罪証

望月千影は、かつてデリーターを握っていた伊吹コウジの手によってデリートされた。
ネオンメサイアの一件が終結を迎えたものの、デリートの後遺症からなのか彼女は自身の使っていたクランもヴァンガードに関する記憶も全て消失してしまったのだと。
その事実を知らされた伊吹は、旅に出る前にその当事者である彼女を訪ねた。
孤児である彼女は、デリートの一件から施設で与えられた自室に籠りきりらしい。
彼女は窓際に静かに佇む。手元にはヴァンガードのカード。
そして机にもまたカードが散らばるように置かれていた。
そのどれもしっくりとこないようで彼女は手元で持て余すように回すだけでそれ以上何かをするようには見えない。
そうしてようやく伊吹は思い知らされたのだ。
目の前の彼女の現状が、自分の犯した罪そのものだとようやく理解する。
自分が他人からヴァンガードを奪ったと言う現実がまさしく今の望月千影を体現していた。
そして、伊吹は彼女を記憶していなかった。
デリートした人間は数知れず、望月千影もその有象無象の中の一人でしかない。
伊吹とて、彼女の後遺症を知らなければこうして会いに来る事はしなかっただろう。
彼女の手元からひらりと滑り落ちたカード。そのカードが伊吹のすぐ足元へと着地した。
ゆっくりとカードを追うように動いていた彼女の視線がカードから伊吹へと映ると一瞬、瞳が揺れる。
その動揺を押し隠すように望月千影は興味のなさそうに視線を逸らしてその唇を開いた。

「…何か?」
「…」

生気のない声に伊吹はなんと口にするべきかただ悩む。
自分がした行いを詫びるべきなのはわかっていた。
だが彼女の現状を見てそれだけで済まされていいとは思えない。
奪ったものを取り戻させる、そのために自分が先導してやるべきではないのか?
そう思った瞬間に伊吹は口を開く。

「望月、でよかったか」
「…ええ。望月、望月、千影ですよ、…伊吹コウジさん」
「!…覚えているのか」
「覚えている、と言うのは少し、違います。
 私が貴方とヴァンガードファイトをした、と言う事実を周りから知らされているだけであって記憶に関してはまったく戻ってません」
伊吹の問いかけに千影は波打たない水の様に静かに答えた。

「そう、か」
「それで何をしに?もし謝罪であるならそれなら必要ありませんよ。
 だって思い出せないと言うことは"これ"は私にとってそこまで大切なものではなかったのでしょうし」

“これ”と称したカードを手に取り、望月千影はそう口にする。
と、同時に伊吹は彼女の手を掴んだ。まるでただのそんな風に口にさせてはいけない気がしたからだ。
その行動と自分を射抜く様に見つめる赤い瞳に千影は何も返さない。

「それは本心か」
「だとしたらどうしますか?」
「…お前が、本当のお前を取り戻すまで俺は俺の罪をお前に償う」

伊吹はそういうと、手を離し千影に背を向け部屋を出ていった。
一体何だったのかとその背を見送った千影は散らばるカードに視線を向ける。
…何も抱かなかった。かつての自分がどれだけこのヴァンガードと言う玩具に熱を濯いでいたのかすら、もはや思い出すことすらできない。
だが、それでも別に困りはしなかった。
ヴァンガードを見てもファイトを教えてもらっても。何も動かされる感情がなかったからだ。
それでもかつて遊んでいたからと施設の人間は千影にヴァンガードを渡してきた。
まったくもって余計なお世話だと思いながらも、その思いやりを無碍にする事もできずに受け取ったのが今千影の目の前で散らばっているカード達なわけだが。
カード達も可哀想だろう。こんな持ち主に渡された所で、ファイトすらろくにしない自分に託された所で腐っていくだけだと言うのに。
そんなことを思いながら千影が散らばるカードを広い集め終わった頃に、どたばたと施設内が若干騒がしい事に気づいた。
部屋の扉は再び開かれる。

