網ラインが敷かれ、周辺には地雷が埋められていた。
 日本軍の青島攻略に当たる作戦はこうだった。
 膠州湾からのオーストリ巡洋艦の砲撃と河口付近の強固な防御を熟慮し、右翼隊(浄法寺少将支隊)、第一中央隊(英バーナージストン少将支隊)、第二中央隊(山田少将支隊)、左翼隊(堀内少将支隊)のうち第二中央隊と左翼隊に主力を配置し、台東鎮東堡塁からビスマルク山以南の左翼一帯への砲撃に多くを費やす。
 そして短期決戦──。総攻撃を二日間、作業進展の為の自制攻撃を三日間、再び総攻撃を二日間。計七日間でカタをつける算段である。

 十一月四日は夜になっても電燈が点かなかった。赤井は交差させていた脚を組み替えて、身を落ち着けるように椅子の背に凭れた。燐寸を擦る。そうして煙草に火を灯す。炎を消すと、オイルランプが齎す眩惑的な明かりだけが、唯一室内の野放図な痴態を照らしていた。
「主力部隊が放った砲弾が市内発電所に命中したらしく、この辺りは全域停電中であります」
「復旧にはまだ時間がかかりそうだな……戦況はどうなってる?」
「午後になってからイルチス山腹に設置された新たな榴弾砲により敵陣の射撃が活発になってきています。死傷者数三五〇余名、前線歩兵部隊の前進も足踏みした状態です」
「成る程。だそうだ、中尉殿。此処にきて貴軍の猛追ときた」
 赤井はすっと横に流した眼で、彼──下肢を男に貫かれて手厚い待遇を受ける敵軍の中尉──を見下ろした。
 肉同士のぶつかる生々しい音が絶え間なく聞こえる。四つん這いにされ、背位で穿たれる度に嗚咽に似た喘ぎがその清麗とした唇から漏れている。銀色に艶めく手錠が、滑らかな痩躯が身悶える度にカシャカシャと音を立てた。

 こうして一日中、ベネッケンドルフ独国陸軍中尉は俘虜としてその身を敵国である日本軍の兵士達に貪られていた。若く精力の有り余る兵達は、西洋人の中尉のその珍しい風骨と艶然たる肢体に魅きつけられ、戦場での鬱憤を晴らすように代わる代わる彼に無体を働いた。
 もはや枯れつつある嬌声が細く挙がる。背をしならせると、中尉は張り詰めさせた一物から瞬く間に精を放出させた。
「おい、貴様中には出すなよ。おかしな病気になられると帰ってからが面倒だ」
 赤井がそう云うと、中尉の尻に己を沈めていた士官が、思い出したように身体を引いて、そして床に向かって放精した。精の匂いがこびり付いた部屋にまた新しい狂態の証が増える。
 靴底を鳴らして赤井は苦役に果てた中尉に歩み寄る。そうして昨日と同じようにその裸体を見下ろし、再び開口した。
「ドイツはまだ大砲を隠し持ってるのか?出し惜しむほど我々は舐められていたようだな……何れにせよ弾は尽きるものだ。貴軍の猛攻を見るに、それはそう遠くない──君もいい加減腹一杯だろう」
「……Verdammt.」
 中尉の威勢の良さに赤井は煙草を咥えたまま嘲笑った。青いな、と唇から思わず零れ出る。
「素直になった方が身の為だぞ……」
 また新たな士官が中尉の身体を凌辱する。挿入の瞬間僅かに眉間が寄るのは、幾ら涼しい顔を装っていても無理難題のようだった。そういった表情が欲情の火を煽るのだ。聰明な高嶺の花然とした、しかも男を、気の赴くままに穿つ事ができる──不道徳的な高揚。
 日がな一日をお国の為にと殺し合いに費やし、戦争に爛れた男達が、喉を潤す為に甘い水を求めて遣って来るのは当然の事と云える。
 狂態に背を向けると、赤井は部下に監視を命じて室内から去った。地上では膠州湾から流れてきた冷風が、巡洋艦の砲撃の音を共に運んでくる。
 空を見上げると砲撃の衝撃で上がる砂煙の向こうに、星達が佇んでいた。


