灯火(サンプル)

 
 ヴァンガード。巷で流行り始めたカードゲームのタイトルである。
 カードキャピタルと呼ばれるショップに一人きりでデッキを広げ、あーでもなければこーでもないと小さく唸り続けている女性が一人。
 彼女は、ヴァンガードを始めてまだ間もない初心者であり、ましてやカードゲームというものはトランプやUNO程度しかしたことのない一般人であった。
 だがしかし、彼女はある日出会ったのだ。帰り道にふと顔をあげた時に、カードショップ。張られたポスターと、おそらくその中に入っているらしいカードのイラスト。その中に、あったのだ。彼女が遊んでみたい、触ってみたいと思わせるカードたちが。
 「ぬばたま」と呼ばれたクランに、彼女は一目惚れし、その足で彼女は初めてカードショップと呼ばれる場所に足を踏み入れた。
 楽しそうに遊ぶ子供たちの声といらっしゃいませーと店員の声が聞こえてくる。
 柄にもなく緊張した。勢いとはいえ、下調べすらしてこないまま突貫してしまったことを若干後悔しながらおそるおそる彼女は店員へと話しかけようやくその一歩を踏み出したのである。
 その日から彼女の、望月千影のヴァンガード人生が始まった。
 声をかけた店員はその店の店長だったらしく不慣れな千影に一から優しく教えてくれた。デッキの作り方、ファイトの仕方、ルール。
 基礎という基礎をゆっくりと丁寧に。そして千影が望んでいた、ぬばまたと言うクランが新規実装されたばかりのため、まだ彼等だけではファイトをするデッキが作れないことも懇切丁寧に教えてくれた。
 最初はがっかりしたが、ティーチングを受けるうちにゲーム性の楽しさを体感したこと、今後もぬばたまのカードが出るであろうことを知った千影はヴァンガードにのめり込んでいった。
 惜しむべきは、彼女が一般で言う社会人であること。そして、カードゲームという一般的に子供向けゲームに夢中になっていることを打ち明けられる友人がいなかったと言うことだ。
 カードゲームは当然、一対一で遊ぶものであり、つまり一人では遊べない。遊べないわけではないが、本来のゲーム性から考えればやはり対面の人間が必要だった。
 当然同じゲームをしている友達がいるほうが幾重にも楽しめる。
 成人した女性が、同じ趣味を持つ友達しかもカードゲームとくれば、そう簡単には見つかるわけがなかった。
 高校からの知り合いや、職場の同僚や先輩が当然そういった類に興味がないのは当然わかっていたので、千影は足しげくカードショップに通うことになっていく。
 しかし、カードショップに遊びに来る子供たちは友達を連れていることが多い。
 そんな中に、初心者の年上が入り込めるかと言えばNOだった。
 ときたまショップの店長が開いた時間で相手をしてくれるが、当然仕事中なのでそれも長くはできない。
 どうにも消化不良だった。楽しみたいが、楽しむ相手がいない。
 今彼女が持っているデッキは、かげろうを軸にした上で少ないぬばたまのカードを織り込んだ混成デッキであるため、初心者が上手く回すには難しい。
 つまり、ファイトをし続けて効果を覚えながら組み替える必要があった。
「って言ってもなぁ…」
 ここから先に進むとしてどうすればいいのかわからないと言った表情で千影は、カードショップの椅子に座りテーブルに広げた自分のデッキをまじまじと眺めていた。
 主軸となるかげろうのカード効果を少しずつ覚えていってはいるものの、相乗効果を覚えきれず上手く回せないままなのだ。そして何より千影は読み込んで覚えるタイプではなく、使ってみて覚える実践タイプである。つまり、経験値が圧倒的に足りてない、そんな感じが一番しっくりくるだろうか。
 ファイトの相手が切実に欲しい。そう思うばかりだった所にこのあと意外な救世主が現れることなど今の千影は知る由もなかった。

 櫂トシキには少し前から気になる人間がいた。
 最近行くようになったショップにいるのだが、顔見知りではない。
 ただいつもデッキを広げて、真剣に向き合う姿が誰かに似ている気がして。
 特徴と言えば、腰ほどまで長く伸ばされた黒い髪。そして纏う私服と高校卒業前かそれぐらいなのだろうか、顔を少し見たことがあるが大人っぽさという所はあまりなく櫂と大差がないように見えた。