「此処を出る準備をしろ」

伊吹が扉から見えた瞬間にそう告げられた千影は理解ができずにただ目をまんまるくさせ伊吹の顔をまじまじと見つめた。
誰だってそうだろう、過ごしていた施設を出ていく日がくるのはまだ先だと思っていたのに突然現れた男によって連れ出されることになるなど想像などしていなかったのだから。

―――

連れ出された千影は小さなショルダーバックを揺らしながら、前を歩く伊吹のあとを若干小走りで追う。
小走りになるのは伊吹が千影の足の遅さを加味していないせいだが、千影はそれに文句をつけることなく懸命に足を進めながら口を開いた。

「どこへ?」
「何処かは決まってはいない、ただ世界を見て回るつもりだ」
「ああ、だから荷物は最小限と仰ってたんですね」

伊吹は千影へと視線だけ向けて気づいたのか、ようやく歩く速度を緩めた。
今更だと思いながらも、この男はわざわざ自分の罪を償うために身寄りのないあまり年の変わらない女を引き取る奇特ものだと言うことを思いだせばその行動も納得した。
おそらく他人へ気づかない事が多いだけで、それに気づけばちゃんと思いやれる人間なのだろう。
千影の荷物は本当に最小限の衣類程度だ。
元々施設の暮らしと言うこともあり、自身の荷物は少なかったのもあるがほぼ衣類しない。

「その過程で、お前のヴァンガードを取り戻すきっかけになるかもしれない」
「…それは私に必要なことでしょうか?」
「少なくとも、かつてのお前が必要としていたはずだ。
 それに言ったはずだ、これは俺の罪を償うためだと」
「…そうでしたね。精々その贖罪に私を利用してください、伊吹さん」

嫌味を交えながら、千影は肩を竦める。
その言葉に伊吹はふ、と小さく笑いその赤い瞳を細めるものだから思わず見惚れてしまった。
顔がいいと言うのも一つの罪ではないだろうかと千影は内心思いながらも顔を出さずにやり過ごす。

「それと、旅の合間にヴァンガードを覚え直させるつもりだ」
「…デッキはどうするつもりですか?」

無論、千影が握るデッキはもうない。
伊吹すら覚えていないかつてのデッキが恋しいわけもなく、首を傾げる。
その様子をみた伊吹が一度足を止めると、一つデッキを取り出したかと思えば千影の手の上に差し出す。
なるほど事前準備は万端らしいと理解し、仕方ないと千影がそのデッキの中身を確認するためにカードを捲る。

「あの…伊吹さんのデッキと同じ、メサイアですよね…?」
「結局どれも手になじまないのなら、どれを使っても一緒だろう。
同じのならば教えやすいと思ったんでな」
「伊吹さんがいいなら、それで構いませんけど…」

一応前知識としてクランや基本設定を千影は知っている。むしろ嫌でも耳にしたとも言うが。
そして伊吹コウジが現在、握るのもメサイアだと言うことも当然知っていたとは言え、まさか同じデッキを渡してくるだなんて誰が思うだろうか。
しかし、デリーターに消された記憶をメサイアで塗り替えるように使用するのも皮肉なものだと千影は思ったが口にするのはやめた。
伊吹コウジと言う人間が自分を贖いたいと言うのであれば好きにすればいいと千影は思う。
何より千影の中で償ってほしい罪などない。
覚えていない事で苦痛を感じていることもないからだ。
滑稽で、可哀想だと思う。こんな人間に償い続けようとする彼が。
同時にそんな彼の人間性に興味が沸かずにはいれないのは当然だった。
記憶を無くしてからぼんやりと過ごしていた千影にとって初めての興味をそそるもの。
連れ出された以上後戻りはできない。受け取ったデッキを同時に渡されたデッキケースにしまい込み先に歩き始めた伊吹の後を再び追いかける千影の口元は笑みを描いてた。



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