 次の夜に赤井がその基地を訪れると、昨晩と同様に兵士達に身体を暴かれる美しい青年が啼いていた。流石に三日目ともなると室内は得も知れないただならぬ感覚に包まれている。赤井は異臭に顔を歪め、男達に云った。
「身体を洗ってやれ、支給品の中に石鹸があっただろう」
 宿直の海軍兵が使っていたのであろうシャワールームは粗末な造りで、ぬるい湯しか出ない。それでもましな方だ。水場と云えばこの辺りは川が幾つも流れているが、どれも生活廃水で汚染されていた。
 赤井は椅子に座って、心許ないカーテンが水足に蕩揺する様を眺めていた。暫くして水音が止むと、「タオルTuch」と苛立たしげに呟く声が聞こえてくる。カーテンが開かれる。金髪を後ろに撫で付けて水に濡れた男が、惜しげもなく肢体を晒してバスタブから這い出てきた。
 大判の布を手に取ると、赤井は椅子から腰を上げて中尉に近付いた。中尉は、「手錠が邪魔で満足に洗えませんでした」と云わんばかりに、水を滴らせた両手を差し向けて少し唇を尖らせてきた。
「だから洗わせると云ったんだ。それを君が独りでできると拒んだからだろう」
「……俘虜は丁重に扱うんでしょう、湯浴びの時くらい一人にして下さい。簡単なお願いだ」
 赤井が布を手渡す。固く絞られたようなその感触に、中尉は不満を露わにしたがそれも一瞬で、大人しく身体を吹き始めた。
「……外の様子はどうなんですか」
「我が軍の前進部隊が堡塁下に迫りつつあるが、ビスマルク山からの反撃もあり一進一退状態だな。もっとも、驚く程の砲撃数だ……ヴァルデック総督は相当後先顧みない戦術家と見える」
 中尉は赤井のその揶揄に顔を俯かせたまま沈黙を貫いていた。赤井が椅子に坐り直して右腕の時計を見ると、ちょうど針が十二を指している。手首から外して右手でぜんまいを巻き直す。こういう時、左利きは難儀だ。赤井は右手でも左手でも不自由なく武器を扱えるが、銃を操る時は特に左手を好んだ。この時世、抜刀する機会も滅多に訪れない為、右手に時計をしていても困りはしない。
 そうして時計を嵌め直した時に、ふと傍らに立った陰に赤井は顔を上げた。美しい男の顔が迫ってくるのを、赤井は眼を開けたまま受け入れた。唇が重なると、あり合わせの石鹸の安い芳香が鼻につく。
 中尉は赤井の唇の味を堪能すると、じっとその英姿の面を見下ろして、おもむろに脚元に跪いてきた。赤井の軍服の下半身に顔を寄せて、ちょうど股間の上で猫のように頬擦りする。娼婦めいた仕草のついでに碧眼に上目で見られ、赤井は無表情のままベルトを外し、己の下袴を寛げた。

