あの日、謙也さんはコートに帰ってこなかった。試合は終わり、先輩たちが戦ってきた二年半と少しも同時に終わった。謙也さんはもうどうがんばったって勝つことも負けることもできなくなった。いつもやっている軽い練習の勝ち負けとはまるっきり違う、中学時代においておそらく最も大きな勝ち負けのどちらも、謙也さんは味わわずにすべてを終えてしまった。そんな話聞いたことがない。先輩とは最後においしいところを持っていくために存在しているようなもののはずだ。謙也さんが自分のことでいっぱいいっぱいだったのは分からないでもない、でも、他人の気持ちも小指の先ほどは考えてほしかった。千歳先輩はどうだか知らないが、俺はこれでもずいぶんへこんだのに。

そうめんを置いて真面目な顔で笑った部長が「みんな、お疲れさん」と言った時は咄嗟に反応できなかった。どんな顔になったかなんて思い出したくもない。部長の隣で「ほんまにお疲れさんやったなあ」とへらへらする小春さんにも、「元気出せ財前」と肩を叩いてくる謙也さんにも返事ができなかった。その時の先輩たちの気持ちを思いやれるほど大層な人間にはなれていないと思ったし、謝るのも違う気がするし、この日ばかりは誰のことも冗談でも非難したくはなかった。あの日、いつも以上に無言になった俺のそうめんの中に一本だけピンク色が入っていたことを未だに覚えている。






桜の開花宣言が出されたと嬉しそうに言う昼のニュースを穴が開くほど見つめながら、俺は何も見ていなかった。目を開けて寝ているのと似た感覚になっている。隣では謙也さんが鼻歌を歌いながら足の爪を切っていた。

「光、なんやボーッとして」
「…俺がボーッとするくらいやから、やっぱそろそろ春なんスね」
「はは、春眠暁を覚えずやなあ」

使い方が違う、はずだ。ちゃんとした意味を知ってはいないがたぶん違う。だがわざわざそれを伝えるのも億劫で、俺は適当に返事をしてテレビを消した。

「なあ光、まだ予定は未定やねんけど、高校んなったらしばらく家に呼べんようになるかもしれん」
「ああ、…はい、分かってます」
「もうちょい寂しそうにせえや」
「なんで寂しくならなあかんのですか」

かわいくないなあ、と言いながらパチンパチンと爪を切る謙也さんはもうすぐ高校生だ。俺は部長なんてけったいな役回りをおおげさに継がされて、晴れて中学三年生になる。不安がないと言えば、嘘だ。

「謙也さん」
「んー?」
「去年の話なんスけど」
「おー」
「…最後、なんで千歳先輩に譲ったんスか」
「ははっ、今、その話か」

苦笑する声が耳に入ってくる。その顔も視界の端に入ってくる。でも目を合わせられなかった。いつか聞こうと思って先延ばしにしていたこの質問を今しなかったら、春になって謙也さんと離れたら忘れてしまう気がして言ったのに、黙っていればよかったと後悔の念が全身を駆け巡った。

「あのときも言うたやろ、千歳のが強かったっちゅー話や」
「…」
「お前のこと裏切るような真似したのは本当にすまんと思ってる」
「それは何遍も聞きました」
「うん、せやろ」

本当は聞かなくても分かっていた。謙也さんは自分のことだけ考えるのが下手な人だ。そうやって他人のことばかり考えている謙也さんの横顔を盗み見ては嬉しくなったり憤ったり、無駄に神経をすり減らすのは他でもない、この俺だ。

「…なんか、すんませんした」
「なんで光が謝らなあかんねん」
「謙也さん、」
「ん?」

言おうと思った台詞は口を開いても言葉にならず、何も言いたくなかったあの日みたいに黙った俺を、許してほしいとは思わない。溶けた日曜日の午後、仕方なくあの日の憂鬱を連れて帰ることにした。








title by へそ
(色が付いている部分をお借りしました)


20120710・加筆修正







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