 関わるつもりなど一切なかったと言うのに、たびたび見かけるたびに後ろ髪を引かれるような気持ちになったのはかつての出会った少年やまたは別の誰かを思い出させたのかもしれない。
「…それの何が問題なんだ」
 広げられたデッキの中身を背後から覗きこみながら、櫂はそう呟く。グレードのバランスも悪くなければ、トリガーの分配も問題ない。
 新しく追加されたクランであるぬばたまが入ってはいるが、おそらく彼女が使いたいカードだから入っているのだろうと予測はついた。
 自分に言われたことだと一瞬気づかなかったらしい彼女は、紫苑色の瞳をぱちくりとさせて櫂を見上げていた。
 彼女はその言葉が自分に向けられたものだと気づけば、今度は視線をカードに向けて考えながらゆっくりと口を開く。
「あ、えーと…私まだ初心者だから、まだ上手く覚えられなくて。どちらかといえばデッキじゃなくて私のせいなんだと思います、けど」
 櫂はその言葉に彼女が悩んでいる理由を察したのか、わかったと頷くと対面の席へと腰かけた。
 何がわかったのかわからない千影は首を傾げるばかりなのだが、目の前に座った制服をきた少年の顔立ちに一瞬硬直しつつ、櫂が自身のデッキを用意し始めたのにギョッとしながら慌ててテーブルに並べていた自分のデッキをかき集めてシャッフルする。
「あ、あの?えっと、いいんです、か?」
 櫂の様子を伺いなら問いかける千影に櫂は何も言わずにデッキ目の前に差し出してくる。
 ファイトをしてくれるつもりなのはわかるのだがあまりにも突発的なイベントで千影からすれば戸惑うばかりである。
 そんな千影の困惑をよそに櫂は淡々とファイトの準備を進めていくので結局千影もそれにならって用意を始めるしかない。
 「ありがとうございます」と千影が口にすると櫂は口をへの字に曲げ眉を顰める。
 何が気にくわなかったんだろうと千影が別の意味で困惑していると「敬語はやめろ」と注意された。
 制服姿の少年に自分が敬語というのもまあ、おかしいのかもしれないと千影はこくりと頷く。
「私、望月千影。君は?」
 流石に名乗らないのも失礼だと思い、先に名乗れば目の前の彼もまた口を開く。
「櫂。櫂トシキだ」と端的に返事が返ってきた。
 櫂トシキ。何処かで聞いた事があったような気がしたが千影はとりあえず「よろしくね、櫂」と口にしてデッキをシャッフルしてセットした。
のちに彼がここのショップ付近で有名なファイターだったからこそ名前を見た事があったのだと知った。
「「スタンドアップ(THE)ヴァンガード」」
 ごく自然の流れに挟まれたTHEに突っ込む間もなく、千影が先行だったためドローから一通りの流れを間違えないようにゆっくりとこなして、櫂へとターンを渡す。
 自然な流れであまりにもTHEが挟まれるものだから、これはこういうものなんだろうと千影は追及しないことにした。他のプレイヤーとして後々気づくのだが、やはり櫂の癖なのかそういったオリジナリティらしいと知って、少し櫂に少年らしさが垣間見えて微笑ましく思ったのは内緒だ。
 しかし流石に手慣れている彼の攻撃に思わず焦ってしまう。何せ教えてくれていた店員以外とやるのはこれで片手が足りるほどの回数しかない。できるだけ相手を不快にさせないようにプレイはしているつもりだが、いかんせん初心者なものだから迷ってしまうのだ。
 手元にあるカードと今の盤面を見比べる。考えすぎてそろそろ怒られてしまうだろうかとちらりと櫂の方へと千影が視線を動かすとこちらの表情を伺っていたらしく「今のお前が考えた上で最善だと思うことをしろ」とアドバイスをくれた。
 どうやら顔色を見ながら考えなくてもいい、そういうことだろうと千影は好意的に解釈して、最善だと思う方法で盤面を動かしていく。
 そのおかげか、いつもよりは好きなように動けた気がした。ファイトは負けてしまったのだが、思っていた以上に自分のデッキが遊べた事のほうに楽しさと感動が入り混じっていた。
「次、やるぞ」
 感動に浸っている千影を現実に引きずり戻すように櫂は自分のデッキをシャッフルし始めていた。
