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運命の赤い糸。それは誰もが小指からぶら下げていて、最初は無色透明ではあるがある日出会うべき人と出会い自然と絡まり色をつけ始め一つの糸となりやっと繋がる、そんな事を修学旅行時に街を散策していた時に街角にひっそり竚みただならぬ妖気を垂れ流していた占い師がそんな事を言っていた。
あの時訪れた神社の神に彼氏くださいなんて不躾な祈りを捧げ、そして御守りを買って身につけていた事も今では大海原に捨てたい過去である。
あまりにもご縁に恵まれない哀れな女を見兼ねた神様が大きなプレゼントを私に授けた。そう、念願の彼氏である。第一志望の会社には落ちたが恋にも落ちた。彼に落とされた。出会いやら馴れ初めなんぞは私の精神衛生に障害を来たす恐れがあるため割愛しておく。


「なあー。まだ怒ってんの」
「……」
「なー名前ちゃーん」

ホットカーペットの上でビール缶を片手に三角座りをしているダメ女こそ私である。アルコールのせいで紅潮した耳が暑くて堪らない。彼からの甘えた様な声で心臓が熱くて堪らない。だが私はこれ以上なく怒っているのだ。三角座りの膝小僧に顔を押し付けて心の中に籠城する。一也を困らせてやる。
隣に座っていた一也は面倒くささが全て詰まったようなため息をつくと、癒着してしまいそうなほど距離を縮めて来て肩を抱き寄せてきた。

「何回も言うけど俺が悪かったって。でもさーあればっかりはしょうがないだろー。俺だってホントはしたく無かったけどあの空気で嫌とは言えなかったんだって」
「……っ……」
「え?」
「イケメン野球選手だもんね、しょうがないよね。成宮くんみたいに普段から女絡みないし安心してたけどしょうがないよね。可愛いもんね、あの人」

事の顛末を一から十まで包み隠さず全ての憎悪の念を込めて説明しよう。まず最初に言っておくと、彼は、御幸一也はプロ野球選手である。成宮鳴もまた同じくプロ野球選手だ。成宮くんはよくテレビにも出演していたりするが、一也はあまりそういった事に興味がないらしい。だが、不可抗力ながらも一つの番組がカメラを持ってアポなしでアップ中の彼の元を訪れた。一人の人気女性タレントを連れて。彼女が番組で頑張ったご褒美として彼女のお願いを番組が聞くという生き神様のような素敵な話だったらしい。彼女は照れくさそうにカメラに向かって「御幸選手に抱きしめてもらいたい」と言った。球団側には既にその話を持ちかけていたらしいが、一也自身にもドッキリの様な演出にしたかったらしく、突然の訪問、そして突然の抱擁強要。一也は内心嫌だったらしいがそんな事も言えず、可愛くて小さな彼女をそっと抱きしめた。盛り上がる番組、急下降する私の気持ち。司会者が「もう付き合っちゃえよー」と台本通りなのか本心なのか分からないがそんな茶化しを入れ、満更でも無さそうなタレントを私は醜い形相で画面越しに見つめた。

なんともまあ、芸能人様は赤い糸が無くとも安安と好きな人間に会えて抱きしめて貰えるというのだからいいご身分である。一也もなんで、番組が放送されるまで黙っていたのか。私の怒りはそこからも沸き上がっている。二つの怒りが相乗効果を発揮し、一也に向かって罵声やクッションや枕を思い切り投げつけてやった。そして、浴びるように酒を呷り、子供のように泣いた。終末期を迎えた怒りは最早無の境地を生み出し私は文字通り殻に篭った。

「どうせメアドとかも渡されたんでしょう。どうせお食事にも誘われたんでしょう。どうせ、どうせ……」
「メアドは断ったぜ、ちゃんと。飯だってさ。なにも疚しいことはしてないぞ」
「してたじゃん。抱きしめてたじゃん」

困り果てたのが見なくても分かる一也は、私から缶ビールを奪った。思わず顔を上げてしまい、ニッと笑った一也がそれに口をつけて飲み乾した。

「俺が悪かった!ぜーんぶ俺が悪い!でも俺がこの世で一番好きなのは名前だ!」
「ちょ、かずや、」
「あんな人俺のタイプじゃないし。あの時着てたユニだって捨ててしまいたいくらい気持ち悪い。なんなら捨ててもいい」
「一也ぁ……もういいって、もう……。こんな可愛くない彼女いたら悲しくなるでしょ……少なくともあんな可愛い子抱きしめれて嬉しかったでしょ」
「なんで俺の好きな人の悪口言うんだよ名前ちゃんよー」

もう訳が分からない。私は酔っ払うと卑屈になるが、一也は饒舌になる。一也はそれを分かっているからいつもの様に酒に呑まれて卑屈な私を丸め込もうとしているのかもしれない。酔っ払った一也は本当に面倒くさい。きっと私もそれ以上に面倒くさい。恍惚と意味不明なテンションの狭間にいる一也は私に抱きついた。寄っているせいで力が入り切らず、そのまま後ろに倒れ込んでしまった。

「前から思ってたけどなー名前、自分をどんだけ可愛くないとか思ってんの」
「可愛くないもん。一也が拾ってくれなきゃ私はずーっと彼氏なんてできなかったんだよきっと」
「俺だって名前が居なきゃ誰とも付き合ってなかった」
「ダウト。モテるくせに」
「はっはっはっ、まあな、俺はモテるぜ」

一也が何の躊躇もなく肯定して私は内心舌打ちをした。ぎゅーっと抱きしめられて、さっきのビールが胃液混じりにリーバスしてしまいそうだ。一也の匂いが鼻腔を擽り、思わず愛おしくなって私も一也の背中に腕を回してお返しと言わんばかりに力を込めてやった。

「うぬぼれんなー」
「お前はもっとうぬぼれろーモテモテの俺からお前はモテモテなんだぜー」

傑作だ。一也に結局丸め込まれてしまった。抱き合うという行為はストレス発散になるとは聞いていたけれど、ここまでの効力があるとは。あれだけ怒っていたくせに。だけど、私はあのタレントがテレビに映る度に負の念がまたぶり返すんだろう。

赤い糸はちゃんと一本のものとなって、一也と私を繋いでくれてるのだろうか。
また卑屈になる私に彼はまたこんな風に抱きしめるんだろう。ああ、なんて素敵な人に巡り合わせてくれたんだ神様。こんなんじゃ私は人間的にダメになってしまいそうですよ。だけど、彼が隣に居てくれるという事だけは自惚れてもいいでしょうか。
事実、怒っていた事なんてどうでも良くなって好きだとか幸せだとか、平和ボケの頭にこんな単純な感情で満たされているのだから。