 まだ理性の残るそこに、中尉は躊躇いもなく舌先を伸ばしてくる。何度目かの舌の往復で緩やかに熱を持ち始めた一物を、今度は掩い隠すように先端から咥え込む。唇で扱き上げ、啜るように吸う。それを繰り返し、ようやく男らしく硬直した一物を、中尉は確認するような動きでねっとりと舐め上げた。鈴口を突つくと滲み出た汁の味に、風呂上がりの褐色の頬に更に上気が差す。
 赤井は表情を変えなかった。無表情のまま、己の一物の弄ばれる様を見下ろして、捕虜である筈の男に自由を与えている。中尉が亀頭から一息に飲み込むように咥えても、まるで意に介さない態度で坐していた。
 唾液で掻き混ぜられる音が室内に響く。そんな時にふと中尉の視線が、惑うように一瞬彷徨ったのを、赤井の冷めた瞳はこの糜爛した状況下でも隠微な違和感として見過ごさなかった。
「!!ッ………た、……」
 中尉は肘をついて、衝撃に後ろに倒れた身体を覚束なく起こした。そうして、自分を蹴り倒した男を、先刻から一転、蔑視の眼差しで見上げた。
 赤井は立ち上がると下半身の乱れを正して、中尉の傍らに落ちたナイフを拾う。刃を折り畳み、軍服の懐に仕舞い込んだ。
「中尉殿……分を弁えろ。いいか、君はこの先、この戦争が終わるまで日本軍の俘虜として過ごすんだ。ご機嫌取りの遣り方を覚えろ。収容所の親父どもには間違っても刃を向けるな。悪いようにはされんだろう」
「敵軍の男達に尻の穴を玩具オモチャにされるのを、甘受しろだって?それがどれだけの屈辱か、お前も同じ軍人ならわかるだろ?!」
「分かったところでどうなる?恨むならこの戦争を始めた自分の国を恨むんだな」
「……なんだって?」
 中尉は赤井の言葉に碧眼を血走らせて訊き返した。赤井はもう無駄だとでも云うように、冷徹な瞳で青年を見下ろす。
「ヴァルデック総督は全弾放出を命じたそうだぞ」
 血走る碧眼が見開かれる。それの意味するところは、聰明な中尉には歴然たるものであった。
 赤井は床に落ちていた布を中尉へと投げた。裸の肩にかかり、はらりと重力に従って肌から滑り落ちる。中尉の出した怒鳴り声を聞いたのか、様子を伺いにやって来た部下に赤井は酷薄に命じる。
「吊るして麻酔薬を投与しておけ」
「はっ……しかし、」
「いいな」
 赤井が念を押すと、部下の男は敬礼してから中尉の肩を掴んだ。中尉はただ沈黙して、されるがままに、自らの肌に巻き付かれる縄の締め付けに身を任せていた。

***

 十一月六日未明、張村の日本軍総司令部は騒然となった。ドイツ軍の主要砲台であるビスマルク山が爆音と共に火煙に包まれていたのだ。司令部基地から外に出た男達は皆、愈々いよいよかと、期する面持ちでその様を眺める。
 双眼鏡を覗いていた連隊長が、師団長である神尾の元へ報告に走る。この時日本軍の工兵隊はほぼ第三攻撃陣地を構築し終わり、第一線歩兵隊はそれぞれ敵陣地海岸堡塁より百メートル、台東鎮東堡塁より二百十メートル、中央堡塁より九十メートルにまで迫っていた。
 払暁の頃、砲兵隊は予定より一日遅れて二度目の総攻撃を敢行。既にビスマルク要塞に残存していたドイツ兵達は退却済みであった。攻防戦を続ける最中、司令部は山田少将の率いる第二中央隊から上申を受ける。ドイツ軍の中央堡塁が反撃を停止した為、本晩奇襲をすべしとの事だった。司令部はこれに許可を下し、日付が変わった翌七日の〇一〇〇、遂に突撃を決行した。
 中央堡塁が降伏したのはおよそ四十分後であった。続くように台東鎮東堡塁と小湛山北堡塁の占領を完了させた日本軍は、残る海岸堡塁と小湛山堡塁へと突進する。
──夜明と共にまた一つ、歴史が作られようとしていた。