 見かねて一回だけだと思っていたのに意外だったので千影は思わず「いいの?私、初心者だし付き合ってもらうのはすごく助かるし楽しいけど、君にはつまらないんじゃない?」と尋ねてしまった。
 明らかに彼のほうがプレイ歴も強さも上なのだ。初心者に付き合っても彼の求める楽しさがそこにあるとは思えなかった。
 だが、櫂はその言葉を鼻で笑い飛ばす。
「どうせ俺の相手になるような強い奴も今はいない。何もせず、時間を潰すぐらいなら相手してやる」
 二人がファイトしている間に、ショップにはまばらに人が集まってきてはいた。
 しかしその顔ぶれの中に櫂のお眼鏡にかなうファイターはいないらしい。
 本当かはさておいて、こんな初心者に付き合ってくれるという優しさはありがたく受け取っておこうと千影は決めるとカードをデッキに戻してシャッフルする。
 早くしろ言わんばかりに彼のデッキが目の前に置かれる。カットをしろという圧力に千影は肩を竦めて、櫂のデッキを手に取り慎重にシャッフルする。その合間に櫂がシャッフルの仕方を詳しく説明してくれたので次回からはもう少し早くできるように家でも練習しようと思った。
 その日は、ショップが締まるまで延々と二人きりでのファイトが続いた。当然千影の勝利は一度もなかったが、強いだけではなく困ったことがあればぶっきらぼうながらスパルタ式で教えてくれた櫂のおかげで、初めてヴァンガードの楽しみ方を理解できた気がした。
 そんな二人の出会い。これから先、どんな未来が待っているかなどこのときの二人は知る由もなかった。
 櫂と出会い、それから千影は時間に余裕があれば足繁くカードショップに通った。
 もちろん毎回櫂が居たわけではなかったが、カードキャピタルの店長である新田シンとのファイトには少しずつ千影自身で考えたファイトで戦えるほどに成長を見せつつあった。
 櫂が居た日には彼が許す限り相手をしてもらったり、デッキ構築の相談をしたりとまるで同年代の友人の様に接していた。
 異性な上に、初心者に馴れ馴れしくされるのはもしかして嫌なのではとは思っていたが、そんな素振りを見せることもない様子にほっとしながら櫂と千影は日々ファイトを重ねていった。
 だが、当然櫂の本来である友人が見過ごすはずもない。
「ちーっす。アンタが櫂のお気に入りちゃん?」
 軽薄さを隠さずに笑みを浮かべた金髪の少年が、千影に声をかけてきた。
 その表情は笑みを浮かべてはいるが、千影からすると何処か自分を見定めようとしているようにも思えたのは声音とは正反対の瞳の真剣さからだろう。
 この日、櫂は来ておらず千影はショップでよく顔を合わせるようになった名前しか知らないような少年たちと和気あいあいとファイトをしている最中だったのだが。
 櫂の名前に、おおよそ彼が櫂の友人かはたまた知り合いなのはわかった。
 しかし「ちゃん」などと付けて呼ばれる年齢でもないので千影としてはうーん、と首を傾げるしかない。
「君は、櫂のお友達?」
「そ。俺、三和タイシって言うの。で、お気に入りちゃんって君?」
「そのお気に入りちゃん?かは、知らないけど。
 私は望月千影。櫂には、ヴァンガードの指南みたいなのしてもらってる」
「…ふーん。いやーあの櫂がねえ。簡単に教えてもらってるって言うけどよ。それってかなりすげーことなんだぜ?」
 確かに櫂と言う人柄を少し知っている千影でも、時折そのクールさには驚かされることは何度かあった。高校生にしてはやけに達観しているな、と。
 だが、その割には千影のような初心者を切り捨てたりなどすることもない。
 思春期ならではの気難しさなのだろう千影は受け取っていたわけだが。
 何より彼が群れるタイプではないと思っていたので、三和のようなタイプの友達がいることに少し驚いてもいる。
 何せ千影が出会ったあの日から、櫂が来る時はいつも一人だった。
 それは、櫂が三和を引き連れてショップにくることはあっても千影がいるタイミングではなかったと言うすれ違いを見事に生じさせていただけなのだが、三和からすると周囲の噂で、あの櫂から他人ましてや女の気配があるとくれば居ても立っても居られずこっそりと張り込んでいたと言うのは千影の知らぬ所である。
 三和から見た千影という女は、同年代に近い雰囲気を持っているので最初は警戒していたのだが、話しかけてみると普通だった。ごく普通。
