いつからか、週末は工藤邸で過ごすのが毎週のルーティンになっていた。かつて映画スターだった有希子夫人の嗜好もあってか、工藤邸には立派なシアタールームがあり、壁一面には所狭しと映画史に名を連ねるタイトルが並んでいた。
 特にお気に入りなのか、『Les enfants du Paradis』がパッケージの表面が見えるように配されている。オリジナルのフランス語版なのがさすがと言ったところだ。
 そういえば、と降谷零は思い出した。
 赤井はこの映画の邦題を知らなかったようだった。「天井桟敷?なんだそれは」なんて言いながらショーン・コネリーだった時の『007』をセットしてプロジェクターの位置を調節していた。先週の話だ。
「スーツに関して言えばピアースの時の方が好きですね。ほら、ブリオーニを着てるから。あなたはアルマーニ一辺倒だからわかりませんけど」
「そう言う君はオメガ党だな」
 夫人のコレクションの中には、20年前にブロードウェイを賑わせたミュージカルの円盤もあった。棚に並んだディスクの、さらに奥にひっそりと置かれていたそれを最初に見つけた時、降谷は動揺を隠せなかった。プラチナブロンドの女優が物憂げに微笑んでいる。
 赤井はそのハリウッド女優のことを、いつもこう呼んでいた。
 ──Rotten apple.
 『腐った林檎』と。




「It has been under investigation, but this situation tells us the most important matter...」
 早朝、降谷が警察庁の対策本部に向かうと、そこにはすでに赤井の姿があった。FBIの同僚達と意見を交換し合うその光景は最早見慣れたものだが、降谷は全く違うことで目を疑った。
 赤井がスーツを着ていたのだ。もちろんニット帽など頭に被ってもいない。
 降谷は驚きからその場に立ち尽くして、思わず耳に当てていた携帯を落としそうになった。
「零君、おはよう」
 赤井が戸口に立つ降谷に気が付き挨拶をする。『降谷さん?どうしました?』通話口から風見の声が聞こえてきた。後でまた連絡する、と咄嗟に残して電話を切る。
 FBIのメンバー達が「Morning.」と降谷に挨拶して部屋を出て行く。赤井は踵を返して降谷の方に近付いてきた。
 生地は別注だろうか、やはり仕立てはアルマーニらしく、大きく取られた肩幅に対してウエストラインは緩くシェイプしていた。狭すぎない下襟に、幅を合わせたネクタイは降谷が赤井に贈ったエルメスのもの。
 絶妙な高級感。
 赤井の身体にフィットした黒のスーツは、これ以上ないほど彼を官能的に見せていた。
「零君?」
 呼び掛けても応答のない降谷の様子に、赤井は首を傾げて、そしておもむろに金髪の後頭部に手を回してキスをしてきた。湿らせた音を立てて赤井の薄い唇が離れる。突然のその行動に降谷は目を見開き、だがすぐに我に返って、目の前の嫌に色気をだだ漏れにしている男の鳩尾に拳を突き付けた。
 赤井がよろける。
「っ、さすが……今のはけっこう痛かったぞ…」
「ふざけるのは大概にして頂きたいですね、赤井捜査官……それに、職務中は苗字で呼ぶようにと何度も言ったはずですが」
 前髪を掻き上げて赤井は降谷を見た。降谷も赤井を見る。
 赤井はゆっくりと口を開いた。
「そうだな……すまなかった、降谷副理事官」
「…以降気を付けて下さい」

 『安室透』が組織を抜け、公安とFBIの合同捜査が始まってからもうすぐ3ヶ月になる。そして、クリス・ヴィンヤード──ベルモットが行方を眩ませてから、ちょうど2ヶ月。
 自分の身に何か不都合が起きた場合、ベルモットの秘密は組織中に露呈するとあらかじめ彼女には伝えていた事だった。『バーボン』としての最後の仕事。風見から連絡を受けて降谷が駆け付けた時、すでに彼女は赤井から致命傷を受けて地面に蹲っていた。
 殺してないでしょうね。
 そう聞くと赤井は「かろうじてな」と答えた。
 護送中に奇襲がかかり彼女に逃げられたのは完全に警察側の落ち度だった。組織が彼女を奪い返す理由はないと踏んでいたため意表を突かれた、だなんて言い訳にもならない。
 組織を抜けてから、初めて降谷は赤井と言い争った。プライベートでは仕事の話はしないという暗黙の了解を、お互い気にする余裕もなかった。

