怖い。病院の個室のドアの前で立ち尽くす俺。扉の取っ手に手をかけて、スライドさせればいいだけなのに開けたら、あなたは誰? と聞かれるのが怖い。

2学期が始まった頃、帰り道に交通事故にあってしまったうい。見た目は腕のすり傷程度で済んだが、頭を強く打ってしまった。念の為、1週間入院という事になったのだが、その間に事は起こってしまった。担任がういの病室に訪れた時、ういはあなたは誰ですか? と言ったのだ。

徐々に物事を忘れていく記憶障害が残ってしまったのだ。忘れていく順番はわからない。昨日は忍足を忘れてしまった。忍足は病気やからしゃーないな、と緩く笑っていた。俺は、そんな笑顔で受け止められる自信が無い。愛しい愛しい恋人に忘れられるなんてそんな事、耐えられないけれどういが1番不安を抱えているのだ。忘れられたとしても、俺はういの記憶を取り戻すまで一生そばにいる。そんな決意はしているものの、実際にそうなってしまったらと考えるだけでも恐ろしいのだ。

俺が扉の前で怖気付いてると中から扉が開いた。ういの両親が出てきて、母親は泣いていた。父親は母親の肩を優しく擦りながら、俺に声をかけてくれた。

「跡部くん、毎日お見舞いありがとうね」
「いえ、当然です」
「ういは素敵な人を見つけて、幸せだな。……実は、父親の存在がわからなくなってしまったんだ。病気とはいえ参ったな」

涙を堪えているのが、わかった。かける言葉が見つからなくて戸惑っているとういを頼むよと、泣き崩れそうな母親を支えながら帰って行った。その2人の背中を見送った後、意を決して扉をノックするとどうぞと聞こえたので、扉をゆっくりと開いた。顔を上げると、ういは俺を見るなり景吾と寂しげに呟いた。名前が出てきた事に安堵しながら、元気そうだなとベッドサイドの椅子に腰をかけた。ベッドの背もたれを上げて、遠くを見るようにぼんやりとしているうい。声をかけようとすると、ういから口を開いた。

「お母さんの隣にいた人って誰だったんだろう? お父さんだよって言われたけどわからなくて。……景吾、私全部忘れちゃうのかな。お母さんの事も友だちの事も、」

暗い考えになってしまうのは、きっと脳にも良くない。俺はういの手を握って、頭を撫でた。

「悪く考えるのはやめようぜ。逆に明日急に思い出すかもしれねぇだろ?」
「……そうかな」
「ああ、大丈夫だ」

その言葉は自分にも言い聞かせていた。だが、医者によるとほとんど記憶は戻って来ないとの事だった。脳のレントゲンを見ながら、この部位がどうのこうのという説明をういの両親と一緒に聞いていたが、そんな簡単に諦めてたまるかと医者の話は全く耳には入ってこなかった。

「景吾がそう言うと本当にそう思える」
「だろ?」

柔らかく笑ったういの手は握ったままベッドに腰をかけ直してういを抱きしめた。ういも俺の体に腕を回しキツく抱きしめられるとういの身体が震えていた。

「けどね、やっぱり怖いよ」

その言葉で堰を切ったように止まらなくなってしまった涙。ういの父親がしていたように、俺もういの肩をさすった。これくらいしかしてやれる事はないし、これ以上声をかけても、もう安心させてやる自信もなかった。ういの溜まっていく不安を少しでも担げるように、隣にいる事しかできない自分に苛立ちを覚えた。

title:サディスティックアップル



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