 赤井が後方の旧ドイツ兵営にやって来ると、その男は息も絶え絶えに赤井を見上げてきた。視線を受けながら赤井は革の手袋を外し、煙草に燐寸で火をつけた。白煙が天井に登る。地下室は忽ち煙臭い空気が立ち込めた。
「中央が堕ちたぞ」
 赤井の話す言葉を理解したのかしないのか、中尉は驚きもしなかった。ただ白煙の登る先を見つめながらたっぷりと間を置いて、おもむろに四肢を身じろがせ、熱い吐息を吐いた。
 赤井は続ける。
「現在我が軍は貴軍の残りの堡塁と三つの砲台に向けて進行中だ。あと一時間もしないうちに占領を終えるだろう。私が以前君にした質問、覚えているか?中尉」
「あ──……は、はっ……はあ、はあ」
 涙を溜めて碧眼を廻す様子は尋常ではなかった。大量に汗を掻き、呼吸は浅く、意識が朦朧としているのが明白だった。英国軍から試作品として配給された麻酔薬──謂わば自白剤の一種であるが、それが神経麻痺状態を引き起こしているのだ。
 赤井は冷め切った表情のまま嘆息した。そして、中尉の細い喉から伸びる縄を握り締めると、手綱を引くように遠慮もなく引っ張った。強制的に喉を釣られ、中尉はごほごほとむせる。
「苦しいか、ベネッケンドルフ中尉……」
 囁くように赤井は中尉の耳元で云った。小さく息を吹き掛けると、ぶるりと薄い筋肉をつけた身体が震え上がる。締め付けられて悲惨に赤く熟れた内股の皮膚を撫で、赤井は中尉の答えも待たずに腰に提げた軍刀を手に取ると、その柄で中尉の剥き出しの下半身を弄び始めた。
「あ、ひっ……ああーー、あ、あっ、はっ、」
 赤井が柄を一物に擦り付ける度に中尉は天井を仰いで淫らに喘いだ。浅黒くとも判別できるほどに肌を紅潮させて、みっともなく大口を開けている。身をよじるほどに全身を縛める縄が緊縮する。その息苦しさに加え、決定打には程遠い愛撫がなされると、もはや縋るほどの必死さで中尉は虚ろに濡れた眼を赤井へやった。

 この金髪の青年から情報──鉅野事件に関する秘密文書の在り処──を引き出す事こそ、赤井が師団司令部より威令された任務の一つだった。
 此処青島のドイツ守備軍は主に海軍の第三海兵大隊から成っている。派遣された陸軍所属の兵は全体の一割にも満たない。そんな海軍主体の部隊でこの陸軍中尉は軍使をしていたのだ。日本通の処を見るに、司令部附であるのは容易に想像が付く。中身についてはともかく、司令部の人間が文書の存在を知らされていないのは考えにくい──というのが、日本軍司令部参謀の考えだった。
 事実、赤井が最初に鉅野事件と口にした時、僅かではあるが中尉が唇を固くしたところを、赤井はあえて黙許したのだった。
 視線を交差させたまま赤井はするりと中尉の頬に指を滑らせて、顎を掬って顔を己に向けさせた。
「実際のところ、文書の在り処などどうでもいい。君がこの口で証言すれば済む話だ」
 そう云ってその唇を指でなぞる。そして静かに手を引いた。
「単刀直入に訊こうか。あの事件を裏で手引きしていたのは、君達の政府だな?」
 虚ろに潤う瞳の奥に、小さい、だが鮮明に見て取れる動揺があった。

 十七年前の事件が、単に現地人による教案(キリスト教排斥運動による事件)ではなく、ドイツ政府が故意に起こしたものともなれば、この膠州湾の利権はただちにドイツから放棄されるだろう事は明白であった。もはや日本軍の手に落ちたも同然の現状では利権については後の祭りではあるが、この中尉の証言が露呈する事は、ドイツ並びに同盟国の国際政治及び軍事的立場を危ういものにする事をも意味していた。
 欧州では二ヶ月前、パリに向けて進軍していたドイツ軍が、迂回したマルヌにて後退を余儀なくされるという、ドイツにとっては業を煮やす事態が起きている。これに加えて、鉅野事件の実態が、ドイツの租借地獲得の為の自作自演劇だったと公になれば、ドイツ国内の政府に対する猜疑心も高まり、内乱をも誘発し得る。そしてそういった状況は諸連合国にとって、同盟国を制圧する絶好の機会になり得るのだった。

