やがてひとつに還る夜
本来今日は櫂と出かける予定だった。
しかし、当日になってから「熱が出ていけそうにない」とメッセージがスマートフォンにきていたのを目にした千影は驚くと「無理しなくていいから寝なさい」と年上ぶった…いや実際年上だけれど。メッセージを返して、簡単な身支度をして家を出た。
通り道のスーパーに立ち寄って、適当な食べ物の材料とスポーツドリンクを買い込むとそのまま櫂の自宅へと足を向ける。
考えるのは櫂が体調を崩すと言うのがあまり想像できない。
…櫂トシキと言う人間性を考えると、体調が悪くても隠し続けていたというほうが妥当な判断だろうか。
心の痛みも隠すような少年なのだから。
だから今は支えてあげたいと思う。もう距離を取る必要もなくなった今でこそ。
多少買い込みすぎた量をなんとか抱えて千影は慣れた道を歩き、櫂の部屋の合鍵を取り出してできるだけ静かに部屋へと入った。
短い廊下を抜けると奥のベッドで眠る櫂が見える。
できるだけ静かに荷物を置いて、千影はそっと櫂へと近寄ると眠っているのに表情は若干の苦しさを感じているようで眉間に皺が寄っていた。
そんな表情に小さく笑いながら千影は櫂の髪を掻きあげて額に手を当てる。熱い。
当てた手の冷たさに瞼が震えて緑色の瞳がこちらをぼんやりと見つめる。
「…千影、か」
「ん。熱いね。何度?」
「38.1…」
「薬は飲んだ?」
千影の問いかけに櫂は弱弱しく首を横に振る。
思った以上に弱っているらしい様子に千影は安心させるように額に当てていた手で優しく頭を撫でる。
普段であればこんな風に撫でることも撫でられることもない。
その手に安堵したのが再び櫂の瞼が降ろされた。
空いている手で鞄を手繰り寄せると、中に入っていた冷却用シートを取り出す。
一瞬だけ撫でていた手を離して、前髪を掻きあげてやりながら張り付けると櫂も驚いたのかびくりと身体を強張らせてうっすらこちらを見ていた。
「食べれそうなもの作るね。そのあと薬のもーね?」
子供に言い聞かせるように優しく千影が微笑むと櫂は少し安堵したように頷く。
そうと決まればてきぱきとすすめなくては。
千影は台所へと立つと手早く作り始めた。
櫂の家で過ごすのは付き合い始めてから多くなった、だからこの家にないものも、あるものも最近わかるようになってそれがささやかだが嬉しいと思えるのは櫂には内緒だったりする。
そんな風に思いながら、たまごがゆを作りあげると小さな皿に移すと小さいおぼんにお皿とスプーン。
そして、買ってきた薬とコップに水を注いでからベッドのすぐ傍へと降ろした。
「かーい、起きれる?」
間延びした声で千影が呼ぶと、櫂がしんどそうに瞼を持ち上げて頷くと体を起こした。
おぼんを膝にのせて千影はスプーンを手に取ると、おかゆを一掬い。ふー、ふーと息を吹きかけてある程度冷まさせた所で櫂の口元へと差し出す。
千影の行動に櫂は一瞬戸惑った様子を見せながらも渋々と言った感じで口を開けたので千影は少し愉快にも感じながら口へとスプーンを差し入れて櫂の口が閉じるのを確認して静かに引き抜く。
ゆっくりと咀嚼する櫂を眺めながら千影は手元のおかゆを掬い、数度そのやり取りをすればおかゆはあっという間になくなった。
食欲がないわけではないことは安心できる点だなと、千影は皿をおぼんに戻すと薬と水を櫂に手渡せば口に放り込み水を飲み干す。
食事をしたせいか若干汗ばんでいるのが見える。
妙に色っぽいのは彼が元々格好いいからだろうか、それとも惚れてしまった弱みというやつなのかなぁと千影は櫂に見えないように視線を逸らして手早くおぼんを手に台所へと体を引っ込ませると片づけを始める。
「悪い…」
小さく呟かれた謝罪に千影は馬鹿だなぁ、と笑った。
熱を出したことも、彼の世話を見る事も何も謝ることなどないのに。
片づけを終えた千影は櫂の傍へと戻ると優しく頭を撫でた。
「いーの。今ここに私がいるのは私がそうしたっただけだし!
それに、櫂が私を頼ってくれる事が嬉しいんだよ」
「…っ」
少し大人っぽく微笑むと櫂は驚きに目を見開いかと思えば恥ずかし気に顔を逸らした。
こういう所は年相応に見えるのが可愛らしさを感じずにはいれない。
「ほら、寝てて。
さっさと治さないとキャピタルにだっていけないしね?」
諦めたように櫂は頷くと布団に潜り込み目を瞑る。
立とうとして気づいた。握っていた手が強く強く握られているのを。
「いくな」
「いかないよ。櫂の傍にいる」
不安に揺れる櫂に向き合って千影は笑顔を作って安心させるように言葉を返す。
普段、あまり口にしないであろう彼の縋るような様に千影はごめんねと心の中で呟く。
彼を思って突き放そうとしたことは数知れない、あげくの果てには彼の為だと言いながら自分の存在を無かった事にした。
それはあまりにも、身勝手な押し付けだったと今では理解できる。
気持ちに向き合わず、気持ちを向き合う前に己を犠牲に選んだ事は櫂の想いを、心を深く傷つけた。
だからそれを償うと言うには身勝手だが彼の気持ちが離れるまでは寄り添いたいと思うのだ。
千影は自分から指を絡めるよう握りなおすとベッドの傍へと腰かける。
「今日はずっと一緒だから」
諭すように声をかけると櫂はゆるやかに眠りへと落ちていく。
それを眺めながら千影もまたうつらうつらとし始めている。
最後に櫂の指に口付けを落として千影の意識もまたシーツへと沈んでいった。
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