「そんなにぷりぷり怒ってどうしたの」
「別にぷりぷりしてませんよ」
 スーツ姿に見惚れていただなんて、口が裂けても言えない。
 降谷が組織に潜入していた頃によく利用していた空き部屋のある六本木のマンションへ、ジョディの運転で向かう。彼の白のFDは現在修理に出しているので、彼女の愛車のプジョーを転がして。
 その空き部屋はベルモットから紹介された場所だった。空き部屋、という割りになぜか彼女は鍵を持っていて、そこで彼女の代理人が麻薬ないし銃の取引を行っていた。何度か同席したその取引では、政府の官僚や銀行のお偉方の名前が度々出てきて、降谷はそれらを頭に叩き込んだものだった。
「それにしても、今日のシュウのケヴィン・コスナーばりの気合いの入れようはどうしちゃったの?」
 降谷が頭の片隅に追いやろうとしていた姿を、ジョディはいとも簡単に引き出した。
「…それ、なぜ僕に聞くんです?」
「ええ?なんでって…だって付き合ってるんじゃないのあなた達」
「そんなわけないでしょう」
「そうなの?でもシュウ、『零』って下の名前で呼んでるじゃない」
 ほら見ろ、と降谷は心の中で毒付いた。大体赤井は日頃からボディコンタクトが激しかった。2人でいる時に限らず、捜査中も例に漏れず。特にそれで部下やFBIの他の連中に何か言われた事はないが、そういった行為は他人の目が届く場所では控えて欲しい。
 今朝のキスだってそうだ。
 一瞬だけ感じた舌の熱い感触を思い出し、降谷は指先で唇に触れた。
「名前で呼ぶのなんて、あなた達にとっては当たり前なんじゃないですか」
欧米人 (私達) に対してはともかく、シュウは抱いてもないのにファーストネームで呼んだりしないわよ」
「………」
 横暴な判断だとは思ったが否定するのも面倒で、降谷は流れる窓の外の高層ビルを見送った。


「じゃあレイ、報告書は纏めておくわね」
「お願いします」
 警察庁の敷地にある駐車場でジョディと別れた降谷の背中に、「零君」と低い声が掛けられる。振り返らずとも誰だかわかる。
 ゆっくり振り向いた降谷に、赤井は珍しく不機嫌そうな表情を隠さずに言った。
「ジョディにはファーストネームで呼ばせるのに俺は何故駄目なんだ?」
 降谷は呆れた。拗ねてるのか?大の大人が何を言っているのか。ケヴィン・コスナーには程遠いじゃないか。
「駄目なんて言ってないでしょう。仕事中はやめろと言ってるだけだ……元カノに嫉妬ですか?」
 降谷は溜め息を吐いて歩き出した。赤井の横を通り過ぎる瞬間、また「零君」と呼び掛けられる。
「だからやめろって……」
「今晩、食事に行かないか?予約してるんだ」
「…はあ?」
 降谷は思わず頓狂な声が出た。この男は、いちいち全てが急すぎる。
 横に立つ赤井を見上げる。身長差は数pだが、やはり目線を上にしなければ赤井とは目が合わなかった。
 赤井は至って真面目な様子で緑の瞳を降谷に向けてくる。
「あなた、僕が断ったらその予約どうするんです」
「そこまで考えていないから来てくれ」
 馬鹿なのか……?
 降谷が頭を抱えそうになった時、ジャケットの内ポケットに入れていた彼の携帯が着信を知らせた。同時に赤井の携帯も音を鳴らす。着信元は風見だった。降谷がはい、と電話に出ると、横で赤井も舌打ちをしてから「Yap,」と携帯を耳に当てた。
『降谷さん!クリスらしき女が品川で……』
 降谷は目を見開いた。背筋に寒気が走る。
「すぐに行く」
「I'm coming right now.」
 降谷が通話を切るや否や走り出した瞬間、強い力で赤井に腕を引かれ、彼は振り返って怒鳴った。
「離せ赤井!邪魔するのか!」
「冷静になれ。君の車、今修理に出してるだろう」
「っ…」
「俺の車で行こう」
 降谷は苦虫を噛み潰したような表情で、赤井の後を追った。
 懐に収めた銃に、無意識で触れた。

