Residue

それはたまたま見つけたものだった。一人暮らしを始めた時に何故か紛れ込んでいたらしい藍色のネクタイ。それは学生時代に身に着けていた制服の一部だった。
懐かしいと手に取り触ってみると、やはり少し色褪せて布地もくたびれてしまっている。
もう使うこともないしなぁ、と捨ててしまおうと思った瞬間…ふと、思い浮かんだのは自分を慕ってくれる一人の少年のことだった。
そういえば、櫂も同じ学校に通っていた。つまり後輩にあたる。
手元のネクタイを弄びながら、千影は思いつきをそのまま実行してみようとネクタイを鞄へとしまい込んだ。

「かーい」
「?」

間の抜けた呼び方をする千影になんだといいたげに櫂が視線を向けた。
何やら手招く千影に近づくと、「ちょっとかがんで?」と言われて少し屈んでやればしゅるりと音を立ててワイシャツの上から何かが通る音がした。

「じゃーん!私のおさがり!」

そういって笑う彼女に櫂は一瞬硬直した。
自分の首元に視線を向ければ、藍色のネクタイが二つ。
いつも自分が身に着けているものと、もう一つは多少色褪せているように見えた。
目の前の彼女がかつて自分の同じ学校に通っていたと言う話は聞いていた事を思い出す。
それらを全てと彼女の言葉でようやく、それはかつて彼女が使用してたものだと理解すればこみ上げてくる感情が櫂の表情をいくらか柔らかくさせた。

「あ、でもやっぱり少し色褪せちゃってるし、いらないなら持って帰るよ?」
「…いや、もらう」

様子を伺う千影に、櫂は首を横に振り拒んだ。
彼女が自分にくれたものだ。彼女本人から言われた所で返す気などない。
何より彼女がつけていたものを自分が身に付けていいのだと許されていることに思わず口元が緩んだ。
櫂は代わりに自分が普段付けていたネクタイを外すと、千影の手に差し出す。

「…変わりに俺のを持っていろ」
「え、いいよ。もしかしてそれなくしちゃうかもでしょ?」
「失くさない。必ず。」

千影の言葉に櫂は自信に満ちた表情で答えた。
失くすわけがない。誰が失くすものか。

「…いいよ。私も、失くさないから」

差し出された櫂のネクタイをそっと受け取ると千影はこくりと頷いて笑った。
それは彼女が消えてしまう前の記憶。

「あれ、櫂。お前のネクタイってそんなに色褪せてたっけか?」

三和の何気ない一言に櫂は当然の様に身に着けていた制服のネクタイに視線を落とした。
たしかに三和の言う通り、他の生徒がつけているより色が褪せている。
…まるで、誰かが使い込んだあとのように。何とも言い難い違和感に櫂は眉を顰めていた。
何か悪い事でも聞いたのかと三和は頬を掻いて苦笑いをして櫂を見ていたが、口を開く。

「気になるなら、それやめてあたらしーの買えばいいんじゃね?」
「…いや。…これでいい」

三和の言葉に櫂は首を振り拒否をする。違和感は拭えない。
だが、今付けているこのネクタイも手放してはいけない気がして。

「ってか、櫂それ誰からもらったんだよ。もしかして誰か先輩に知り合いでもいたのか?」
「そうみえるか?」

三和の言葉に質問を櫂が返せば三和は肩を竦める。

「…みえねぇわ。俺がしらねーってんだから誰だからもらったんだよ櫂〜」
「…さあな」

知らない。誰かにもらった覚えなど櫂の記憶にはなかった。
それでも自室にもう、一本あるだろう入学当時から使っていたネクタイを使う気にはならない。
その違和感の正体を探ることなく、櫂は今日もメイトである先導アイチを求め手がかりを探し続ける。
――――――かつて愛した彼女を思い出せないまま。



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