 だからこそ櫂が交遊関係を持つことを許したのだろうな、と三和は推測していた。
 本来であれば、見た目からして自分達と大差のない女子を櫂が構うことなど早々ないはずなのだ。
 同級生やクラスメイトの女子ですらあまりかかり合いを持たせてもらえないと言うのに。
 まあ彼女たちが櫂をもてはやすからこそ、彼からは遠ざかりたい存在になってしまいてるのだが。
 もしかしなくともこれは、櫂にも春が来ちまったのかもなぁと内心喜ばしいような、複雑な心境な面持ちで三和は千影に自分のデッキを手に持ちながら「ファイト、しようぜ?」と誘う。
 どうせ互いを知るならこれが早いと言わんばかりの三和からの誘いに千影は少し考えた後、薄くピンクのルージュが乗せられた唇を吊り上げてファイトを受けると頷く。
 三和が何を考えているのかは知らないが、遊んでくれる相手が増えることは千影にとっては悪い事はない。
 それから数十分後、二人はまるでクラスメイトのように会話をしながらファイトを進めていく。
「櫂って、あんな感じだから本気でやろうとしてる人間とかじゃねーと教えたりとかしないんだよ。そう考えると君は櫂のお眼鏡にかなってることなんだろーけど」
 ファイトを進めているとおもむろに零した三和の言葉に千影は櫂とのやりとりを思い出していた。
 確かに、純粋に優しくはない。だが、けして厳しいだけではなくどうして悪かったのかとはっきりと示してくれる。だからこそ、伸びる。初心者の千影としては助かる上にできるようになれば当然楽しい、と思うばかりだったのだがやはり同世代やそれより年下に向けるとなると威圧的に感じてしまうのかも無理はないのかもしれない。
 そんな風に櫂の事を考える一方で、三和は目の前の彼女のファイトが初心者特有の素直さ、そして櫂が仕込んだであろう初心者が差し込むとは考えにくいカードが数枚見え隠れしている。まだ使いこなすとは言えないだろうが、それを使いこなせればキャピタルに来ているファイターとは人並みに、いやそれ以上に戦えるはずだ。
 櫂の手心を見て、三和は千影を櫂トシキの友人であると認めつつあった。
 これで千影が猫を被っていると言うなら、こればかりは諦めるしかないがそこまでする利点が千影にはあると三和には見えない。
 例えそうだったとしても、猫が剥がれた時点で櫂が切り捨てるだけだろう。そう結論付けて三和はそのままファイトに没頭していた。生憎、今日櫂はキャピタルに訪れなかったが、それもいつものことなので大して気にはならない。
 ファイトが白熱していく一方で、千影は壁にかけてある時計に視線を向けた。学生が出歩くにはそろそろまずい時間に近い時刻を差している。
「えーっと三和、くん。時間大丈夫?」
「呼び捨てでいいぜ。俺も千影ちゃんって呼ぶからさ」
 区切られた呼び方に、なんとも言い難いむずがゆさを感じた三和は困ったように笑うと呼び方を訂正するように口にした。
 千影からすると、ちゃんつけされる歳でもないのだが、下手に年齢を明かしてあれこれと邪推されたり誤解されたりするのも、なんだなと思ったので特に否定せず、受け入れることにした。
 そのあと、お開きとなり三和と別れた後に見覚えのある姿を見つけて千影は足を止めた。
 青地に白いラインが入った制服。実はかつて千影もその制服を持っているのだが、それはおいておくとして。茶色い髪が風にそよいでいる。
「櫂?」
 思わず声に出して呼ぶ。流石にこの時間に学生服で外を出歩くには悪目立ちしてしまうのは誰にでもわかることだ。というか明日学校でしょうに、と思っていると千影の呼びかけに振り向いた。
 翡翠色の瞳が鋭く射抜いたが、千影だと認識したのかいくらかその鋭さが和らいだように見えた。
「…望月か」
 櫂からしてみても、千影と出会ったことは当然予想外の事案であった。
 強いファイターの噂を聞きつけて、櫂は別の店舗へと足を向けていたのだが、櫂自身が求める強さはそこにはなかったのだ。ただ残ったのは勝利だけ。その勝利に何処か空虚さを覚えながら帰路についていた所に千影とばったりと遭遇したわけというわけである。
 すでに辺りは街路灯に照らされなければ歩くには難しいほど、夜が落ちていた。
