マフラーが面倒になったのがおとといの朝で、部活の後に上着が暑いと思って結局部室に置いて帰ったのが昨日。セーターぐらいしかまともに着れていない俺はさすがに寒くて、仕方なく学校まで走ることにした。今日は珍しく遅刻の心配をしなくていいのに、やっぱりいつも通り走っている俺を先輩たちは笑うと思う。早く部室に行って上着を回収しようと思った。

部室に入って床に脱ぎ捨てられているブレザーに袖を通すと、外から誰かの足音が聞こえて俺は無意識に耳を澄ませた。今日は早いっスね、なんて言うつもりで鞄を置いたままその誰かを待つ。でも部室に入ってきたのは最近レギュラー入りした後輩で、俺がいるなんてたぶん全然考えていなかったそいつはびっくりして鍵を取り落とした。俺はちっとも楽しくなんかないのになぜか笑って鍵を拾ってやって、おはようございますと後ろから聞こえる挨拶に生返事をして外に出た。

先輩がこんな時間に来るはずがなかった。いや、仮に今が放課後だったとしても先輩はもうここに来ない。今日は卒業式なんだし。
例えばこれから先輩がここに来てくれたとしてもそれはテニス部のOBとして後輩の指導のために来るのであって、俺と一緒に全国連覇を目指すためじゃない。たった数ヵ月前までそれは普通の日常だったのに、今は夢よりも理想よりも手の届かないただの過去になってしまった。寂しかった。こんなこと誰にも言えなかったけど、俺は寂しくて不安でしょうがなかった。あの時俺がもっとしっかりしていればもっと悔いの残らない決勝ができて、こんなもやもやした気持ちになることもなかったんじゃないかと、気づけば考えてばかりいる。考えたってしょうがない、分かっているのに、俺だけが悪かったわけじゃない、全部分かっているのに、悔しくて忘れられなかった。だからって青学を恨むのは違うしもちろん先輩を恨むつもりもこれっぽっちもない。俺は、自分でもどうしたらいいのか分からない。

でも新しい部長は俺に決まっているし先輩はみんな卒業する。俺にとって部長なんて、たった一人しかいないのに。俺はまだ、誰も倒していないのに。





「赤也?」

副部長が部室の入り口に立っていた。卒業式が終わってすぐ、俺はざわざわした雰囲気の中にいるのに耐えられず誰もいないところをさがして歩きまわったあと部室にたどり着いていた。いや、それは俺の言い訳かもしれない。俺が今一番行きたい場所が部室だった、それだけなんだろうと、思う。こんなところまで来ても聞こえてくるざわざわにうんざりしていたところだった。きゃあきゃあ言いやがって。

「副部長…あ、こ、こんにちは」

こんなとこで何を、と言いかけて口をつぐんだ。副部長も同じことを言ったからだ。右手に握られている卒業証書の筒がよく似合っていた。

「俺は、その、何か忘れた物がないかどうかだな」
「あー…それなら先週、柳さんが確認しにきましたけど」
「…そ、そうだったか」

しん、と静まる部室に遠くから騒ぐ声が聞こえてくる。先輩、先輩、と誰かが叫んでいた。

「お前はどうした、赤也」
「あ、俺は、」
「泣いたのか?」
「な、何言ってんスか!」
「不安か」
「…」

ここで全部話すなんてできない。こんな、副部長にまで見透かされるような俺の不安をいまさら隠したってなんにもならないのかもしれないけれど口に出したら余計にはっきりしてしまいそうで、言えない。もう心配をかけてることだって分かっているのに、やっぱり心配させたくないと思って声を出さない俺は人形みたいにつっ立ったまま副部長の右手を見つめている。

「…すいません、まだ実感がわかないっつーか」
「そうだろうな」
「俺、結局副部長のこと倒してないし、部長も、柳さんも、先輩たちはみんな俺を…」
「なんだ」
「…や、なんでもないっス」
「言ってみろ」
「…」

先輩たちはみんな俺を置いていく。俺だけがいつも一人だ。都合よく後は任せたとか言って卒業していく。寂しい…と続けるつもりだったが踏みとどまった。言いすぎだ。このままじゃ泣きそうだ。泣きながら全部言ってしまいそうだ。やっとの思いで抑えると、息が詰まった。

「俺、今年こそ優勝してみせますから」
「…赤也」
「アンタら、高校でも覚えといてくださいよ」
「やめろ、赤也」
「…」
「嘘は言うな」

いつもみたいに説教臭い副部長の言葉のせいで、ついに俺は壁に寄りかかって座りこんで溢れる涙も拭かずに小さくしゃくりあげた。嘘じゃない、と言って洟をすすった俺の前に膝をついた副部長は「それでいい」と言って俺の前髪をぐしゃぐしゃにした。





心の一番柔らかい所にあなたの声が届くなんて思いもしなかった


title by 彗星







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