アナザーフェイバリット

あまり慣れない他人の部屋の中、掃除をしているとスマートフォンの振動した。
画面を見てみれば今一番聞きたい声の名前に千影は慌てて通話にスライドさせて耳に当てた。

「…千影か」
「はーい。千影さんですよー。どうしたの?」

聞きなれた声に胸を満たす気持ちにできるだけ平静を装って返事をする。
チーム新日本のメンバーを連れた櫂トシキが日本を離れて数週間立つ。
千影はディフライドしている鬼丸カズミ、もといシラヌイに狙われている可能性を示唆され、日本で生活していた。

「もうすぐそちらへ戻る」
「ん?そっちは空振りだったの?」
「ああ。星崎ノアは日本に戻っているらしい。異変はないか?」
「今の所はなーんにも。」
「シラヌイからの接触も、か?」
「うん。最初に会った日以降は今の所何もないよ。それにみんな私の事守ってくれてるから」

伊吹を初め、高校生メンバーも含めていつものメンバーは何かと千影を一人で行動させないようにと気にかけてくれている。
申し訳ないとは思いながらも櫂がいない自分が、己の身を一人で守り切れる強さもないことは重々承知なのでありがたく甘えさせてもらっていた。

「…今は戸倉の所か?」
「ん、あー。ミサキとシンさんがちょっと野暮用でいないからいぶっきーの家に」
「待て、聞いてないぞ」

本人はあまり呼ばれたくないらしいレンの使っていたあだ名を上げてみれば、櫂は少し慌てたような声音で返事を帰してきた。
伊吹の家に住まわせてもらって数日が経つ。伊吹も支部の仕事が忙しくて忘れてしまったのかもしれないなぁと小さく苦笑する。

「あれ、伊吹から言っておくって言ってたから私てっきり知ってるものだと」
「アイツ…」
「まあ、伊吹もあんまり帰ってこないから使ってくれって言われてさ。
 クロノくん達もちょいちょい来てくれてるから櫂が心配するようなことはないよ?」

実際、千影がきてから初日以外伊吹の姿を見てはいない。おそらく伊吹も櫂と千影に気遣っているのだろうなぁと申し訳ない気持ちになりながらお世話になっている。
今度、お礼に差し入れでも何か持っていてあげるべきかもしれない。
かといって一人にしておくわけにもいかないと理解しているらしく、日ごとにクロノ達が千影の相手をしに来てくれているので実はすごく救われていたりする。

「…早めに帰る」

千影の状況を理解した櫂は、決意したようにそう呟いた。

「うん、待ってる。あ、そうだ。八月末には一緒にいれそう?」
「?ああ、そのつもりだが」
「よっし!トシキの誕生日は一緒がいいって思ってたからよかった」

八月末といえば欠かせないイベント。櫂トシキの誕生日があるのだ。
付き合ってからできるだけその日だけは外さないようにと千影は努力していたりする。
まさか数年越しにこんなことになるとは思わなかったが。
小さく電話の前でガッツポーズをしていると櫂がフッと笑った声が聞こえた。

「必ず、それまでには戻る」
「うん、待ってる。でも無理しないでね」
「ああ」

千影の言葉に櫂は決意を更に固めたようで千影は笑みを浮かべながら頷く。
櫂の電話の奥から「櫂さーん」と呼ぶ声が聞こえた。おそらくチーム新日本の子達だろう。
千影も櫂も時間を忘れる様に会話をしてしまっていた。会えない分尚更。

「呼ばれてるみたい?」
「すまない、切るぞ」
「トシキ。…大好き」
「なっ」

切った瞬間、顔中に熱が集まってくる。千影はその場にずるずると座り込んで顔を膝に埋めた。
やってしまった。こんなことしたら絶対帰ってきた時に恥ずかしいのは自分なのに。
それでもちゃんと帰ってくる場所は自分の隣だと忘れないで欲しくて、思わずやってしまった。
もはや後の祭りだ。千影の左手の薬指にはきらりと光るシルバーリング。これが今の二人の関係を表している。
その手元にあるデッキから聞き覚えのあるユニット達の笑う声が聞こえた気がした



[戻る]