憧れに触れるにはまだ早すぎる

ヴァンガードの事は知っていた。だけど、引っ込み思案な自分には縁遠いと思っていたしこれからもそうだったはずだ。
あの日、あの瞬間。新導クロノに心を奪われるまでは。
チームトライスリー。その健闘っぷりをたまたま配信されていた動画をみたとき、真剣で楽しそうなその姿に惹かれたのだ。
それから千影は恐る恐るカードショップではじめようセットを購入し、ネットでデッキの構築を調べて一人で黙々と自身のデッキを作り上げていった。
握ったのはギアクロニクル。初心者向けではないと購入する際もショップの店員に言われたが、それでもこれがよかった。新導クロノと同じそのクランを握りしめて少しでも、彼に近づけたと勘違いしたかったのだ。
なかなかにギアクロニクルと言うクランはトリッキーで、上手く回すのに解らない事が多かった。だが、ヴァンガード普及協会とやらが主催する週末のイベントに参加することでなんとか、使い方を教えてもらい一人でも回せる程度にはなった。
ただ、あまり同年代の子と遊ぶには気が乗らなかったが。千影は同世代の子達がどうにも苦手だった。若干の人見知りが強いのもあるが、恋バナやら自分の素性や家庭環境を探られるのは千影にとっては苦痛だった。無論、変に世話を焼かれることも。できるだけ一人でいたかった。だというのに今握っているのは一人で遊ぶものではないもう一人対面する相手がいなくてはならないゲーム。人見知りと言う大きな壁を超えさせたのもそれもこれも全て、新導クロノへの憧れただそれだけ。



デッキを作ったのはいい。普及協会の人とファイトすることにも慣れた千影は、ステップアップを図ろうとした。
新導クロノ御用達のカードショップ、カードキャピタル2号店への来店。
例え居なくとも雰囲気だけでも味わえればいいかと、デッキを鞄に仕舞って店の前にきたわけであるが。
入るための勇気が必要だった。何故なら、まったく見知らぬカードショップは千影にとっては途方もないハードルなのだ。知らない人間たちの視線が集まるのが怖かった。
何よりもこの先に新導クロノがいたらどうしようなどと、いらぬ考えが浮かぶ。
だがいつまでたってもこの場に居ても仕方ないと、深呼吸をすると意を決して扉を押した。
まず右手にカウンター。中で店員が作業をしてるようだったが、いらっしゃ〜いと何処か柔らかな声で迎えてくれた。若干体が強張ったが、明らかに大人だったのでそこまで警戒する必要ないかと足を進めるとファイトテーブルが整列されている。数名がそこで遊んでいるようで、千影の憧れである新導クロノはそこにはいなかった。残念のような、いなくてよかったような。そんな複雑な気持ちを抱えながら、カードの飾られたショーケースへと足を向ける。あ、このカード欲しいななどと気が付けば夢中で眺めていた。

「お、君もギアクロ使い?」
「っ!?…あ…、は、い」

急に声をかけられた千影はネコのようにびくんと身体を振るわせて視線を上げるとオレンジ色のエプロンをつけたおそらく、バイトであろう高校生が一人。
一瞬身構えたが、年上であるならいいかと千影は小さく頷いた。これが同年代つまり中学生だったら逃げ出してしまっていたかもしれない。それぐらい千影にとっては同世代は回避したい存在だった。

「なあなあ、もしよかったらファイトしねえ?」
「え、…いや、でも私まだ初心者なの、で…」

突然の誘いに千影は自身の赤い瞳をぱちくりとさせる。急にファイトと言われたって上手くできるかわからない。何より本当に初心者なのだ。
きっとカードショップの店員ほどの人とやったところで楽しませることなどできやしないと断ったがそれでも店員は引く様子はない。

「初心者ならなおさら!ファイトってやりながら覚えるほうが断然いいぜ?あ、俺は葛城カムイ。ここの店員な!」
「あ、え…千影、望月千影です」
「おう、よろしくな千影ちゃん!」

葛城カムイ、と名乗った店員の名前に何処か聞き覚えがあったが今はそんな些細な事を気にしている余裕など千影にはなかった。
すぐ傍に合ったファイトテーブルにつくと、鞄の中からデッキを取り出す。
Gゾーン、デッキ、ファーストヴァンガードと間違えがないか確認してファイトを始めた。
基本的なことをカムイが教えてくれるのでそれを頷いて、ちゃんと耳にいれる。
覚えてはいるとはいえ、手順を間違える可能性もあるので何度も反芻するほうが千影としては安心できる行為だった。
結果的にいえば、千影は負けた。だが、カムイの教え方はとてもうまい。普及協会の人も千影に優しく教えてくれたが実演でこうしたほうがいいと教えてくれるカムイは少し上手で、また一つ新導クロノへ近づけた気がした。ありがとうございました、と頭を下げるとカムイは「またファイトしような」とニカっと笑ってくれた。それと同時にキャピタルのドアが開いて「ちわーっす」と何処か聞き覚えのある声が聞こえた。視線を向ければ、赤い髪にぐるぐる渦巻き。少し目つきがきつい緑色の瞳。息を呑んだ。
「新導、クロノ」と思わず千影が小さく声に出す。まさか、本当に出会えるなんてと頭が真っ白になっている千影をよそにカムイは「よお、クロノ。なんかさ、新しいギアクロ使いの女の子がきてんだよ。せっかくだしお前教えてやれよ」などと話しているのが耳に入って来た。その会話を理解した瞬間、千影はデッキをさらうように片付けると「お、じゃま、しました!」と言って思わず逃げ出すようにキャピタルの扉を潜り抜けた。
ああ。こんな初対面、印象が悪すぎる。そうわかっていても、突然憧れの人とファイトをしろだなんて無理だと自分に言い訳をして千影は自宅へと足を急ぐことしかできなかった。


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