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 8月28日といえば一般の人間からすると、何の日でもない。
 ただ、千影にとっては違う。櫂トシキという少年の誕生日だった。
 しかも、彼とつい最近恋人と言う関係に発展したおかげで千影の中で誕生日というものに対してのハードルが自然とあがっているのも確かな現実で。
 出会ってからすでに三年ほど経過しているが、誕生日プレゼントなど思い悩んだことはなかったかのように思う。
 出会った年も、誕生日など知らなくて後から知ったので祝うことはなかった。
 二年目は確か手製のお菓子をあげたはずだ。といっても、櫂だけではなく、キャピタルのメンバーの誕生日に送り始めたことがきっかけだったのでその流れで作ったものにしか過ぎなかった。
 というわけで、出会って三年目の誕生日に千影は頭を悩ませているわけなのだが。
「…一番喜ぶものってなんだろ」
 日曜日のキャピタルで小さく呟いた言葉はまだ静かな室内に溶けて消える。
 もうすぐいつものメンバーがやってくるので、それまで一人でデッキを回していたのだが来週に迫った櫂の誕生日の日にちを思い出して今更ながらに悩み始めていたと言うのが現状だった。
「アイチとかレンとのファイト?」
 櫂トシキといえばまさしくヴァンガードが人生の様な男だと千影は勝手に思っているので、浮かぶこと言えばそれぐらいなのだが、アイチなんて毎日のようにファイトしているし気が向けばレンたちとだってやっている。正直それがプレゼント言うには手抜きと言うか、特別感があまりにもない上に恋人から送るものでもないのは誰が見てもわかることだった。
だからといって何を送るべきか。手作りお菓子は前年にやってしまっていてこれもまた特別感がない。
 一般的な恋人同士の誕生日などを思い浮かべたのだが、本当にその中で彼が喜ぶものなどあるのだろうかとただ首をかしげるばかりで、スマートフォンで軽く調べたもののどうにも自分達っぽくはないなぁと思ってしまうといい案とは到底思えない。
 というか勝手に誕生日プレゼント考えているわけだが、当日はおそらくキャピタルメンバーで誕生日会をすることは目に見えているし、それどころか千影もそこにいるのは確実なのだ。
 となればなるほど、プレゼントへのハードルはあがっていくわけで。
「やばいなー。全然よさげなものが浮かばない」
 途方に暮れている千影と店のカウンターの上で店長代理が欠伸をしている。平和だった。
 結局、この後櫂やアイチ達がやっていたことでプレゼントに関して悩むのは一回中断となった。
 案の定、その日の終わりにアイチからLINEが入った。
『来週、キャピタルで櫂くんのお誕生日会をしようとみんなで話しているんですけど千影さんも協力してもらえますか?』
『いいよ。ケーキとか決まってないなら私が用意してもいい?』
『いいんですか?助かります!』
『もうちょっと細かく予定決まったら教えて〜』
『わかりました!おやすみなさい』
『おやすみ〜』
 そんなやりとりを終えて、千影は布団へと潜り込み目を瞑りながらずっとプレゼントの事を考え続けていた。



 あれよあれよと日は進み、当日になってしまった。千影と言えば、わざわざ会社を休んで開店前のキャピタル中で作業をしていた。アイチ達といえば、ちょうど夏休み真っ只中だったので昼過ぎにキャピタルに集合と言うことにしてある。
 アイチ達がやってくる時間まではキャピタルは通常営業なので千影は裏作業と称して簡単な飾りやらを作っていた。バックヤードにある冷蔵庫には千影が今朝なんとか作ったホールケーキが眠っている。
 スポンジを綺麗に膨らませると言うのが難しくてかなり手こずってしまったし、自室の台所はこれでもかというほどにしっちゃかめっちゃかになっていたわけだがその甲斐もあってなんとか人に出せるものができたと安堵している千影は午前中ですでに疲れ切っていたりする。
 もそもそと手もと動かしながら飾りを作り上げているのだが、どうにも単調な作業で眠い。
「千影さん大丈夫ですか?」
