Informo
勉強をし始めて1時間弱。すでに千影の集中力の限界を超えており、飽きていた。
握っていたシャープペンシルをころりとノートに転がして千影はぺたんと机に疲れた表情し、右頬を机につけた口を開く。
「っはー、疲れました。甘い物を所望したいです、カーズーマーくーんー」
頬につけた机には教科書、参考書、ノートと勉強道具一式が散らばっている。
対面には、つまらなさそうな表情をしている東海林カズマがそこに鎮座していた。
千影の言葉にカズマは眉を顰めて頬杖を突く。
「…なんで俺に言うんだよ」
「今ここには、私とカズマくんしかいないからですよ?」
「それはわかってる」
「私は今カズマくんにお勉強を教えてもらってます」
「っていうかお前が、教えろって押しかけてきたんだろうが」
「はい。カズマくん、成績もいいので是非教えて欲しくて」
顔を机から離して、千影はカズマににこりと笑う。
もともと千影の成績はよくない。
だからこそ、同じクラスで最近仲良くしてくれているカズマにお願いしに来た。
と言うのが建前。実際はといえば、カズマが自分を気にかけてもらいたいと言う至って普通の女子としての願望からだ。
実際押しかけた所で、追い返されるのが山だと思っていたのだ。
ドアをあけて千影を認識したカズマはなんとも言えない表情をしていたし、千影もこれは無理をしすぎましたかねぇと諦めていたのだ。
しかし、次には「唐突すぎんだろ…まあいいか。入れよ」と普通に家に招き入れてくれたわけで。
押しかけておきながらびっくりしてしまったと言うのは内緒だ。
「で、なんで甘い物だよ」
「疲れた頭には甘いものっていうじゃないですか。ね?」
問題を解くためにフル回転させた千影の脳みそはすでにオーバーヒートしており、休息を求めていた。
「ね?じゃねぇよ。…そこの問題解いてろ。正解したら何か持ってきてやるよ」
「本当ですね?約束したからには、必ず解きます…!」
「ああ、男に二言はねーよ」
カズマは千影の言葉に悩んだ素振りを見せたかと思えば、教科書のある一問を指す。
…普段の千影であれば、解くのにかなり時間がかかるであろう問題だが今は状況が違う。
ご褒美が確約された千影はすばやくシャープペンシルを握りしめると指定された問題を一心不乱に解き始める。
「できました…!」
「はぁ?お前、ほんとにでき…てるじゃねぇか…嘘だろ」
その時間三分ほどだったか。できたと目をきらきらさせて千影はカズマに声をかける。
胡散臭そうだと疑うようにカズマが千影のノートを覗きこむと驚いたように顔をあげて千影を見つめた。
「ふふん。本気を出せばこれぐらいですよ」
「最初から本気出せよ!?」
「ご褒美があるから本気が出たんですもん。
ほら、カズマくん男に二言はないんですよね?ご褒美ください!」
驚きの声に自慢げに胸を張る千影の言葉にカズマは思わず突っ込む。
ぷくと、頬を膨らませて千影はカズマに約束のものを強請る。
「チッ…。約束しちまったもんは仕方ねぇか…。ちっと待ってろ」
「逃げちゃ嫌ですよ?」
「逃げねぇよ!」
「駄菓子はいくらなんでもだめですからね?」
「んなちゃちなことしねぇよ!大人しく続き解いてろ」
「はーい。楽しみにしてますね!」
はぁ、とカズマは溜息をつくと立ち上がり部屋のドアへと向かう。
その姿に千影は釘を刺すように声をかけると少し苛立ったような声をあげてカズマはドアから出ていく。
カズマの背を見送ったあと、千影は残った問題を眺めてみるもののすでに身など入るわけもなかった。
暇を持て余した指でシャープペンシルをくるくるとまわしながら数分経ったころ、カズマが片手にマグカップを持って部屋へと戻ってきた。
千影は持っていたペンを机に放り投げてそのマグカップに視線を注ぐ。
机に小さな音を立てて、置かれたマグカップの中身はクリーム、マシュマロ、そして仕上げとばかりにかけられたチョコソース。
カズマとはかけ離れたその甘そうな装いのマグカップの中には一体何が入っているのか期待が膨らんだ。
「わぁ!なんですか、なんですかこれ!?」
「…ココア」
「ココア!?マシュマロに、クリームにチョコソース!
すごいですね、カズマくん!これはご褒美に相応しすぎませんか!」
「ココアひとつに、そんなにはしゃぐんじゃねぇよ」
「いただいても?」
「…約束、だからな」
「いただきます」
千影のはしゃぎっぷりに若干引きながらも窘めるカズマに一息ついて落ち着きを取り戻すと差し出されたマグカップに手を伸ばす。
まるで女の子をのようなココア。それを作ったのがあの東海林カズマだと言うのだから、そのギャップに身悶えないわけがない。
体でそれを表現したいのぐっと我慢しながら、千影はふーふーと息を吹きかけながらマグカップに口をつけた。
おいしい。甘さが口の中を満たして、疲れた脳を緩やかに回復させていくような気すらした。
クリームがひげのように口元に残った感覚に気づくと顔を顰めながら千影は口元をティッシュで拭って口を開いた。
「カズマくんがこんなの作れるのって失礼だとは思いますけど意外ですね…」
「…兄貴が昔よく作ってくれたんだよ。このくっそ甘いココアをな」
千影の言葉に、少しバツが悪そうにカズマは答えた。
兄貴と言う言葉に浮かぶのは、かのU-20を制したこともある有名な人だ。
鬼丸カズミ。千影の中では写真やテレビの放映などで見たことがあるぐらいの認識しかない。
だが、彼のおかげで今貴重な時間をもらえているのだと思えば感謝したい気持ちでいっぱいになった。
「カズミさん、でしたっけ?それもそれで意外です…でも、すっごくいいですねそれ」
「何がだよ?」
「カズミさんがカズマくんを思って作ったんだなぁって。
弟のために甘くておいしいもの沢山いれてくれたって感じがしてすごい、やさしさを感じますもん」
この、甘い甘いココアは。兄としてのカズミが弟であるカズマを喜ばせようと思って作ったものだとすれば。
それはとても尊く愛おしい兄弟話だと千影は思う。
そして、それを自分に作ってくれたカズマの優しさにもまた顔が綻ばずにはいられない。
千影の言葉にカズマは、意表を突かれたらしく沈黙していた。
「あ、カズマくん照れてます?」
「ち、ちげぇよ!」
「うふふ。そしてカズミさんから受け継がれたそのココアを私が頂いてるというのもまた乙なものですね〜」
「お前が甘いモンっつーからそれが一番最初に浮かんだんだよ…」
「カズマくんってほんとそういうところ、かわいいなーって思いますよ、私」
「はぁ!?なんでそうなる!?」
含み笑いをしながら千影は、抗議の声をあげるカズマをスルーした。
離れた兄を今だに、慕っているカズマのその心が垣間見えるのがかわいい以外になんと表現すればいいのか。
残念ながら今の千影には持ち合わせる言葉ない。
肩を揺らしながら笑う千影にカズマはその答えを聞くのを諦めたようだ。
「いつかカズミさんに会わせてくださいね?」
「…いつかな」
「約束、ですよ」
その約束が果たされる日はそう遠くない。
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