二人を分かつその日まで
誕生日、というものは一般的に嬉しい日、または特別な日であることが多い。
しかし櫂トシキと言う少年は何処か達観していて、己が生まれた日が祝われると言うことにも無頓着であった。
だがそうは問屋が卸さないと、櫂トシキの友人達はあれやこれやと画策するわけだ。
ここ数年は、前もって予定を空けるように言うものだから櫂自身嫌でも意識するようになっていた。
最初は当然拒んでいたのだが、三和と筆頭にファイトをしようとアイチやレンに言われればファイターとしての疼くのは当然で結果的にファイトにのめり込んでいると、ふと気づいた時には別の卓にはケーキやらなんやらが用意されていて、そのままの流れで逃げる余裕もなく誕生日を祝われてしまうわけだ。
最初こそこういった祝い事に関して辟易していた櫂だが、紆余曲折4年も経てば受け入れる余裕ができるようになり周りに祝われることに関して悪くないと思えるようにはなった。
だからといって周りのように大手を振って喜ぶような性格ではないので、周りから祝われるのを粛々と受け入れるだけだが。
しかし今年は違う。櫂はカードキャピタルのあった日本から出国し、オリビエ・ガイヤールに誘われたユーロリーグの参加権である国、ヨーロッパに在住している。
スマートフォンには色んなところから、連絡が届いていて櫂は苦笑しながらも一つずつ目を通していく。
そんな櫂の様子を楽しそうに見つめている人が一人。日本にいる間に籍を入れた櫂の妻となった千影であった。
「みんなから来た?」
「ああ。正直通知が来すぎて困っているレベルだ」
櫂の視線に釣られてスマートフォンの画面に視線を落としながら千影がそう問えると、櫂は頷き返答する。
シンプルな祝いの言葉を送ってくるものから、三和や森川のようにぽこぽこと祝いと共に言いたい言葉を連ねてくるものまで。
基本的に返答を返さない櫂だが、この日ばかりは止む得ず返すことにした。
今年は直接伝えることができない距離と時差があるからこそ彼らがLINEのような手段で祝ってくれている。
ただしレンのようなタイプは普通に電話をかけくるから侮れない。
「愛されてるね、櫂」
くすくすと千影は肩を揺らして視線を櫂に向け、嬉しそうに目を細める。そんな言葉と表情に櫂はむずがゆさを感じながらそっぽを向いた。
日本組だけでこれだけの祝いの量だ。当然こちらでも大層祝われた。
ガイヤールを始めユーロリーグ関係者から孤児院の子たちまで。日本と違い祝い事に関しては本人が行うものらしいが、櫂自身にいその気がないのを誰もがわかっていたので千影が仕掛け人となりガイヤール達を巻き込んだ誕生日というなのファイト大会であった。
千影はファイトよりも給仕に徹していたのは日本の時とあまり変わりないのだが、孤児院の子供たちもこぞって手伝ってくれたところもありそこまで負担にはならずに済んだ。
「所で。千影…お前はいつ、俺を名前で呼んでくれるんだ?」
「……ナンノコトカナ?」
話題転換にだされた内容に、千影の笑みはぴしりと張り付いたように硬直したかと思えば、視線を泳がしてぎこちなくしらばっくれようとしていた。
先ほど呼んだ時のように千影は今だに櫂のことを名前で呼ぶことができずにいた。
4年間の呼び方を変えると言うのは中々に難しい。それと、千影自身が何処か気恥ずかしい気持ちが消えないせいもあり今の今までほぼ名前を呼ばれたことはない。
そうはいっても今や千影も櫂、という苗字なわけでなのでいい加減名前で呼んでもらってもいい頃合だろうと出した話題でもある。
当の本人はまだ決心がつかないのか、視線を泳がせるばかりだ。
しかし生憎今日は言い逃れさせるつもりは櫂にはない。
「そういえば、今年はお前からもらっていないな」
櫂は口元を吊り上げるように笑みを浮かべ、わざとらしくそう千影に告げる。
その表情はファイトをしている時に決めるときの表情にも似ていた。
あ、これ詰んだ?と千影が悟った時にはすでに遅い。櫂の空いていた手は千影の腰に手を回し引き寄越せるものだから向き合う形で密接してしまう。
昔であれば千影が近いと櫂を押し返す所なのだが、恋人として付き合い始めて一年経つともなればこれぐらいのスキンシップにはかなり慣れきっていた。
この笑みを浮かべている時の櫂は王様のような強引さを発揮するをの千影はよくよく理解している。
だからこそ、求められているものがわかっている以上、それを成さなければこの状態から解放してもらえることはないだろう。
と、言ってもだ。千影の中で名前の呼び方を切り替えると言うのはかなりハードルが高いものだったりする。
「…あ…う…うぐぐ」
トシキ、と呼べばいいだけだと言うのになんなんだこのハードルの高さは!と内心千影は荒れ狂っていた。
三文字だけなのに、どうしてこんなにも口にするのが難しいのか。
けして嫌だとかそういうわけではない。すー、はー、と何度か深呼吸をしてぎゅっと拳を作ると小さく口を開く。
「と、…しき」
あまりにも消え入りそうな声で、しかも途切れ気味に。
ようやく言えた安堵感にほっと胸を下ろした千影だったが、まだ納得していないと言わんばかりでざくざくと視線で射抜いてくるわけで。
「…区切らないで言ってみろ」
最期の一推しだと、呟かれた言葉に千影は顔をあげてキッと睨みあげた。
「っ、鬼!!トシキの鬼!!!」
「ほう、これだけ焦らされた俺に言うことはそれだけか?」
「ひえええ、違います、お誕生日おめでとうございます、トシキ!!!」
口答えする千影に櫂は目を細めてうっすらと仕置きのような視線を投げかける。
その目つきの悪さに思わず千影は悲鳴をあげながら、櫂のリクエストに強制的に応える形となった。
呼ばれた流れはあまり気に入るものではなかったものの、千影からの譲歩としては中々悪くないと櫂は今度は満足そうに笑みを浮かべるものだから、もうどうでもよくなった。
櫂が自分の意思で名前を呼んでほしいとそんなささやかな願いを乞うのなら、千影はそれに答えてやりたい。
そう思うほどには、千影もまた櫂を愛して生涯の伴侶として選んだのだから。
深呼吸をして、千影は櫂を見上げて視線を合せて顔を綻ばせて口を開いた。
「トシキ、誕生日おめでとう」
これからもずっと、名前を呼んで誕生日を祝おう。
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