 店のカウンターからシンがこちらを心配そうに覗いていた。
「ごめんごめん、なんか平日にこんなのんびりするの早々ないからつい」
「そうやって祝ってもらえる櫂くんはとても幸せものですね」
「そうだといいなぁ」
「自信を持ってください。僕が保障しますよ」
 子供を見守る親のような兄弟の様な眼差しとその言葉に、千影も小さく笑みを零した。
 平日のキャピタルは当然のごとく、夏休みであるために賑わいを見せており、あらゆる声が飛び交っているのBGMにしながら千影はせっせと用意を進めていく。
 誕生日パーティーの時間が迫ると、シンが遊んでいた子たちに謝罪をいれながら退店をお願いしていた。
事前告知していたとはいえ、せっかく遊びにきた子供たちには申し訳ないので、お菓子と1パックと言うプレゼントを千影とシンの二人で用意していたおかげで大した騒ぎにならずに約束の時間直前にキャピタルは空っぽになっていた。
 表の札はすでにcloseにしてあるので、シンと二人でてきぱきと簡易的な飾りを吊るす。
 そのうち買い物を終えた三和とミサキが到着し、そのあとに森川達がやってきて手伝いを始めてくれたので櫂が到着するまでにはなんとか間に合った。
 本日の櫂のエスコート役はアイチだったので時間ぴったりに二人は訪れて、ようやく本日の主役のタスキを三和にかけられてパーティーは始まった。
 いつものキャピタルメンバーでの和やかな会食といつも通りのファイトだったのだが、三和が連絡をいれていたらしくいつのまにかレン達やら何やらと賑やかになっていた。
 ここだけで世界レベルのファイターが集まっているとなればあちこちでファイトが繰り広げられており、何処も白熱しているのを微笑ましく思いながら少し離れた所で千影は見ているだけでとどめているのは理由があった。
 実はポケットに忍ばせてある悩み悩んで決めたプレゼント。喜ぶと思って用意したのかと言われると正直わからないというのが千影の本音のあり所だ。
 喜ぶかわからないものをあげるのもどうかとは思う。それでも、櫂にあげるべきもの浮かばなかった。どんなモノも今の彼なら拒むことはないとわかっているからこそ、逆に簡単に選べなかった。
 そうやって悩みに悩んだ末に用意したのだが、人前で渡すには恥ずかしいモノなのでタイミングを見失ってしまっている。
「だからってここで呼び出すのもなぁ…」
 呟いた言葉はパーティーの喧噪に掻き消されていく。別に急いで渡すものでもないとは言え、手元にあればあるほど意識してしまう悪循環。かといって、押し付けて帰るわけにもいかない。
 だが、待つのが嫌なわけではなかった。楽しそうにファイトしている櫂や周りをみれば自然と頬が緩むのを感じる。
 彼が少年らしさを何処かに忘れてきてしまったのだとしたら、取り戻す機会があってもいいはずだ。
 だからこその、誕生日パーティーは大切だと思ったのだ。子供が子供らしく、自分が生まれた日を祝われる。
 ごく普通である子供であれば、毎年あるはずの恒例行事だったはずだが、おそらく櫂に訪れた回数は少なかったのだと思う。だからこそ、これからはずっと。誰かが生まれたことを祝ってくれる日であればいいと思うのだ。
 彼が生まれた日を特別だと思っていると知ってほしい。これも大人としての千影のエゴのようなものだった。
 自嘲気味に笑みを浮かべ、その考えを胸に仕舞うと時計を見る。そろそろお開きの時間だ。シンもこちらに目配せしてきたのを確認して、千影とシンは同時にお開きを宣言した。



 片づけを手伝おうとした矢先、三和がこっそりと千影に声をかけた。
「千影ちゃん、片づけは俺らにまかせてくんない?」
「いやいや、そんなわけには」
「前準備もシンさんと千影ちゃんに任せちゃったし、それに櫂のエスコートもまだ残ってんだわ」
「それは三和がやる予定だったでしょ!?」
「はーいそれは嘘でーす。ていうかさ、折角なんだし残りの時間ぐらい二人で過ごしてほしーっていう俺らからのプレゼントなわけよ?」
「…マジで?」
「まじだっつーの、ってわけであとは俺らに任せて、行った行った!櫂待たせてんだからよ!」
