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一般的なレストランではあるが、二人はそれなりに値のあるステーキ屋に入った。
肉が食いたいという銀時の要望があったからだ。
ターミナルのレストランだけに高層階に位置された店の窓から見える夜景は、それは見事である。
眼下に広がる溢れる光。
一粒一粒が輝くそれは地平線にまで広がっている。
落ち着いた内装は黒と茶色を基調とし、飾られた観葉植物やガラス細工が美しい。
食器が擦れる音を隠すように静かなジャズが流れ、ランプを彷彿させる間接照明が食事を楽しむ客を照らす。
(…なんでこんな所に入っちまったんだろう)
男二人で入るにはいささかムードがすぎるが、店内はそれなりに騒々しくそんな敷居の高い店ではなかったので入りやすかったのだ。
しかし入ってみれば想像以上に無駄に雰囲気を作っていた。
さすがにここでは銀時もファミレスの時のような品のない頼み方をしない。
目の前でサーロインステーキを一皿だけ食べている。
(単価は高ぇが逆に安くすんだのは良かったが…いや、問題は金じゃねぇ、金はいい、そこじゃなくて)
土方は窓へ視線を移す。
窓の外に広がる夜景にではなく、窓に映る銀時の横顔に、だ。
(っ、やっぱり5割り増しでかっこよく見える!)
大体この照明と店の装飾がいけない。
偶然会う飲み屋は小汚なくてムードもへったくれもないし、ファミレスだって右にしかりだ。
それなのに。
ただでさえいつまでも慣れない状況に緊張しどおしだったのに、ここにきて高鳴っていた心臓は暴れ馬のように動き始めた。
頭の中では心臓音が響き、シルバーを握る手の中は汗でぐっちょりと濡れている。
昼もろくに食べておらず、腹も減っているはずなのに食の進みも遅い。
緊張で手元が狂いそうになる。
(ああ…くそ…)
ガラスに映る銀時を見る目がせつなげに歪んだ。
「そんなに見ないでよ」
と、不意打ちに銀時が言う。
心臓がドキリとしてひきつった。
「銀さん照れちゃう」
「っ」
手元はそのまま動かす銀時の灰青色の目と、ガラス越しに交錯する。
手に力がこもり、土方は言葉もなく視線をそらした。
目なんて、一度も合わなかったのに。
それどころかこちらの様子をうかがう気配さえなかった。
見ていることがバレないように直接見るような真似をしないでおいたのに。
なぜ見ていることがバレてしまったのだろうと、焦りが込み上げる。
(し、し、しまった)
そんなにあからさまに見てしまっていただろうか。
土方は動揺を隠すようにステーキをせわしなく口へと運ぶ。
小さな口はいっぱいになり、膨らんだ頬が愛らしい。なんて、当の本人は気づきもしていないわけだが。
(落ち着け、落ち着け。ただ単に見てただけじゃねぇか。それに、言うほど見れてねぇし…)
言えない言い訳を並び立てるが、それすら己をあやすには足りないらしく、緊張は解けない。
「なぁ、いつ帰んの」
そんな土方に緊張の欠片もないのんびりした声がかかる。
いつなんて、そんなもの考えていない。
回らない頭を、土方は懸命に回転させた。
(えっと、あー、いつ?いつってお前そんなの…)
お前と別れたらすぐ
(男に戻るんだから)
後しょうみ三時間くらいしか『この女』はここにはいない。
あと少し。
あと少しだけの時間。
土方は懐に手を入れてメモ帳を探った。
先に携帯電話が指先に触れてそれをテーブルの上に置く。
再び懐を探ってやっと目的のものを掴んだ。
『明日戻ります』
「明日?今日の朝こっちに着いたんだろ。いくらなんでも早くねぇか?」
『向こうに仕事も残していますし』
「あー…そっか。ならさ、帰るまでまた俺が相手してやるよ」
「………」
「これが仕事なんていい話じゃねぇか、長期に滞在すんならもう何日か時間作ろうと思ってたんだけどよ、明日帰るんならさ」
(えっと…)
こいつは一体何を言っているんだろうか。
土方の思考も、手も、理解にとまどいピタリと止まった。
(つまり、これは)
「な、どう?」
もう一度、会いたいということだろうか。
(こ、いつ、まさか、俺のことけっこう気に入って…!)
