芽生えて、
『バカンスいきませんか?』
「は?」
見知らぬ電話番号からの着信。警戒したものの、あまりにもしつこくなり響く着信にしぶしぶ出てみると聞き覚えのある声に思わず千影は驚いた。
「あー、えーっとその声って確か雀ヶ森くんだっけ…?」
『もー、ずっとかけてるのに出てくれないなんてひどいじゃないですかー。そうです。レンでいいですよー、名前呼びのほうが好きですし、それに僕も千影さんって呼びますからー』
「あ、まあ別に呼び方とはいいんだけど、っていやいや知らない電話番号だったし出ないでしょ普通。っていうか番号教えた覚えもないんだけど!?」
『そこは内緒ですよ。それよりどうですバカンス いきません?』
「なんで内緒?!…いやそんな急に誘われれも困るんだけど」
内容にしたってあまりにもぶっ飛んでいて正直何を言っているんだこいつは状態のまま、千影は自身の個人情報の流出に若干不安を覚えていた。
正直レンほどの立場を持つ人間あれば、一個人の情報など手にすることは容易いだろうとは思うがそれはそれで中々にゾッとする話である。
『ええーいいじゃないですか。ね?』
「ていうか何で私?」
『僕が一緒にいきたいからですよ?』
駄々をこねるレンに千影は困惑するしかない。
実際レンとの関わり合いとて、そこまで深くはない、はずなのだ。
PSYクオリアにまつわる話に若干関わっただけで、本来のレンに戻ってからはそんなに会った記憶もない。
だと言うのに何故この少年は自分を誘っているのかさっぱりわからないのだが、年下から強請られるとどうにも断りにくいと千影は感じてしまう。
「…ちなみに日程は?」
『えっとですねー』とレンは日程を読み上げるが手帳のカレンダーを確認する限り、どう考えても出勤日である。
本来、社会人の自分も夏休み自体はあるのだが生憎学生たちと被ったところで多少しかない。ちなみに日にちとしては後半なので千影の休みはとっくに終了していたりするのであった。
「残念ですが仕事です」
『休んじゃえばいいじゃないですか。いーきーまーしょーよー』
お断りの意思を込めたスケジュールを伝えたものの、どうにもレンは引き下がる気配がないことに千影はもしかしなくとも面倒なことに巻き込まれたのでは?と今更ながらに気づいてしまった。
「いやー、無」
『レン様のお誘いを断るなんていい度胸してるじゃない』
再度断ろうとした千影の言葉を上書きするように、今度は女の声が電話から聞こえてきた。
この声も聞き覚えがあるな、と思い記憶から掘り起こすとレンの側付きであり、AL4メンバーの青い髪をしたクールビューティな少女の姿が浮かんだ。
「…鳴海さんでしたっけ?」
『ええ、鳴海アサカよ。いいこと?レン様から直々にお誘いしているのよ?断るなんて選択肢あると思っているなら正してあげるわ!』
「というかですね、何処までいくのか知らないけど私そんな旅費とかないし」
『もちろん全部こっちもちですよ〜』
『レン様の誘い以上に優先すべきものなどないでしょう!いい?当日迎えを寄越すから1泊2日程度の準備をしておきなさい。あと水着もよ!』
そう言いきられて電話は切れてしまった。何回かかけ直したが出ることはなく、千影は途方にくれるしかない。
つまりこれは強硬手段でくるということらしい。…むしろそれは住所を知られていると言う事であって個人情報の流出に更に頭を悩ませるばかりだ。会社にどう説明しようかなぁと溜息をつきながらスマートフォンのカレンダーに予定を記入するのであった。
*
当日の朝、スマートフォンのコール音に千影は溜息をつきながら画面をスワイプする。
「もしもし?」
『おはよーございまーす、下にいるんで荷物もっておりてきてくださーい』
「…はーい」
変わらないふんわりとしたレンの声に若干気が抜けると思いながら千影は自分の荷物を確認する。
デッキは当然持って行くとして。レンの言葉を信用しないわけではなかったが年長者として念のため現金は多めに握ってある。
流石にパスポートまで言われていないので海外ではないはずだしこれで問題ないはずだ。
ボストンバックを一つ引っ提げて、千影は自室の鍵をかける。
マンションのエントランスから出ると、まさしくそれだと言わんばかりの車がそこに止まっていた。
ガラスは黒張りされていて中は見えない。どう声をかけようかと悩んでいると後部座席の窓が開いて、レンがひらひらと手を振っていた。
後部座席のドアに近づくと自動的に開いたので、恐る恐る車内へと体を滑り込ませると対面式の座席が4つ。レン、アサカそして、何故か櫂が座っていて千影は思わず目をぱちくりとさせた。
「あ、千影さんは櫂の隣でお願いしますね〜」
「え、あ、うん?」
「レン様の隣は私よ、これは譲れないわ」
「いや、結構です」
レンの誘導に頷くと奥へと足を進めて、いつものように腕を組んで目を瞑っている櫂の隣へと腰をかける。
一方でアサカがレンの隣は譲らないと忠告をしてきたが千影はそれはないと片手を前に出してアサカを制したのであった。