 こんな遅くまで一体彼女は何処で何をしていたのかと、櫂は思ったが口にはしなかった。
 どうであれ、自分には関係ない事なのだ。例え目の前の彼女が自分とヴァンガードで繋っているとしても。
 今の櫂には成さねばならないことがある。己の強さを磨き上げ、かつての友を救うと言う目的が。
 本来であれば、千影のような初心者に櫂が手を差し伸べることなど早々ない。櫂とて、己の性格をある程度わかっているつもりだ。口数の少なさや、身を持って理解させるような教え方しかできない。それが始めたばかりのファイターに忌避される事もわかっている。
 では、どうしてそんなことをしたのかと問われれば、ヴァンガードに真っ直ぐ向き合う真剣な彼女の姿が思い起こさせたせいだと櫂は思っている。かつての楽しんでいた自分や、すでに違えてしまった友のことを過らせるのだ。
 だからこそ見ていない振りをすることができず、思わず手を伸びたわけだが。あの日のうかつな行動が今でもよかったことなのかわからないまま、ここ数週間を過ごしている。
「もう暗いし、そろそろ帰らないと怒られるんじゃない?」
 千影からしてみればその言葉は親切心であった。
 櫂はその言葉に視線を一瞬落とし、「…ああ」と小さく返して櫂はそのまま千影の横を通り抜けて去っていく。
 その表情に何か家族とあるのかもしれないと、千影は思ったがそこに首を突っ込むような立場ではない。そんな図々しい事をできるはずもなく、何処か寂しさを滲ませる背をただ見送ると千影もまた帰路へと戻っていった。
 千影と別れてから、櫂は閉店準備をし始めているキャピタルの横を通りかかり視線を向けた。そして思う。今日もあの席で待っていたのだろうか、と。
 互いがタイミングを合わせてキャピタルに集っているわけではないため、櫂だけがいるときもあれば今日のように行かないときもある。
 連絡先を交換すればいいのだろうが、櫂からすればそこまでして面倒をみるつもりもなく、おそらく櫂の雰囲気を察知しているのか千影からも連絡先の交換を申し出てくることはなかったので会う為には必然的にキャピタルに訪れるしかないわけだ。
 一瞬見えた空席。いつものように待っていた彼女を思い浮かべると、何処かざわついた気持ちが沸き上がる。それを抑え込むように櫂は視線を前に向けて千影の言った通りに自宅へと足を動かした。
 それから数日後、先導アイチと言う少年が現れたことで二人の周囲は目まぐるしく変化していくことになる。

 数日振りにカードキャピタルに訪れた千影は見慣れない学生服を纏った中学生がキャピタルに一人増えていることに気づいた。その対面には、櫂とその後ろから覗きこむ三和。そして中学生のほうには同じ灰色の学生服を着た少年二人が櫂の前に座る中学生の後ろに仁王立ちしてやいやいと騒いでいた。
「いらっしゃいませー。あ、こんにちは千影さん。少し振りですね」
 キャピタルの店長である新田シンは、最初のティーチングをずっとしてくれていた人物であったためティーチングを通して年齢が近いことを期に下の名前で呼び合う友人関係になっていた。「仕事が立て込んでて」とこなしてもこなしても積み上がる仕事の山を思い出し苦笑しながら、ここ数日これなかった理由を述べると「お疲れ様です」とシンは千影を労わる言葉を返してくれた。
 そんなやりとりの後に視線を櫂たちの方へ戻すとシンは「先導アイチくん、と言うらしいです。千影さんがいらっしゃらなかった間にヴァンガードを始めた子で呑み込みがとても早くて、この間なんてティーチング相手の櫂くんに勝ってしまったんですよ」と千影のいない間に起きた出来事を教えてくれた。
 あの櫂に勝ったらしい。その言葉に千影は思わず目をまんまるにしてそれが事実なのかと首を傾げたがシンは首を縦に振る。
 いくら手加減を櫂がしたとしても、そう簡単には勝ちを譲るようなタイプには思えないからだ。
 実際、千影に対しても手加減をしてくれていても最終的に容易く勝ちは譲ってくれることはない。それは櫂が勝利に対してそれだけ強い想いがあるからなのだろうし、千影自身も自分の力で勝ちたいと思った所はあるので気にはしていなかった。
