解放インストール
ぎり、と握った手に力が入る。
目に入ったのはアイチとレンの後ろに、彼女がいたからだ。
彼女が来るとは思わなかった。この危険な場所に、彼らが連れてくるとは予想はしていなかった。
だが、何より櫂にとって強さの壁に阻まれた二人の背にいることが腹立たしい。
まるで自分から守るようにそこにいる彼女が。
手に入れたくて手に入れたつもりで、でも手に入らなかった。
痕を残しても傷を残しても、彼女は自分の物にはならない。
許してもらえるとは思わない。どんな形であれ彼女の記憶に残ればいいと自暴自棄にもなり果てた最低な行為だったのだから。
「櫂くん!」
「…櫂」
二人が自分を呼ぶ声に目を細める。ただ一人自分の名前を呼ばない女に苛立ちが渦巻く。
呼んでほしかった。自分が必要だと言ってくれる女であってほしかった。
「どうして、千影がいる」
「…僕が連れてきました。櫂を見届けてもらうために」
自分の名を呼ばれたことに女はぴくりと眉を上げて反応を示した。
名前を呼ぶのはあの日、身体を強引に重ねた日以来だろうか。
櫂の言葉にレンが答えた。
「…千影、こい。」
「…今の櫂の元へはいけない。」
「何故だ?俺は今この場の誰よりも強い。レンやアイチよりも!」
アイチとレンの間から顔を覗かせる千影へと手を差し出した。
自分の手を掴んでほしい。自分だけを望んでほしい。…全てが終わった時、隣で自分の最後を見届けて欲しい。
だがその願望は初めて口を開いた彼女にたやすく砕かれ、思わず声を張り上げた。
拒絶が櫂の心をじわりと侵食して痛みへと変わる。
「何故?わからないんですか、櫂…その力では誰も守ることなどできない。
だからそんな君に千影さんを託すわけにはいかないんです」
「櫂くん!千影さんもみんなも誰もがそんな櫂くんを望んでない…。だから!」
「なら、証明してみせろ…!お前達が俺より強いと言うことを!」
レンとアイチが口にする言葉が理解できないわけでない。
それでも、もう止まれないのだ。賽は投げられてしまった。いや自分で投げてしまった。
終焉にその足を進めるしかもう自分にはできない。
千影へのその想いを振り切るように櫂は叫んだ。
−−−−−−−−−−−−−
アイチと共に屋上に上がってみれば高さがある分、強い風と共に赤い光を纏った黒いリングが近い。
立凪タクト。いやリンクジョーカーと櫂トシキその人がそこに待ち受けているのが見えた。
まずはレンと櫂が勝負を。そしてレンが敗北を記した。
そして櫂とではなく、アイチとタクトが勝負をすることになり千影はただそれを見る事しかできない。
「…ぬばたまを使う弱き女に用はない。先導アイチ。さあ、僕の力を見せてあげましょう」
冷たく放たれた言葉に千影は視線を返すだけだ。言葉を交わしても事実その通りだ。
千影は、強くはない。それでも見届けるだけの気持ちは兼ね備えたつもりでこの場にいる。
「レン、大丈夫?」
「…っ、はい。千影さんも、大丈夫みたいですね。アイチくんと櫂は?」
リンクジョーカーはタクトと共に消えたことによりすべてのリーバスファイターは自分を取り戻した。
だが櫂トシキ、その一人はリンクジョーカーの影響をまだ受け続けている。
「…まだ終わらないみたい」
「そう、ですか。この戦いに水を差すのは無粋ですね。先に引き上げましょうか…」
「…私はここで見届けたい。櫂とアイチを。」
「ふふ、千影さんもなんだかんだいって櫂の事好きなんですもんね?」
「…レンにはお見通しだね?」
「まあ。むしろ櫂自身がそれに気づいてないとは思ってませんでしたけどね〜」
周りから見ても櫂と千影の距離は近い。千影はそれに気づいていてもあえて口にしなかったが。
もしそれが恋愛感情ではなくて年上に対する憧れにも似た感情だった時それを間違った方向に向かせてしまいたくない。
櫂自身で気づいた時、思春期の少年として悩むべき感情だと思っていたのだ。
まさかリンクジョーカーと言う力によって段階を飛ばして千影自身を手に入れようとするとは思わなかったけれど。
「櫂は間違ったかもしれない。でもちゃんとその想いを見せたんですから、千影さんももう逃げないですよね?」
剣呑な雰囲気と共にその紅い瞳が千影を射抜く。
この瞳は怖い。だけど、今は引くことはできない。きゅ、と自分の心臓の上を抑える。大丈夫、逃げ出さない。
「逃げない。櫂の気持ちにはちゃんと、答えるよ。これが、全部終わったら」
「ならいーです。もしここであやふやなこといったら引きずってでも一緒に降りてもらうつもりでしたけど」
「…こわっ。君ら友達への想い強すぎだからね?!」