そこからは飛行場へ到着し、国外は無理だと言った千影に国内なので大丈夫でーすと気軽に背をおして専用機に乗せられたりとびっくりしたものの概ね問題はなかった。
ただ何故か席は何かと櫂の側と言うことが多いことだけが気にはなったが。
単純にアサカがレンから離れるつもりがないというのもあるが、テツの隣とて空いていたはずなのだ。
もしくは、レンか誰かが気をきかせてくれたのかもしれないが。
千影としてはむしろ櫂のほうが困るのではないかと思い「なんか、ごめんね」と小さく呟いた。
「…何がだ」
「あ、起きてた?んー、ほら、友達と遊びに来てるのに私と隣ばっかりだと嫌じゃない?」
「…むしろ静かなほうがいい。あいつらは煩い」
うっすらと瞼を持ち上げて答えてくれる櫂に千影は小さく笑みを浮かべるしかない。
気を使われたのかそれともそれが本心なのか判断はつかなかったが、嫌がられてはいないと言うことに安堵する事にした。
*
「うわ、ガチのプライベートビーチだ」
「もちろん。といっても立凪財団のですけどね〜」
「本当に私がきてもよかったのかなぁ…」
「もちろんですよ〜。身近な知り合いまでなら連れてきてOKって許可もらってます。ほら、アイチくんたちも他の友達連れてきてるみたいですし〜」
「アイチたちもいるの!?」
千影が驚きの声をあげていると、テツを先頭にコテージへと案内された。
その奥には見慣れたメンバーが勢ぞろいしているではないか。
シンも驚いた顔を見せており「千影さん!お仕事はどうされたんですか?」と聞かれたので「強制的に休まされたんで…」と千影が若干遠い目をしながら答えるとシンもまた苦笑を返した。
本当はQ4の身内として呼ぼうと思っていたが、千影が仕事であろうことは予想がついたので今回はやめようと見送ってくれたらしい。
そんな心遣いもレンと言う少年一人の行動で台無しになってしまったわけだが。
だが、一方でアイチたちは千影の存在に喜んでくれているようでそれはそれで微笑ましいなと仕事の事を考えるのをやめた。
しかし、海で遊ぶと言うよりはやはりカードファイト合宿らしくQ4であるアイチ、ミサキ、カムイは遊ぶわけもなく強くなりたいとだからファイトをしたいと熱望している様子ばかりが見える。
焦燥感と言うやつなのだろうかとTシャツと短パンに履き替えた千影はストローでジュースをすすりながら各々の様子をチェックしていた。
先ほどミサキとのファイトを一戦終えたのだが、何処か不安そうにファイトするミサキの心を映すようにキレのあるファイトを見せる事はないままそのファイトは千影の勝利で締めくくられている。
そのままもう一戦挑まれそうなところで、アサカとレンが千影を呼び出したのでファイトの無限ループは阻止された。
おそらく意図的な呼び出しに流石に鋭いと千影はレンに関心するばかりである。
で、当のレンはアサカと共にミサキの元へと行ってしまっていて千影は当然独りぼっちである。
砂浜の向こうでは、アイチとカムイがドロー練習だと言いながら素振りをしているし、ちょっと離れた所ではエミちゃんたちと一緒に面倒を見る様に三和が砂のお城を作って楽しんでいるようだった。
海の方では森川と井崎が十分に楽しんでいるのが見える。
本来はアイチ達もああやって楽しめればよかったのに、と千影は思うばかりだ。
「何をしている」
「んー。観察かな」
聞きなれた低めの声に視線を動かさず千影は返答する。
デッキの隣に寄りかかった櫂は黒い上着を羽織っており、腕の部分は捲ってあるがやはり暑苦しい。
一方で千影は薄紫色のパーカーと中にTシャツに短パンスタイルだ。
長い髪の毛もアップにして首元を涼しくさせて、完全に夏の女である。
「…アイチ達か」
「そー。せっかく海に来てるのに、勿体無いなって思うんだけど、本人達はそれどころじゃないだろうからね。難しいなあって」
櫂の言葉に千影は頷く。本当であればアイチ達と海へ遊びに行くのもいいなとは思っていた。ただ時期としてたまたまVFサーキットの最中だった上に千影自身も仕事の休みがなかったので予定が噛みあう事がなさそうだと断念していたわけだが。
実際アイチ達も海どころではないし、ある意味誘わなくて正解ではあったのだろう。
「お前がそこまで気にかけなくとも、アイツら自身で答えを見つけなければならないものだ」
「そっか。なんかもどかしいけど、それも一つの成長するための壁ってことかなぁ」
櫂の言葉には確かに納得できる。何でもかんでも手を出せばいいものではないと、千影もわかっている。特にゲームとはいえヴァンガードは己とデッキが向き合って初めて噛みあうものだ。本人の迷いが素直に反映されてしまう。
現にアイチ達はデッキを開いては試行錯誤しているがどうにも方向性が定まらない様子なのはさっき見ていて千影にもわかるほどだった。
照りつける日差しがじりじりと自分の肌を焼きつつあるので、千影は櫂に声をかけると先にコテージへと避難することにした。