 連絡を受けた品川のホテルの駐車場に赤井のマスタングが滑り込む。隅の一角に野次馬が集まっていて、そこ目掛けて降谷は助手席の扉を乱暴に開けた。
「警察です!ちょっと避けて!」
 そう声を張り上げながら野次馬の波を掻き分ける。ようやく開けた視界に飛び込んできたのは、固いコンクリートの地面に無惨に横たわる、女の姿だった。
 プラチナブロンドを緩くカールさせたロングヘア。
 降谷は血塗れのそれに近寄った。
 見た事もない女の顔だった。
「She's not her.」
 手を伸ばし掛けた降谷の肩が揺れる。息を飲む。震える手で電話を掛けた。
「俺だ……ああ……違った。…さあな……どこぞの商売女だろう」
 後は任せた、と残して切る。降谷は立ち上がって振り向いた。赤井と目が合う。
 人垣の奥に、無数の赤いパトランプが見えた。






「零君、いい加減飲み過ぎじゃないか」
 浴びるように、とは良く言ったもので、降谷は言葉通りグラスを煽っていった。気分ではなかったが工藤邸のキャビネットには酒専用のくせにバーボンの瓶しか置かれていなかったため、仕方なくロックで口に流す。
 赤井は結局、ディナーの予約をキャンセルしたようだった。
「5年近く居たんですよ、あそこに」
 降谷は低く声を出した。そしてふっと笑う。自身への嘲笑のようだった。
「正義感は棄ててないつもりだったんですけどね……さすがにそれだけ長く居たら染まっちゃうもんですね。自分に反吐が出ます……ねえ、飲んでくださいよあなたも」
 遠慮する、と赤井は煙草に火を点けた。煙を吐き出す姿を凝視して降谷は思った。組織に居た頃からこの男は変わらない。
 横顔が奇麗だった。
 降谷は煙草は嫌いだが、煙草を咥えるライの横顔は嫌いではなかった。
「まだ平日ですけど、映画でも観ます?真純ちゃんが面白いって言ってた『キックアス』ありますよ。別に違うのでもいいですけど。あ、久しぶりに『Mr. Beans』で大爆笑するのもいいな。ねえ、どうします?」
「酒が入ると饒舌に磨きがかかるなバーボン」
「……やめろって言っても聴かないくせに。僕はもうバーボンじゃない」
 降谷は声を荒げて言った。グラスを乱暴にテーブルに叩き付けると、中身が溢れる。仕立てたばかりのスラックスが濡れるのを見て、赤井は慌てたようにポケットチーフを取り出した。
 降谷はその手を制し、赤井を見た。煙草を奪い、空いた薄い唇にキスをする。唇を開かせて舌同士を合わせると苦い味が伝わってきた。濡れた音がした。
 唇を離すと、緑の目を見開いたままの赤井の顔が、当たり前だが目の前にあった。
「…反応無しですか。それならそれでいいですけど」
「……じゃ、ないか……」
「え?」
「初めてじゃないか………君から、キスしてくれたの……」
「……嬉しいですか?」
 ああ、と頷いて、今度は赤井から唇を合わせてきた。
 いつにも増して性急なキス。降谷は目を閉じた。赤井の舌の淫らな動きが感覚として脳に伝わってきた。
 ほぼ同時だった。
 不意に、先程の死んだ女の顔が蘇った。
 打って変わって舌での愛撫に応えようとしない降谷に気が付き、赤井は口付けを止めゆっくり顔を離した。
 青い瞳は俯いていて見えなかった。
「…零君?……泣いてるのか?」
 窺うように問い掛けてきた赤井の言葉に降谷はしっかりとした声色で「まさか」と返した。