「テオドール」
 その短兵急な呼び掛けに、中尉はまるでうら若い少年の純粋さを携えた眼を再び赤井に向けた。もはや意思など持たない小動物のようななりの彼に、赤井は畳み掛けるように云う。
「不言不語ももはや無駄だ。直にこの湾岸一帯は我々の占領下に入る。どうする、テオドール……君を縛り付けるこの縄を解いて欲しくはないか?」
 我慢できないという風に中尉は顔を一度肯かせた。それを視認した赤井は、顔を更に寄せて「総督は文書を何処にやった?」と訊いた。
「司令本部に……」
「青島が堕ちたらどうする積もりだった」
「タウベに……パイロットと一緒に……」
「明け方に貴軍の飛行機が一機湾から出立したが、それに積載したと?」
 重力に従うように中尉は顎を下げた。
 赤井は軍刀を腰に据え直す。ちょうど少佐殿、とやって来た部下に呼び掛けられ、振り返った。
「海岸堡塁、小湛山堡塁及び全砲台が降伏したようであります」
「三十分か……まずまずだな。──ちょうどいい。貴様、そこで聴いていろ」
 部下を後ろに控えさせた赤井は、なおもおもむろに中尉の腰を一撫でして、そして遠慮もなく指を尻穴へ沈めた。
「────ア、ぐ、ああっ!ひっ、あ──!!」
 乾いた指では困難な挿入も、無理やりに捻じ込んでぐりぐりと廻す。熱い肛内はそれでも誘うような蠢きを見せて、赤井の指をより奥へと淫らに導いた。性急な態度で掻き乱す。赤井は容易くも最初の絶頂を促した。
「あっあああッ、あ──!」
 高らかに叫んで中尉は張り詰める一物から精液を奔らせた。続け様に執拗に攻められ、限界まで絞られる。けれども赤井は不満足だとでも云うように、更なる恥辱を煽るような攻めを与えるのだった。
「も……でな、い、」
 弱々しく涙ぐむ中尉に対して、赤井の言葉は何処までも辛辣だった。
「射精せずとも極められるだろう──女のようにな。テオドール、まだ肝心の質問に答えていないぞ……十七年前に貴国の宣教師らを手にかけるよう命じたのは誰だ……?」
 訊ねながら内部を指で犯す赤井は依然冷ややかに中尉を見下ろした。ぐ、ぐと前立腺を押すと中尉は一層身の善がりを赤井に見せる。──美しく咲く花を手折る感覚に似ていた。
 愈々嗚咽を漏らし始めた中尉は、好い加減解放してくれと云う風に頭を左右に振り、けれど腰はもっとと強請るように突き付けてくる。もたらされる容赦無い絶頂の連続にも、赤井が先に云ったように、性を吐き倒した彼の一物はすっかり硬度を失くしていたのだった。
──抗えない快楽。
 先に音を上げたのは若い中尉であった。
「あっあ、ひ、東洋、艦隊のっ、……提、督……」
 尻すぼみでそう云った彼は、遂に其処を萎えさせたまま募る昂りに身を任せて大きく善がった。頬の乾き切らない涙の跡を、また一筋涙粒が濡らす。
 休む間も与えず、赤井は蹂躙を続けた。そうして中尉の、自らの意思を何処かに置いてきたような瞳を覗き見てから、ようやくしてその身体から手を引いた。
 部下を振り返り見る。赤井とさして歳の変わらない見掛けをした部下は、明らかにこの中尉に対する興味と欲情の心持ちを、上司の言葉で遮られるまで、隠すことができていなかった。
「……何をしている。早急に下ろせ」
 我に返った部下が急ぎ中尉の身体を緊縛から解放する。赤井は地下室を出ると地上に上がり、総司令部へと戻った。

