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御幸の解散の声を聞いて、早々と着替えに戻る。背中を流れる汗が気持ち悪い。汗と土の匂いの付いた練習着を脱いで洗濯機に投げ込んだ。本当はこのべたついた身体を洗い流して行きたいけれど、朝練のあとには勿論授業が待っているわけで。当然そんなことをしている時間はない。乾いたタオルで軽く身体を拭いて、制汗剤を吹きかけた。制汗剤なんてものは好きではないが、汗くさいよりはマシだ。
シャツに腕を通して手慣れた手つきでネクタイを結んでいると沢村が入ってきた。俺を見てきょとんとして、倉持先輩、早くないっスか?と零す。お前が遅ぇだけなんだよ、バーカ。でもまだ時間あるのに。そんな目をしてこちらを見てくる沢村に「何だっていいだろーが」と関節技をかけて黙らせた。
すっかり用意もし終わり、沢村をシバくのにも飽きた俺は寮を出た。それからすぐに、今出るんじゃなかったと後悔。俺と入れ替わるように御幸がこちらに来ていた。「おつかれ」なんて言葉を交わした後、御幸がじっとこちらを見てきた。
「・・・んだよ」
「いや?今日も汗の匂いしねーなと思って」
確か苗字が隣になってからだよな、制汗剤使うようになったの。
ニヤニヤしながらそう言う。そのニヤケ顔が無性に腹立たしく思えた。いつものことだけど。うるせえ、さっさと用意しろ、遅刻すんぞ。そう言いつつ御幸を蹴ると心底楽しそうに「まだ全然時間はあるけどな」と返ってきた。

寮から学校まで何歩あるだろう。よくは分かっていないけれど、すぐに行き来できる距離なはず。それでも、自身のクラスに近付くにつれて足が早くなった。別に、遅刻しそうなわけでもない。嫌いな教師がこちらに来るわけでもない。けれど、一秒でも早く、と脳が急かす。騒がしい教室の扉を開けて、自分の席へと一直線に向かった。
「あ、倉持」
こちらに顔を向けた苗字を見て、発する言葉を忘れた。あれ、何て言えばいいんだっけ。そればかりが頭を占めて。「苗字」と呼んでみて、それからようやく「おはよう」の文字が浮かんだ。不自然にならないように、その言葉を発する。
「おはよう、倉持」
苗字はすぐに、その言葉を返して笑った。苗字の笑った顔はきらきらしてるように見えて、あったかく感じられて。苗字のこれを見るためだけに、自分は自分を急かしたのだと。その事実を受け入れた途端、体内の血液がぜんぶ沸騰したんじゃないかと。そう錯覚するくらいには全身あつくなってた。