誓約グレーゾーン
眠りなさい。眠り続ければ、彼を彼が愛した世界と平和を守れるのだから。
そして己に封印をかけてまで世界と親友を守ろうとした少年の気持ちを守れるのだから。
だから、夢を、見続けていましょう。みなが幸せだと笑う夢を。
椅子で眠り続けるアイチとその椅子の手すりにもたれるように傍で眠り続ける千影をコーリンはただ悲し気に見つめる。
記憶を消したくないと心を重くしていた時期、まず自分の異変に気づいてくれたのは千影だった。
林間学校から逃げ出したコーリンは車内からたまたま帰宅途中の千影を見つけて声をかけた、そうだ彼女もリバースさせてしまえば心が少しは落ち着くかもしれないと自分勝手に思いながら。
声をかけられた千影は一瞬きょとんとした表情を見せたあと、ちょいちょいと手招きをした。ちょうどいい。
運転手に声をかけて車を降りた瞬間、千影に手を引かれる。呆然としながら公園へと辿り着く。
「ちょっと、私これから仕事が…」
「んん?でも時間ちょっとぐらいあるでしょ?仕事多くて疲れてるみたいだからちょっと私の胸で休みましょってね」
「ちょ、ちょっと!」
強引に頭を胸元へと引き寄せられて驚きのあまり抗議の声をあげたが、ぽんぽんと頭を撫でてくれた彼女の手が暖かく優しくてこみ上げてくるものがいっぱいで涙が一筋零れた。
忘れたくなかった。立凪コーリンとして、仲間と共に積み上げた記憶も、アイチへの想いも何もかも。
それが涙が零れていくたびに思い起こされて涙が止まらなくなる。
「残念ながらこの体勢だとなーんにも見えないから、たとえコーリンが泣いていても私には見えないよ」
「っ…なに、よ、それっ」
「おねーさんの独り言だよ?コーリンの耳に届いててもなんの問題もない独り言」
「ばか、じゃ、ないの…っ」
いつのまにかファイトを申し込むことすらも忘れてコーリンは泣き続けていた。
何も言葉にはしなかったがそれでも千影は何も言わず胸を貸してくれるその姿は確実に自分よりも年上なのだと艦居させる。
ほんの数十分の出来事だったがそれだけで、少しだけ救われた気持ちになったのは確かだ。
「目、腫れちゃったね。仕事大丈夫?」
「…平気よ。これぐらい。化粧で隠すわ」
ぬらしたハンカチをコーリンの目元にあてながら心配する千影に、コーリンは先ほどの号泣から一転、平常心を取り戻している。
何も聞かない優しさを持っているのが千影と言う女だった。すでにリバースしているこの身が優しくしてもらえる立場ではないと言うのに。
「コーリン、帰りは?」
「迎えを呼ぶわ…そんなに時間はかからないとは思うけど」
「んじゃそれまで一緒にいる。流石にアイドル一人を置いていきたくないし、私が連れてきちゃった責任もあるからね〜」
そういって笑う千影を見てしまえばファイトを挑む気など到底起こるはずもなく、たわいもない話を迎えが来るまでしてしまった。
苦しむアイチの力に引き寄せられ、月の宮についたとき驚いた。
アイチと共にいる千影にも。それからすぐに共に封印をかけると聞いた時が衝撃を覚えずにはいられなかった。
それは世界から二人の存在を消してしまうと、それと同時に羨ましくも思った。
アイチとその運命を共にできる千影が。
どうして千影がその道を選んだのかは聞く時間はなかった。
しかし、コーリンから見れば彼女は櫂トシキを好いていたように思う。
その気持ちを表にはしていなかったようだが、おそらくミサキやコーリンないし、雀ヶ森レンや三和は感じ取っていただろう。
ただ櫂のことを千影に向けて口にするのは憚られた。
眠りへつく前、コーリンの頭を再び撫でてくれた彼女は心残りを感じさせない笑みを浮かべていたから。
「アイチを、お願い」
己ではなく、アイチをと言って彼女は眠りについた。
穏やかな寝顔にコーリンは胸が苦しくなる。
PSYクオリアも虚無もリンクジョーカーも何も関係なかった彼女がここまでしなくてはならなかった現実はあまりにも非情だ。
アイチのシードに宿るリンクジョーカーの力をほんの少しだけコーリンは負担を自分にかけることが許されているおかげでアイチの負担を減らしてはいるが昏々と眠り続ける千影の負担を分担することはできない。苦しみに目覚めるアイチと違いまったく彼女は目覚めることはない。それが無性に寂しさと悲しみを呼び起こさせるのだ。
いつか、くるのだろうか。彼女と彼が目覚めてしまう日が。むしろ心の何処かで望んでいるのかもしれない。
例え自分の記憶が消えてしまっても犠牲になってしまったアイチと千影が解放される事を。
二人は月の冷たい椅子で眠り続ける。眠りから目覚めぬことを祈りながら。
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