***

 日本軍の青島全面占領の後、捕らえられた俘虜達は、モルトケ山の元ドイツ軍兵営内に造られた臨時俘虜収容所に収監された。ここで、数千を超えるドイツ兵達(正しくはドイツ及び墺洪オーストリ=ハンガリー帝国兵)は海路での日本輸送の順番待ちとなった。
 占領より三日後、日本軍師団長の神尾中将と青島守備軍総督・ヴァルデック大佐はその兵営内で会見を行った。日本陸軍は明治初期より軍制をプロイセンのそれに倣っている。神尾師団長はプロイセン=ドイツの日本に対する多大な指導に感謝の意を表し、日本軍の青島攻撃は外交政策上やむを得ない事だったと告げた。
 赤井は静かに眉を寄せた。無論、此度の日独戦争は、日本と同盟関係にある英国からの要請があったために実現した事だ。しかし日本の、ドイツを掌握し膠州湾、ひいてはドイツの支配下にある南洋諸島をも手中に収めようとした野心は、参戦の要請を送った当事者である英国を始め、中立を貫いている米国からも疑念を抱かれているのだ。

 会見が終わると赤井は部下と一言交わしてから一服のために会見場の外に出た。屋外に続く石の階段で、燐寸に火をつける。しばらくしてから、背後で石床を踏む革靴の音がした。味方ではない──。左手で腰に帯びた銃に触れる。しかしその手は、掛けられた声によって制された。
「お願いしていたもの、どうなりました」
 赤井は振り返る。そして、石塀に無造作に置いた聖書を手に取り、数段高い処に立つ男に手渡した。男は受け取りつつも不満そうに「煙草は?」と続けて尋ねた。
「人目も憚らず歩き回るとは良いご身分だな。うちの兵を買収でもしたのか」
「ご想像にお任せしますよ……」
 丁寧に軍服を着込んだ中尉は、まるで敗者の風体も感じさせず云った。立ち去らない彼に、赤井は懐から煙草をもう一本取り出す。すぐに伸びてきた手はその煙草を奪い去り、当たり前のように口に含む。何かを待つような仕草の中尉に、赤井はようやく己のした提案を思い出すに至った。
 火を灯した燐寸を近付ける。一段降りて来た中尉は、赤井の手ずから火をもらい、一度煙を吐いてから囁くように口を開いた。
「貴方、なんで、眼が緑色なんですか」
「は?」
「東洋人らしくない」
 訊いておいて中尉は突然苦虫を噛み潰したような表情をした。何でもありません、そう残して今度こそ背を向けて立ち去った。
 共に戦場の地を踏んだ気安さがあったのか。かと思えばもはや敵同士ではなくなったある種の戸惑いからくるのか。そういった不確かな眼差しで若い中尉に収容所内で姿を見定められる度に、赤井はそっと視線を逸らすのだった。