 とん、と押された背中にセッティングされてしまった以上引くわけにもいかず千影は出入口でアイチと喋る櫂に声をかけた。
 アイチはそれじゃあお願いしますととてもいい笑顔で送り出された。キャピタルの外は日が暮れていたが、まだ暑さが残っており、じんわりと額に汗が滲む。
 本日の主役だった彼は暑さを感じていないかのように涼しげな顔をしている。
「今日、楽しかった?」
「…ああ」
 一瞬の間を置いてから、返ってきた答えに千影はそっか、と目を細めて笑った。
 昔の彼なら余計なお世話だの、言っていただろうに返事だけで過ごしてきた時間が彼の心を変えたのだと思えば家族を見守っていたような気持ちが千影の胸の中で溶けて消えていく。
「ケーキはお前が作ったのか?」
「そうだよ。あんまり作った事ないから結構苦戦したけどなかなか味は悪くなかったでしょー?」
「そうか…」
 櫂の問いかけに千影は苦労して作った甲斐があったと満足そうな表情を浮かべると櫂の手を引いて先導するように歩き始めた。
 櫂も千影の行動に何もいわず、ついていく。触れた手は千影よりも体温が低いのか少しひんやりとしている気がした。
 辿り着いた先は見慣れた公園。櫂がよくベンチで眠っていたりするあの公園だ。
 手に持っていたコンビニの袋を開けると、花火のセットとライター。取り出すと櫂に向けて千影は「これでシメといきましょーか!」と花火の袋を開けた。
 花火と言っても派手なモノはあまりない。公園でやるのだからあまり煩くないものを選んだつもりだし、はしゃぐようなタイプなのは自分だけだからと二人でばちばちとはじける花火を眺めていた。
「…プレゼントさ」
 いつ言おうかとずっと悩んでいたがようやく千影は自分で切り出す。その声に櫂は視線だけを千影に向ける。
「何がいいかなーってずっと悩んでたんだよね」
「ケーキがそうだと思っていたが、違うのか」
「ケーキはね、もともと作ろうと思ってて。でも、前の年もお菓子あげたなーって思ったし、あと…」
 一瞬口籠りながらも千影は小さな声で「…恋人になったから、違うものをあげたいなって」と続けた。
「…俺は、お前がくれるものならそれでいい」
「知ってる。だから、喜ぶかはわからないけど私の自己満足をあげようと思って。手、出して?」
 櫂の言葉が予想どおりで、だからこそ用意したプレゼントをポケットから取り出して櫂の手を待つ。
 千影の言葉のままに櫂は空いている手を千影へと差し出すと、広げられた掌に千影は小さな赤いリボンをくくりつけてある銀色の鍵をそっとおいた。同時に花火が消え、辺りは暗くなった。
 …それが何の鍵なのか、言わなくてもわかるだろう。千影は、火の消えた花火を片付けるために用意した小さな水桶に花火を差し込んだ。じゅわ、と残っていた熱が水と反応した音が響いて花火の終わりを告げた。
「さーて、かえろっか?」
 と千影が声をかけたものの、櫂はまだ掌に乗せられていた鍵を真剣に見つめている。
「…櫂?」
「いいのか?」
 ちらりと視線をあげた櫂の問い。
おそらく、自分がこれをもらってもいいのかと言う意味なのはわかる。
「むしろ、私がそれでいいの?って聞きたいくらいなんだけどね」
 苦笑しながら千影は肩を竦める。喜ぶかなどわからない、けれどこれがいいと思ったのだ。
 櫂を全て受け入れるという意味もある。その千影の部屋の合鍵は、千影の中で最善のプレゼントに見えてしまったのだから。
「…大切にする。」
「当たり前でしょ、失くしたらもうあげないからね?」
 その意図をくみ取ったかはわからないが、櫂は大切なモノを守るかのようにぎゅっと鍵を握る。
 冗談めいて千影が笑うと櫂は千影に近寄り、掠めるようなキスを落とす。だが千影を見下ろす瞳は喜びと寂しさが混じったような色で揺らいでいた。
 このまま離れたくないのなら、そういえばいいのにそういう所で遠慮しようとする櫂に千影は手を伸ばし、口を開いた。
「おいで、今日は一緒にいよう」

今日は君が生まれた大切な日なのだから。



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