 千影が考えうる想像としては、運の要素もあっただろうがそのタイミングで引き寄せるだけの何かを持ち得えていた、そんなところだろうか。
「もし、差支えなければ千影さんもアイチくんとファイトしてみてはどうですか?」
 シンの提案は確かに悪くないが、子供同士で遊んでいるところに割入ると言うのもなかなかに妙齢の女性の千影からすると勇気がいるものだったりする。
 複雑な心情を察したシンは、「すいませーん、せっかくなんで千影さんとも誰かファイトしてあげてくれませんか?」と櫂達に向かって声をかける。
思ってもいなかったシンの行動に千影は思わずシンの顔を凝視し「ちょ、え!ま、」と日本語をまともに発せないまま慌てふためくしかない。
 シンの掛け声に一斉に視線が千影へと集まる。見知った櫂と三和からはまだしも、中学生三人から探るような視線は悪気がないとはわかっていても正直居心地が悪いとしかいいようがないのだ。
「千影ちゃーん、暇なら俺とファイトしようぜ」
 戸惑い気味の千影の様子に気づいた三和が声をあげて手招いてくれている。シンに見送られながら千影は櫂達のテーブルへと向かうために踏み出すしかない。
 テーブルにつくと、櫂と青い髪をした小柄な少年が対面しているらしく櫂のかげろうと少年のロイヤルパラディンが盤面には並んでいた。まだ中盤らしく、櫂がいまのところ優勢ではある状態で止まっている。
「ええと。こんにちは」
 差し当たりないであろう挨拶をまずしてから、「望月千影です。えーと櫂にヴァンガード教えてもらって、三和にも経験積むために遊んでもらったりしてます。よろしくね」と自己紹介をすると三者三様の自己紹介を返してくれた。
 青い髪をした子が先ほどシンに説明してもらった先導アイチという名前は知っていたが実際目の前にすると小柄で華奢。まるで小動物のような印象を受けた。
 その一方で毛を逆立たせた少年は森川カツミと名乗り、まるで何処かのガキ大将の印象で、そしてその森川のフォロー、いや突っ込みをしている苦労人は井崎ユウタと名乗った。
 個性豊かなメンツが揃ってるな、と内心思いながら挨拶を終えると三和が櫂の隣の席に座り、千影に対面へ座るように視線で促してくる。
「三和はいいの?二人のファイト、見たいんじゃない?」
「それはそれ。これはこれ。せっかく千影ちゃんも来たし、この前の続きしようぜ?」
 盤面からしてここから盛り上がる所だろうと千影が気を遣うが、三和は気にするなと言わんばかりにデッキを用意していた。
 気遣わせてしまって正直申し訳ない気持ちだが、久しぶりにきたのもあり、やはりファイトはしたかったので三和の申し出はありがたかったので千影は椅子に腰かけると自分のデッキを取り出すといつものように用意を始めた。
 隣にいたアイチも自分のターンだったことを思い出し、櫂に謝罪しながらファイトへと戻っていった。
「今日は、絶対一勝は取って見せるから」
 アイチとて櫂に勝ったのだ、千影もうかうかしてなどいられないとやる気を見せるとニッと口を吊り上げて三和は「やってみろ!」と千影を煽るのだった。
 櫂はアイチとのファイトには集中しているつもりなのだが、何処かで隣でファイトをしている三和と千影の様子が櫂の心情をまたざわつかせていた。不愉快とも言い切れないその感情を持て余しながら、小さく息を吐き出すと改めて目の前にファイトに向き直る。ファイトにさえ集中すれば、こんな感情など消え去るはずなのだから。
 そんな櫂の様子を露も知らない千影は三和のファイトに真剣な面持ちで挑み続けていていた。
 数度ファイトをした辺りで千影は初めて三和から一勝を勝ち取った。今回の勝因は大きく運ではあったが、確かな一勝に流行る気持ちが抑えられずに隣に座っていた櫂に喜びの視線を思わず向ける。が、しかし櫂はアイチとのファイトに挑んでおり、千影の視線にも気づかないほどに集中していた。そんな櫂の真剣な表情にハッとして視線をデッキに戻してしまった。三和は、タイミングが悪かったと苦く笑みを浮かべて櫂へと声をかけようとしたが、気づいた千影がそんな三和に向かって必要ないと首をふるふると横に振った。