「あんな死体で怖気付いてちゃ警察できませんよ。……ただ、自分が恐ろしくって」
「……恐ろしい?」
「『こんな女、ベルモットじゃない』と思ったんです。ブランド品で全身飾ってたけど……『格』が違うと思った。ベルモットにはもっと、気品があったはずだと。……自分が怖かった。死んだ女性に対してなんの感情も沸いてこなかったんです」
 赤井が何も言わないのをいい事に降谷はつらつらと語った。別に何か言って欲しい訳でもなかったから、気にせず喋る。
「今更始まったことでもないですけどね……何か拭くもの取ってきます」
 立ち上がりかけた降谷の手が赤井に掴まれる。赤井のわりに何か言ってくるのかと少しの間降谷は待ってみたが、彼の左手首を掴んだまま赤井は黙っていた。
 年代は違うが揃いのシーマスターが、静かに秒針を回す。赤井が口を開いたのは、秒針が二周りはした頃だった。
「俺も……そうだったよ」
 赤井にしては、珍しく弱々しい語尾だった。
「人が目の前で死ぬ事に何も感じなくなっていた。まあ、陸軍にいた頃は実際に戦場にいたからな……やらなきゃこっちがやられてた。FBIのエージェントになってからも状況は変わらなかった。正義を大義名分にしていたが、その正義の膝元でどれだけ罪のない人を犠牲にしてきたかわからない」
 初めて聞く話だ。淡々とした声で赤井はゆっくりと言葉を紡いでいく。
 一呼吸置いて、意を決したかのように彼は静かにその名前を口にした。
「明美が死んだ時、報いがきたと思った。復讐の鬼に取り憑かれた。周りなんて見えなくなって、奴等を追い掛けている時以外、生きた心地がしなかったさ……」
 話を聞いていて、降谷にはその状況に心当たりがあった。自己を顧みない、復讐に命をかけた生き方。激しい憎悪に駆られ、執念に身を浸からせるーーー。
 今思うとゾッとする。死んだも同然の生活だった。心が、生きていなかったのだ。
 スコッチ………
 頭を抱える降谷に、だが、と赤井は打って変わって強く言い放った。降谷は息を飲んだ。勘が働いたとでも言えば良いのか。赤井が何を言いたいのか、降谷にはなんとなくわかってしまった。
「今は違う。勿論組織への復讐の気持ちは変わっていないが……なんと言ったらいいのか……人間らしくなった、というか。そうだな……血の通った生活ができるようになった。朝起きて仕事に行って、夕飯を食べて、寝て……そんな当たり前の毎日を大切にするようになった。週末に…君が来るのが楽しみになっていた。今日、君に伝えようと思っていたよ………君が、」
「もういい、赤井」
 降谷はそこで赤井の言葉を遮った。もう聞いていられなかった。
「どうかしてます、あなた……俺も……どうかしてたんです。男同士でこんな……たまたま、間違えただけだ」
 言葉が口から溢れ出る。止められなかった。例え目の前の男を傷付けるとわかっていても、彼には自分を止められなかった。
 赤井が立ち上がり降谷の真正面に身を据えた。朝に見惚れた姿がまた目前にある。不健康そうだった青白い顔に血色が戻ったのはいつの頃だったか。この薄い唇が、自分に触れてくるようになったのはいつからだったろう。
 降谷は赤井が今着けているネクタイを選んでやった時を思い出した。何の気なしに贈ったもの。「嬉しいよ」と赤井は言った。その顔を見て、降谷はいたたまれない気持ちになった。
 きっと、赤井の望むものを自分は差し出す事ができない。