*
アイチたちが自主練習?に励む中、千影と言えば特にすることもないので周囲を軽く探索したりした程度だ。レンとアサカに誘われて軽くビーチバレーも楽しんだがそんなこんなで夕暮れになり夕飯にしようとなった所で気づいた。
飲食に関しては用意されているのだが、食事に関しては材料だけが用意されており、自分達で調理してくれと言う事らしい。
それぞれが食材を眺めながら何を作るかと思案している。
手軽さを考えればカレーが妥当かなと考える千影は冷蔵庫にある材料も確認しようと冷蔵庫に視線を向けた。だが先に先客がおり、冷蔵庫を開けながら何やら深刻そうな表情をしている櫂が居た。一体何が入っていたんだろうと千影が冷蔵庫へと歩み寄る。
「これは…俺に対する挑戦か…?」
ぽつりと豪勢な海老を眺めながら呟いた声が耳に入る。
その海老を使って何か作ろうという意気込みは感じるが、あえて使う必要もないように思う。
確かに手先は器用そうなので櫂にとっては料理なんてお手の物かもなのかもしれないが。
「櫂も料理するんだね」
キャピタルで会う時は当然ヴァンガードが話題の中心であって、他の趣味など当然知らない。
櫂自身あまり自分を語らないと言うのもあり、少し意外な一面が垣間見えて思わずそんな事を口にしてしまった。
「…自炊しているからな」
まるで一人暮らしの自分と変わらないなと千影は思いながら、そうなんだ、と相槌を打つ。そしてはた、と思う。趣味であれば自炊などと言う単語は使わないはずではないか。
「親はいない。高校に入るまでは親戚が俺を育ててくれた。今は、一人で暮らしている」
櫂は特に気にしていないように語ったが、今の今まで知らなかった櫂の生い立ちに立ち入ってしまったと千影は手遅れながらも気づいた。
ああ、失敗した。妙な好奇心で聞くべきではなかったと内心反省せざるえない。
だが言ってしまったも聞いたことも取り返しはつかない。
おそらく櫂にとってはすでにすべては過ぎた事なのだとその落ち着きから察する事はできたが、それは年齢に合わない冷静さを生み出したのかと思うとどうにも切なくなってしまう。
だから、千影は思わず届く距離にあった櫂の髪に触れ、そっと撫でてしまった。
本来であれば、子供扱いなどされたくない事などいくらでも察することはできたし、しなかっただろう。だけど、千影とて年下の少年の境遇に何も思わない事などできなかった。
千影の行動に櫂は思わず硬直していた。頭を撫でる自分よりも年上の小さい手。
撫でられることなど何年振りなのかわからない。
だが、その手がおそらく同情や哀れみを含んだものだとわかっていても振り払う気など微塵も起きなかった。
しばらくすると千影が「あ、ごめん。夕飯作ろう」とレン達のほうに引き返していく。
残された櫂が何処かぼんやりとしている事は千影はもちろん、気づくわけもなかった。
千影がレン達のほうに戻ると食材まるまるを煮込んでいる鍋が見えた。
一体何を作っているかはわからないが、そこまでおかしな食材を突っ込んでいるわけでもなさそうなのでいったん放置する事にした。
一方でコンロを使っていたのは三和で、綺麗なオムレツを作っているのが見えて思わず千影も声をあげる。
「うわ、三和すっご」
「だろー?俺に惚れるなよー千影ちゃん!」
ウィンクを決めた三和に千影がないないと鼻で笑うと「ひっでー」と三和が笑いながらオムレツを皿に乗せてナイフで切り開く。
とろりとした中身がお目見えして、なお一層手の込んだ出来になっている。
そんな三和の手際の良さに井崎もまた感心していて、三和に教えを乞う。
「千影ちゃんは何かつくらねーの?」
「最初は、作ろうかと思ったけど食材ばかばか使うわけにもいかないし。それに珍しい機会だからみんなが作るの食べるのもいいかなって思って」
「えー。せっかく年上のおねーさんの手料理が食べれると思ったのになぁ」
「まあ、明日朝とかでいいならなんか作るよ」
「まじで!?」
嬉しそうな三和の声に千影は笑いながら、完成したオムレツの皿を食卓テーブルへと運んで行く。手伝いたいとエミたちが言うので、指示出ししながら運んでもらう事となった。
夕食と言うには本当に合成で、レンの闇鍋かと思っていたのは何故か無事ハヤシライスになっており味もまさかの問題なし。一切包丁を使っていなかったはずなのに何も問題なく出来上がっているところが恐ろしい。
三和の作ってくれたオムレツもふわふわとろとろで女子の好みを抑えているし、おいしい。
そして海老の調理法に悩んでいた櫂の料理はよくもまあこれだけ作ったなと感心するばかりのものだった。
海老クリームパスタやら、グラタンやら、もはやよくもなあそれだけレパートリーがあるのもびっくりだったが間違いなく美味しかったので今後教えてもらおうとこっそり食べながら千影は思うのだった。
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