 もともと櫂は千影の戦績など気にはしてないだろう。初勝利報告はあとでもいいだろうし、もしかしたら当然とばかりに「そうか」とだけで終わるかもしれないなら彼等のファイトを遮ってまでする必要はない。
 千影の気持ちを汲み取ってくれた三和は小さく溜息を吐いたかと思えば「んじゃまあ、次やるか」と気を取り直すように口にするのだった。
 結局、それから櫂も千影もファイトに集中してしまったので会話を交わすことはなく、学生の帰宅時間になったのでそれに習って千影も帰ることにした。
 がやがやとしている森川や三和。控えめに笑う少年に千影はとんとん、と肩を叩くとアイチはきょとんとした顔で千影を見上げた。その顔があまりにも女の子よりも整った綺麗でかわいい顔だなと思いながらも千影は口を開く。
「もしよかったら、今度は私とも遊んでもらえると嬉しいな」
 できるだけ怖がらせないように柔らかく口元と視線を緩ませる。
 一瞬アイチは驚いたように目を見開いたが、少し視線を泳がせたあと小さくコクンと頷いて「次、いつきますか?」と返してくれたので千影は職場に残した仕事を思い出しながら「急用ができなければ、また明日くるつもりだから」と答えて、アイチたちと別れたのだが。
「…で、どうしたの?」
 そう千影が問いかける相手は、目の前にいる櫂トシキその人であった。三和はおそらく気を使って先に返ったのか見当たらない。こんな露骨に合わせてくれても正直千影から切り出すにも気まずい所があるので何故待っているのかを櫂に問う形になってしまった。
「…三和がお前と話してから帰れと煩かった」
「あー…」
 いらぬアシストありがとうと内心溜息をつきたい気持ちを抑えながら櫂の言葉に乾いた笑いを返すしかない。かといって何も言わずに別れると言うのもせっかく収めた勝利がくすんでしまう気がしたので、小さく深呼吸して櫂と視線を合わせるように見上げる。
「ちょっとだけ、時間もらってもいい?」
 春とはいえ、日が暮れれば当然気温は肌寒い。千影は公園の自販機で暖かい飲み物を二つ購入すると櫂が座っているベンチへと足を向けた。
「コーヒーとお茶どっちがいい?」
 千影が差し出した缶とペットボトルに櫂は視線を動かせ、コーヒーを手に取る。
 残ったお茶のペットボトルを湯たんぽ代わりにしながら千影は櫂の隣へと腰かける。お尻からひんやりとした温度が伝わって体が冷える感覚に少し体がふるりと震えた。
 何せ薄着のジャケット、ワンピースにストッキングとパンプスは防寒には向かない。ただ手元にあるお茶のペットボトルから伝わる少し熱い温度がいくらか千影の体感温度を下げずにいてくれるとはいえ、少し冷えることには変わらない。視線をペットボトルに落として、千影は口を開いた。
「始めて、始めて勝ったのが嬉しくて、櫂にも報告したくて…。って、ごめん。なんか子供みたいなこと言ってるなー…んん。三和はね、私のそんな雰囲気を察してくれたんだと思うんだ」
 少し恥ずかし気に千影が告げる。櫂の表情が見えないが、「…そうか」と短く返答が聞こえた。いつも通りの答えだが、厳しい言葉をかけるわけでもなくただ受け入れてくれたことが何処か嬉しくて千影は少し口元を緩めた。
 元々千影とて、褒めて欲しかったわけではない。ちゃんと教えてもらったことを実践できていて、今回は運も味方してくれたとはいえ、勝ちを取れるまでになれたと言うことをただ、知っていて欲しかっただけだ。
 ただそんな感情が湧くとは自分でも思っていなかったのでこれもまたヴァンガードの影響なのかもなぁ、と内心苦笑するしかない。
 何せ、仕事でもない趣味で人から教わると言う感覚は久しぶりでその中で自分自身の成長という手応えを感じるのは心地いいのだ。
 櫂からしてみれば、千影の報告は驚くことでもない。教えていることも、千影自身が少しずつとはいえちゃんと成長しているのを知っていたからだ。
 ただ少しだけ、その様を直に見ていなかったことに何処か落胆している所もあった。
 だからといってそんな感情を顔に出すことはない。彼女が奢ってくれたコーヒー缶を開けると一口流し込む。缶の熱さよりも中は少し熱い程度で、微糖だったらしく、苦さとほんのりとした甘さが櫂の口の中に広がった。
