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PM22:43。空を見上げれば、まんまるいお月様が勉強で疲れた目に染みる。私大一般試験も先日ついに最終日を迎え、合格発表を残すのみとなったが、私はまだまだ気は抜けない。滑り止めの大学に合格最低点まであと少しのところで落ちてしまい、どこかの大学に合格が決まるまでは勉強を続けて、最悪の場合、後期試験に備えなければならない。このままどの大学生になれなかったら、どうしよう。そんな不安で押しつぶされそうな毎日を過ごしていた。

(………早く終わんないかなぁ)

受験生になってから、お肌はボロボロだし、あんまり寝てないからお昼ぐらいになるとぼーっとする、ご飯も塾で食べるから専らコンビニで買ったおにぎりやパンばかりだし、センター試験の結果もまずまず、滑り止めの大学にも落ちた、思い返すだけで何をやっても駄目な自分に心底、嫌気がさす。はぁ、と溜息をついて駅に向かおうとすると、偶然、塾から出て来た結城君と出会った。


「お疲れ、苗字」

「結城君!お疲れ様」


結城君と私は3年になってから学校のクラスも塾も同じ。初めこそ名門青道野球部の元主将という肩書きに怖い人なのかなぁ、とちょっと怯えていたが、推薦やAO入試でクラスメイトが次々と進路を決めていく中、結城君と私は一般入試組だったこともあり自然と話す機会も増え、今ではすっかり仲良しだ。


「苗字、そういえば試験はどうだったんだ?」

「手応えはあった、かな……」

「そうか、なら安心だな」

「ううん、ウソ、後で解答速報を見て自己採点したんだけど微妙で……」


自転車を押している結城君と、このあいだ受けた私の試験の話をしながら並んで駅まで歩く。私の友達はだいたい専門学校や指定校推薦で既に進路が決まっていて、こんなふうに受験の話をしても、やっぱりどこか他人事。だから同じ立場で親身になって相談にのってくれる結城君と一緒にいるのは心地良かった。


「でも可能性はあるだろう」

「そうだけど、あんまり自信ないや……」

「苗字なら大丈夫だ」

「で、でもね、合格点あるかないかギリギリで……」


自分で言っておいて、なんだが泣きそうになった。結城君を困らせないようにしなくちゃと、わざと明るく大袈裟に振る舞う。


「あはは、しかも私、滑り止めも落ちちゃったし本当ダメダメだよねー」

「苗字?」

「このまま、どこにも行けなかったら、どうしよう……」


今まで自分なりに頑張って来たつもりだった。友達と遊ぶのも、ご飯に行くのも、買い物も、やりたいことを全部ずーっと我慢してきた。なのに、なのに、こんなのあんまりだよ。


「これで本命の大学まで不合格だったら、みんな私のこと馬鹿にするだろうなぁ」

「……」

「お母さんとお父さんもガッカリするよね、塾とか模試とか出願にお金すっごい掛けてくれたのに」

「苗字……」

「ご、ごめんね結城君!こんな話しちゃって……」


最悪だ、こんな愚痴みたいなことを結城君に話してしまうなんて。
そんなオロオロしている私の少し前を歩く結城が自転車を止めて、サドルに跨った。そして、後ろの席をポンッと叩く。


「乗れ、駅まで送ろう」

「え、いいよ、受験太りしてるし重いよ私……」

「平気だ、野球部で鍛えていたからな」

「でも、」

「良いから、ほら、電車に間に合わなくなるぞ」

「う、うんっ」


結城君の意図が読めないまま、私も自転車に跨った。肩にでも掴まれ、と言う結城君のお言葉に甘えて遠慮がちに肩に手を置けば自転車はゆっくりと進み出した。時刻はPM23:02。


「苗字、その、さっきの話だが……」

「うん」

「苗字なら、きっと大丈夫だ
苗字は毎日とても努力していた」

「そんなこと……」

「クリスマスも塾で過ごす俺にチョコをくれた」

「う、ん?」

「自習室の暖房が暑過ぎると、塾長に言いに行ってくれたこともあったな」

「よく覚えてるね」

「苗字は自分だって辛いはずなのに、いつも周りを気遣って、励ましてくれた」

「結城君……」

「誰も、そんな苗字のことを馬鹿にしたり悪く言ったりはしない
親なら尚更だ、苗字が頑張っていたことは1番良く知ってるだろうから」

「……うん」

「それに、」

「……」

「俺は毎日、塾でピンッと姿勢を正して勉強している苗字の後ろ姿が好きだった そんな苗字を見て、俺も頑張ろうと思ったんだ」

「……っ」


結城君の背中に、泣いているのがバレないよう預けていた頭を上げれば、風を切って走る自転車はいつの間にかスピードを増していて、星が視界を流れていく。この2月の寒空みたいに冷えた心が結城君の言葉で溶けていくのを感じる。


「だから、あまり自分を責めるな これまで頑張って来た自分を信じてやれ」

「うん……、うん」

「苗字なら、大丈夫、大丈夫だ」


瞼の裏が涙の熱と星とで真っ白になってチカチカした。自転車は、さらに加速し、夜空を置き去りにして進んでいく。声にならない、ありがとうは、結城君にちゃんと聞こえていたんだろうか。駅はもうすぐそこだ。