その考えが過った瞬間、体の熱がカッと上がった。
もしそうだとしたら、嬉しい。
1日一緒にいて、それでもまたもう一回会いたいと思ってくれたことが嬉しい。
いやでも早とちりはいけない。
単に金目的なだけに決まっていると土方は自分に言い聞かせ、込み上がる感情を必死に押さえつけた。
大体明日は普通に仕事だ。
女装なんてしている暇はない。
「なんなら護衛がてらに駅まで送って行くし」
(…会いたい)
俺も会いたい。
明日も会いたい。
でもそれが不可能に等しいことは、自分が一番わかっている。
今日のタイムリミットまでが限界だ。
土方の口許にせつなげな笑みが浮かんだ。
長い指がペンを操りメモ帳にいらえを綴る。
『ありがとうございます。ですが、明日は近藤さんや総悟くんと時間を共にしますので』
どんなに願っても、今日これっきりの関係なのだから。
文字を追った銀時がふぅんと漏らす。
「……土方くんは?」
「?」
「沖田くんの口振りだと、土方くんが一番いさみさんと仲がいいみたいだったけど」
なるほど、言われてみればそうだ。
自分の名前など忘れていたが、正体がバレるのが怖くて無意識に『土方』の像を思いださせないように避けていた。
だが同じ武州の出というのに名前をださないのは不自然だった。
しかし彼は仕事だからと書くより先に、
「土方くんとはどういう関係?」
銀時が先を続けた。
「なんでも知ってるなんてただの友達じゃねぇだろ。俺も野次馬みたいな真似が好きなわけじゃねぇけどよ、もしかしてって思ってたんだけど」
「?」
「土方くんといさみさんてさ…」
「――――――」
瞬間、土方の背筋に冷たいものが走り、表情が強ばった。
まさかの事態が頭を過る。
そんなそぶりまったく見せていなかったのに。
(あ、あ…嘘だろ…)
銀時はまっすぐ土方を見つめ、視線を動かさない。
まるで、何かを確かめるように。
もしかしてと思っていたと言うその先が、土方には1つしか思い付かない。
―――バレた。
自分が、男だと、土方十四郎だと。
「――――っ、」
土方は何かを言おうと口を開けたが、本当に声を失ってしまったかのようにそこからは何もでてこなかった。
土方が声を取り戻すよりも先に、銀時の口が動く。
「……恋人?」
(―――――は?)
「付き合ってんの?」
あまりにすっとんきょうな答えに土方は一気に脱力した。
(恋人?え、え、なんでそうなるんだ)
「いさみさん?」
(わけがわからねぇが、いや、そうか、バレたわけじゃねぇのか)
頭を垂れてがっくりと安堵する土方に銀時がおーいと声をかける。
しかし土方が返すのは安堵のため息ばかり。
(なんだ、そっか、あーよかったバレてなくて。驚かせるなよな糞。しかしこいつもなぁ…)
「な、なんだよ…」
不意に顔をあげてじっと見てくる土方に銀時がたじろぐ。
それはなんとも、土方にはいつになく間抜けな姿に見えた。
(1日中いてわからねぇとは、こいつも大概バカだな)
無意識に、くっくと喉を鳴らして笑う。
バカな勘違いをして張り詰めていたものから解放され、土方の顔には綻ぶような笑顔が浮かぶ。
控えめで、微笑む程度のものであったが、それは土方の心からの笑顔だった。
(俺もなんでこんな奴好きになっちまったんだろう)
こんな、間抜けな奴。
「――いさみさん」
『なんですか』
笑いながらも、土方は今度はちゃんとペンを走らせた。
「土方くんとは、付き合ってないんだよな」
『ないない』
「特に仲良かったとか」
『別にそういうわけでも』
「土方くんは、彼女いねぇんだろ」
『いないです』
「いさみさんにも、いないんだろ」
『はい』
「……心に決めてる奴は、いんの」
「………?」
それは一体どういう……聞こうとして顔をあげると、そこにはいつにない様子の銀時がいた。
いつから、そんな目でこちらを見ていたのだろう。
いつから、そんな顔をしていたのだろうか。
(万事屋?)
「あのさ、俺、一目惚れかもしれねぇんだけど」
この展開は、土方も全く予想していなかった。
「お前が、好きかもしれねぇ」
こんな失恋の仕方。
思いもしていなかった。
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