 もし、三和がここにいたら「お前はもうちょっと言葉増やしたほうが色々誤解なく伝わると思うぜ?」とアドバイスしていただろう。だが生憎、櫂はこれ以上を語るつもりはない。そして千影も櫂の性格を知っているのでそれ以上の言葉を求めはしない。
「いつか櫂からもちゃんと一勝取るから、その時もよろしくね?」
 次の目標だと、千影が宣言すると櫂はフッと一瞬微かに笑い、口元を吊り上げて千影を見下ろし「簡単には取らせるつもりはない」と返す。
 櫂を見上げた千影は予想通りの答えに「櫂はそういうタイプだもんね。絶対勝ってみせるから」と頬を綻ばせて嬉しそうに笑った。
 そんな千影の姿に櫂は目を細める。こんなやり取りが今の自分にできるのが一番意外だった。
 先導アイチに対してはいつか自分の強敵になりうるであろう、その潜在能力を垣間見せた事で櫂は驚きそして期待している。だが、望月千影に関してはまた別だ。強さなど関係なく、彼女という存在の在り方が櫂を惹きつけて止まない。
 本来であれば、彼女に使うべき時間は己の強さを向上させるための時間に充てるべきだと自分の中では十分に理解はしているからこそ櫂は自分自身に困惑し続けているわけだが。
 一方で千影は櫂の沈黙を苦とはしていなかったが、櫂自身が何か思い悩んでいる様子は感じ取っていた。ただ、それでもその悩みを解決に導く役目なのは、千影自身ではないだろうとも思うのだ。
「あ、そうだ。先導くんとのファイトってどんな感じだったのか聞いてもいい?」
「…ああ」
 そうすると結局のところ、唯一の繋がりであるヴァンガードの話しか話題はなかった。
櫂が静かに、場面の動きを説明する姿を千影は耳を傾けた。やはりアイチとのファイトが白熱していたのか櫂の説明はいくらばかりか熱が入っている。ヴァンガードへの熱意がそこからかいまみえて千影は微笑ましいなと思えた。
 アイチとのファイト説明が終わった頃、ひんやりとした風が二人を通り過ぎ、櫂のミルクティーの様な色をした髪と千影の射干玉色の髪を揺らす。くしゅんと千影がくしゃみを一つ。その音に櫂は視線を千影に落とす。
 「いい加減、そろそろ帰ろうか」と、千影が口にすると櫂は「ああ」と同意する。
 鼻をすすりながら、またねと手を振ろうとする千影の姿を櫂は思わず「送る」と一言口にしたが、千影は瞬きをしてからゆるりと首を横に振った。
「んん、いや大丈夫だよ。櫂のほうこそ帰らないと制服だし補導されちゃうでしょ。
こんなんでも私、大人だから夜の帰り道は慣れてるよ」
 千影の思わぬ発言に櫂はぴくりと眉を動かす。大人という言葉に今更ながら、櫂は千影が年上だったことを思い出す。口にはしてなかったものの、察していたのでそれほど驚くことでもなかった。
 顔立ちがやや幼いためか、おそらく三和たちは自分達と年齢差がそこまでないとは思っているだろうが。
 千影からすれば言うタイミングを逃してしまっていたので、多少の罪悪感はあるが意図的に隠し続ける必要はもうないだろうと思ったのでさらりと流すように口にした。
「そういえばちゃんと言ってなかったけど。今、二十歳。最初に言わなくてごめんね。年上ってやりにくいかもなーとか考えちゃって言い出すタイミングなくしてて…」
 千影の言葉に櫂からしてみれば年上だとしても、櫂の中で望月千影は同じファイターというくくりの中にいる。それだけだ。
「別にお前が年上だとしても何も変わらない」
「うん、ありがとう。というわけで、送らなくても大丈夫」
 櫂の言葉は簡潔的だが、けして突き放しているわけではないと千影もわかっている。ぶっきらぼうではあるが、彼の性根は優しいのだと今まで過ごした時間で理解していた。
 だからこそ、そんな彼を早く家に帰そうとするのだ。自分のせいで補導などされたら、申し訳なくなってしまう。それと、自分が年下に送られると言うのも何処かむずがゆいところもあった。
 千影の言い分に、否定を重ねようと思えばできたがそれ以上踏み込む必要はないはずだと櫂の中でブレーキがかかった気がして、それ以上は口にしなかった。
 沈黙を肯定と受け取った千影は「またそのうちね」と櫂を送り出しその背中を見送り、自宅へと足を向け、歩き出すのだった。



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