 その夜は雨で一際冷え込んだ。市街から北東へ六里離れた湾口に建つ中国寺院で、日本への最後の移送艦を待つ間、社殿内の師団司令部に報告が入る。
──脱走兵。
 武装した将校達が散って行く。鐘楼のある庭で、赤井はドイツ兵を一人確認して、銃を抜いた。激しく降り注ぐ雨に紛れて、苦痛の声は掻き消される。道教特有の赤茶けた外壁に飛んだ血しぶきを目で追うと、その扉の向こうに、醒めるような金髪碧眼が立っていた。
 目を見張って赤井の足元を見る男に、赤井は「知り合いか」と訊いた。
「同期です……」
「……そうか」
 銃を腰に装着した拳銃嚢に収める。庭から引き上げて来た赤井の前で、中尉は避けようともせずに立ち尽くしていた。退いてくれと赤井はドイツ語で云った。応じない代わりに、中尉は顔を俯かせたまま、わからない、と低く漏らした。
「戦争を否定する貴方が、なぜ顔色ひとつ変えずに人を殺せるのか……僕には理解できない」
 赤井が扉を閉めると途端にそこは遮断された空間になる。雨の音が遠く意識の彼方に追いやられ、深淵に沈んだように、暗闇が濃くなった。
 「君はなぜここにいる?」赤井の問い掛けに、中尉は訝しげな視線を寄越した。
 赤井はなおも続ける。
「なぜ戦場へ来た」
「……国の名誉を守るためだ」
「人を殺してまで烈士徇名に努めるのか?全くどこまでも君は人間らしい男だな」
 いいか、と赤井は、金髪の中尉を見据えて云いながら、手を伸ばして彼の顎を掴んだ。そして息のかかるほど顔を近付けて、薄く仄めく碧眼を覗き込む。
「俺が君の仲間達を殺すのはそう命じられたからだ。私情も祖国への忠誠も存在しない。捉え違えるな、俺は戦争を肯定していなければ否定もしていない……戦争が仕事だからだ」
 中尉は不快を露わに深く眉間を寄せた。所詮は英国の犬が。そう中尉が口にすると、必然的に互いの吐息が混ざり合う。
 唇が重なったのは、半ば衝動からくる激情の末だった。
「──ッ、んんっ」
 息継ぎすら許さず赤井は中尉の逃げ惑う唇を追った。左手で強引に顎を固定させて、問答無用で口内まで貪っていく。そうして軍服の上から腰をひと撫でしてやると、面白いほどに中尉は身体を跳ねさせた。その手を前に回してみると、明らかな欲の昂りが布越しに伝わってくる。
 苛立ちが赤井を性急にさせる。中尉の腰からベルトを引き抜いて下袴を下ろすとすぐさま、己の欲望を彼の中に突き立てた。拒むような乾いた肉の感触を押し広げて、無理矢理に暴いていく。さすがの中尉も呼吸を引攣らせて、碧眼に涙を滲ませた。
「あ、熱い、や……いた、痛い、やめ、痛いから……ッ」
 騒ぐ唇を再び口付けで塞ぎ、強制的に宥める。視界の隅の、朱赤の連子窓の外で雷が一筋妖しく光った。
 雷雨……。
 拳銃嚢へと伸びる震える手を諌めて、赤井は中尉の脚を抱え上げると激しく内部を犯し始めた。奥の奥まで入り込み、突き上げる度にぎちぎちと音が鳴りそうなほど一物を締められる。──なんと厳かな一時なのだろう。
「ああ、あっ、ひァ、あっ、ん、ア────」
 雷鳴が甲高い男の喘ぎを掻き消す。痛みから悦楽へ変わる感覚から逃れようと乱れ狂う金髪の隙間に見える、ほとんど残骸のような涙が、陶酔を表すかのごとく溢れ落ちていった。
 赤井は中尉の中で果てた。中尉もまた、焼けるような迸りを受けて、背を仰け反らせた。


 一九一四年十一月十四日、俘虜兵達を乗せた最後の船艦は、十六年に渡るドイツ占領の歴史を閉ざすかのように、静かに日本へと出発した。湾口の中国寺院ではまだ、若いドイツ人将校が、涙で頬を濡らしたまま、束の間の眠りに就いていた──。





2018.04.23追記
話中に出てくる「鉅野事件(曹州教案)」ですが、ドイツ側が故意に起こしたなんていう事実はありません。あくまでストーリーを展開させるための設定です。また、私個人もそのように考えているわけではありません。軍人萌えの雰囲気を第一優先にしておりますので、色々史実と相違がある箇所がこれからも多数あると思いますが、ご了承ください。
とは言ってもなるべく史実通りに書いていきたいです……ほんと卒論書いてる気分。
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