レンの空気がやわらいだことに千影は安堵すると思わずいつものノリで突っ込んだ。
アイチ、櫂、レン。この三人の絆はあらゆる意味で強い。互いを思いやるその気持ちの強さを今まで幾度も千影は目にしてきた。
「じゃあ、僕は一足先に退却しまーす。あ、千影さん。本当に今この建物危ないので危険だと思ったらすぐ降りてきてください。最悪僕たちが受け止める準備しておきますよ」
そういってひらりと手を振るとレンは階段を駆け下りていく。
相変わらず飄々としている癖に抜け目のない少年だと千影はその背を見送った。
言葉を交わしていたアイチと櫂は再びファイトをするために向かい合っている。
降り注ぐ黒い欠片を慎重に避けながら、アイチの後ろに辿り着くと願いを託すために千影は声をかけた。
「アイチ!私は櫂の先導者にはなれない。ごめんね。だから、お願い。」
「千影さん……はい!」
彼を先導していくことは自分にはできないと千影自身一番理解している。
ライバルになる強さもなく、彼を引き戻す力もない。ただの、ただの人間だから。
痛いほどに実感した。櫂トシキを助け出すことができない自分を。
力強く頷いたアイチは、櫂へと向き直る。
「「スタンドアップ!(THE)ヴァンガード!!」」
これが最後の戦い。見届けなくてはいけない戦い。
櫂トシキを取り戻すために。
「櫂くん、消えちゃだめだ!僕はそんなの認めない!」
「もう決めたことだ。それしか、方法はない」
淡々と告げる櫂にアイチが必死に反論するが、その声を拒絶する様子を見て千影は声をかけることはできなかった。
でも、大丈夫だと何処かで確信していた。アイチが櫂を正すのだと。
だから千影は見守るだけでいいのだ。アイチの言葉で揺らがないほど、櫂の信念は強くないと千影は知っている。
後悔をし続け、自分を消すことで償おうとする彼をだからこそ咎める事などできない。
「君の傍には、僕や、千影さん、僕達がいる!いつだって君を想っている人はここにいるんだ!」
「っ!」
自分の名前を呼ばれて思考から戻せば、櫂は穏やかな表情に変わっていくのが見える。
彼は孤独だと思い込みすぎていたのだ。周りから見ればいつだって、櫂の傍には仲間達が溢れていたのをみんなは知っている。
いつもの緑色の瞳がアイチを、千影を映す。もう大丈夫。
「櫂」
「千影…」
できるだけ優しい声音を発して呼べばそれは櫂が驚いた表情をして視線を交える。
怒ってなどいない、あの事を後悔しているのは櫂だとしても受け入れたのは千影自身の意思だから。
それは互いの想いが多少なりとも同じものであると気づいているだろうか。
だがその気持ちを伝えるのはこのファイトが終わってからだ。再び二人がファイトへと戻る。
千影自身もあとはファイトを見届けなければ。
アイチの最後のアタックにより櫂のダメージは六点。ユニットたちが光の粒子になり消えていく。
自分を助けて続けてくれたユニットたちもクレイへと還るのだろう。
その淡い光を見ていれば櫂が困ったような表情でこちらを見ていた。アイチが「櫂君」と櫂の背を押す。
「おかえりなさい、櫂」
「―――――っ、ああ。………すまなかった」
嬉しい気持ちを込めて、笑顔と両腕を広げるとおずおずと手を伸ばしてきたかとおもえばきつく抱き寄せられた。
ぽんぽんとその背を叩いてやれば謝罪を素直に口にする櫂の言葉に千影は小さく首を横に振る。
彼は少年だった。強さを追い求め続けて、愛するものを縋り、自分を孤独だと勘違いしただけの。
それがたまたまリンクジョーカーという力が加わり彼を暴走させただけだ。
「…アイチが、みんなが、待ってる。いこう」
「そう、だな」
櫂の腕から解放されると、アイチが少し気恥ずかしそうに頬を染めながら横目でちらりと様子を伺っていた。
思春期真っ只中の少年にはあまりにも刺激的だったらしい。むしろ櫂がそういったことをしていたのが意外だったのかもしれない。
その様子に思わずくすりと千影は笑みを零すと櫂が何かあったかといった表情で千影とアイチを交互に視線を映す。
「ほら、アイチ。」
「…はい。いこう、櫂くん、千影さん!」
ビルを駆け下りると、上から落ちてきたリングの輪がさらに崩壊し砂埃を巻き上げていた。
その中をアイチが先導し櫂と千影が続く。
煙が晴れた頃にはいつものメンバーと見知った顔たちがそこにはいる。
戸惑う表情のものもいれば、安堵した表情を見せるものも。
仲間を前にして進めない櫂の腕をアイチが引き、千影がその背を押して物語は平和へと還るのだ。
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