 赤井の手が降谷の頬にかかる。苦しそうな面持ちで赤井は顔を近付けてきた。
 唇が触れ合う。
 ひどく熱く感じて、顔を背けようとしても赤井は許さなかった。赤井の舌が口内を這う。何度も味わったはずのそれから、降谷は今は逃げたかった。くぐもった声が赤井の口内に飲まれ、制止の意図も丸め込まれてしまう。
 酒が周っているからか頭がくらくらしてきた頃、赤井が降谷のネクタイを外しにかかってきた。性急なその手付きに降谷は抵抗するが、素面の赤井の力には敵わない。
 クソッ、こんな時までっ…!
「おい、…んんっ、やめ、っ……ン、!」
「っ、」
 一通りの手技が効かなかった降谷は最後に、吸い付いてくる赤井の唇を噛んだ。小さく唸りながら、赤井が離れる。
 降谷はもう息も切れ切れだった。
 罵ってやろうと思った。手酷く振ってやろうとした。しかし顔を上げた赤井は、見た事もないくらい悲しそうな表情をしていて、降谷は言葉を詰まらせた。
 緑の瞳が、いつになく弱々しく見つめてくる。
 バーカウンターに阻まれて、降谷の足はそれ以上後退し得なかった。零君、と赤井の低い声がする。耳元で囁かれると、いつも胸騒ぎがした。
 降谷の肩に項垂れて、赤井は口にした。切羽詰まる思いだった。
「I'm begging you not to make me feel miserable any more.」
 腰に赤井の手が回り抱きすくめられる。たどたどしい抱擁。こんなに大きい男が、今は力のない赤子のように見える。
 降谷は目を閉じた。
 赤井の息遣いを感じて、打ち震える思いがした。






 大型犬に懐かれたようなものだと思っていた。
 降谷は赤井とは良い友人でいたかった。同じ土俵に立って、ひとつの目標に向かう同志でいたかった。友人、という距離は心地良かった。同じレベルで会話ができる人間が周りにいなかったからか、赤井と一緒に居ると楽しかった。それは赤井も同じだと降谷は思っていた。
 その境界線を踏み込んできたのは赤井の方だ。キスをしてくるようになってから、赤井は変わった。
 よく笑うようになった。たまに食事を作ってくれとせがまれた。週末一緒に眠るようになった。
 赤井は男が好きだったかと問われると、そうではなかったはずと答えるだろう。実際に降谷は彼の恋人だった女性達を知っているし、組織にいた頃もそんな話は聞いたことがなかった。何か事情があるのだろうとは考えていたが、そこまで踏み込む気には降谷はならなかった。
 親愛の情、とでも言うのだろうか。
 同じベッドで寝てもセックスの雰囲気になったことはなかったし、そもそも赤井は男との経験はないはずだった。
 束の間だと、何か掛け違えたのだと、そう降谷は思い込もうとしていた。

「21世紀で火星が地球に最も接近した時の距離は?」
「5576万q」
「じゃあ……ドジャースがロサンゼルスに本拠地を移したのは?」
「1958年。……簡単すぎないか」
「ならあなたもなにか出してください」
「そうだな……ラテン語で『新約聖書』は?」
「『Novum Testamentum』……『et vidi caelum novum et terram novam primum enim caelum et prima terra abiit et mare iam non est』」
「『黙示録』か?」
「新しい天地の話ですよ。そこには海も、悲しみも死も、夜も存在しない」
「絵空事だな。死が存在しない世界なんてない」
「だから新しい天地の話ですって……夜が来ない世界に居るのはひとりでいい」
 降谷は寝返りを打って赤井を見た。赤井は汗塗れだったが、自分もいい勝負だった。煙草の火が暗闇に灯る。赤井の匂いがした。
 煙を吐いて、赤井も降谷を見た。微かだが、唇が笑っている気がした。
「明日はどうするんだ?」
 降谷は笑った。夜の来ない世界の話をした自分を反省する。
「風見に報告書でも書かせますよ……狐につままれたような気分だって言ってやります」
「そう部下をいじめてやるな。彼も必死なんだ」
「……スーツ姿、また見たいな」
 無意識に溢れた降谷の声に、赤井は驚いたように目を開いた。少しの沈黙の後で、赤井は零君、と静かに呼び掛けてきた。
 降谷は何か言われる前に口を開いた。
「シャワー、先に使っても?」




pixiv掲載/16.08.16

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