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夜が更ける時刻、私は家を抜け出す。目指すは家の近くにある裏山。そこで夜空を眺めるのが最近の日課であり、私の中だけで流行していた。親に見つかったら大目玉間違いなしだけど、ちゃんと皆が寝たことを確認してから行動をしているので何かヘマをしない限りきっと大丈夫だと考えて行動している。いつも決まって持って行く物は何かあった時用に連絡を取るための携帯電話と気休め程度の防犯ブザー、それから小さい水筒に淹れた温かいお茶と非常食という名のお菓子。双眼鏡は性能が良い物ではなく家にあった子供用のおもちゃだけど、何も使わずに夜空を眺めるより何倍も綺麗に見えるので重宝している。動きやすいようにいつも小さめの肩掛けカバンを使っているので双眼鏡は毎回首から下げている。走るとぶつかって痛いので必ず片手で双眼鏡を持ち、誰に急かされているわけでもないのに毎回走って裏山まで向かっていた。
今日も快晴のおかげで綺麗な夜空が広がっている。この場所は灯りが少ないせいもあって街中では絶対に見えないたくさんの星が見えるのだ。天体には全く詳しくないが夜空を眺めることができれば良い。それだけで、どうしてか心が洗われるような気がしてならなかった。



「苗字、隈ひどくね?」

ある日同じクラスの御幸にそう言われて私は下唇を軽く噛んだ。毎日毎日あんな時間に起きているのだから当然寝不足になり、隈ができるのは当然のことだった。自分で分かっていたことだからというのもあるが、好きな人に指摘されるとけっこうショックが大きい。裏山に行くのは毎日じゃなくて、週に何回と決めるべきだろうか、なんて考える。

「最近どの授業中も寝てるよな」
「え」
「好きな授業の時間も寝てただろ」
「なに、御幸って私のこと観察してるの?ストーカー?」
「人の目の前の席のくせして何馬鹿なこと言ってんの。なんならお前が苦手な授業中に苗字が寝てますって先生にチクってもいいんだぜ?」
「それはやめて」

こいつなら本当に先生にチクりかねない。そのこと自体は自業自得だけど、成績のことを考えたらやっぱり少しの間裏山に行くのは控えるべきだと思えてきた。

「何?寝不足?」
「うん、まぁ」
「眠れないとか?」
「そういうわけじゃないんだけどね」
「深夜に勉強してるとか?」
「テスト期間じゃあるまいし、そんな遅い時間までやらないよ」
「じゃあ何だよ?」

御幸のことだから「夜空を眺めに外に出かけてます」と正直に話したら馬鹿にされて終わる気がして言えなかった。引かれたりしないだろうかという不安もあった。何か適当に言えばいいのに上手く頭が回らず口を閉じてしまう。そのせいで御幸はニヤニヤと口元を緩めながら私を見てきた。

「人に言えないことでもしてんの?」
「そんなことないから!」
「へぇ?じゃあ言えよ。じゃないと次苗字が授業で寝てたら本当に先生に言うぜ」
「あーわかった!言うから、寝てても見逃して!」

無難な理由を言っておけば良かったのに何でそうすることができなかったのか。数秒前の自分を張り倒したい。直接御幸の目を見て話すのは恥ずかしさが勝ってできないので、視線は机に向けたまま理由を言うことにした。

「…お前何やってんだよ」

話し終えた後の御幸の呆れたような声に、「馬鹿にしたいならすれば」といかにも不機嫌だと言わんばかりに唇を尖らせる。

「馬鹿にするとかじゃなくてだな…」
「じゃあ何よ?」
「女の子がそんな時間に1人で出歩くもんじゃありません」
「は?」
「は?じゃない。もし何かあったらどうすんだよ」
「い、一応防犯ブサーは持ち歩いてます」
「ブサーだけじゃ役に立たないかもしれないだろ。もう少し危機感を持てよ」
「すみません…」
「誘拐とか、知らない男に襲われたらどうするんだよ。家族に悲しい思いをさせたいのか?」
「…ごめんなさい」

気づけば私は御幸に怒られていた。言われることがもっともすぎてひたすら謝るしかない。遠くで倉持が眉を寄せてこちらを見ているのがなんとなくわかる。

「なーんて、俺がこうやって苗字の親の代わりに怒っても、どうせまた家抜け出して裏山に行くんだろ?」
「…うん。でも毎日はやめるよ」
「それなら、次は今週の土曜日な」
「え?」
「部活終わったら家まで迎えに行くから場所教えて。あと俺の分の双眼鏡も用意しといて」

話の展開が飲み込めずに口を開けた状態で御幸を見上げれば、「土曜日だったら寝坊しても次の日は日曜日だから問題ないし、俺がいるなら1人より安全だろ?」と笑顔を向けられた。
……それはつまり、御幸と2人きりで出かけるということで。考えたら顔が勢いよく熱くなった。

「え、だ、ダメだって!」
「何で?」
「だって御幸、日曜日も部活あるでしょ?」
「俺のことは気にしない」
「気にするってば。御幸こそ何かあったら大変だよ」
「いいんだよ、俺がしたくてするんだし」

顔を赤くして慌てる私とは正反対に御幸は落ち着いていた。いつも通り余裕そうなあの表情で「もう決定したから忘れるなよ」と言われ、家に行く前に連絡するからという理由で連絡先を強制的に交換することになってしまった。まさかこんな形で好きな人の連絡先を入手することになるとは思ってもいなかった。喜びたいが、理由が微妙なので素直に喜ぶことができない。
何で御幸は一緒に裏山に行くことを申し出てくれたのだろうか。ただの気まぐれだろうとわかっているのに、自分に都合の良い方へと理由を考えて密かに期待してしまうのは相手が好きな人だからだろう。

「あ、俺以外の奴とは絶対に行くなよ」
「え?何言ってんのさ、このことは御幸以外に話すつもりないよ」
「それならいいけど」
「…どういうこと?」
「まぁまぁ、気にすんな」

首を傾げる私に御幸はまた笑う。気にすんなと言われても気になってしまうので、もう少し詳しく聞こうとしたがタイミングよく休み時間終了の鐘が鳴ってしまった。まぁいいかと私はそこで聞くのを諦め、次の授業の教科書を机の中から取り出すために前に向き直る。

「土曜日、晴れるといいな」

後ろから聞こえた声に振り返って笑いながら頷いた。
まだ1週間が始まったばかりだし、授業も眠くてたまらないけど土曜日のことを考えたら頑張れるような気がする。教室の壁に貼られたカレンダーを見て、早く土曜日になれと強く思った。