僕が小学三年生の時の話しだ。

その日は、朝から風邪気味で、季節は寒い寒い冬。少し咳が出るくらいだったので、学校には行けるだろうと登校はした。しかし、帰り際に寒気もしてきて。万一変身してしまった時の対策で、はとりと綾女と下校しようとしたがタイミング悪く二人とも用があると親が迎えに来ていた。一緒に乗せてもらって、家まで送ってもらう手もあったが何となく遠慮をしてしまって。一人で帰路へと着いたんだ。

そして、やってしまった。戌に変身してしまったのだ。ただ、場所は幸にも草摩の家の前。動きたいが変身してしまうほど病状は重くその場を動きになれない。けれどもここなら気づいた誰かが家に返してくれるだろうと待ってみることにした。それにしても、ここらは治安が良いので野良犬などいないのだ。首輪をしていない僕を一般の人が見たら何と思うのだろう。痛む頭でそんな事を考えていると小さな影が自分の前で止まった。

「ワンちゃんだ!」

小さな影はしゃがみ込んで、僕を持ち上げた。子どもの時は仔犬なので、小さな子どもでも軽々と持ち上げられるほどの大きさだ。僕と顔を向かい合わせると、どこか調子がおかしいのに気づいたのか大事そうに腕に抱えられると門をくぐらずに裏通りへと向かっていく。草摩の子どもでなかったらすぐに逃げなければと珍しく急く頭とは裏腹に、僕でも知らないような裏口から草摩の中へと入っていく。

草摩の中は外と中と別れており、中は十二支がいる家族やそれを知る人達、知らない人も多少住んではいるが。僕を抱えている子どもは楝さんが住んでいる近くの離れへと入っていった。中の人たちは子ども同士であればある程度見たことはあるのだけれど、どれだけ記憶を辿ってもこの子の記憶はない。拾われた時の反応からすると十二支の事は知らないように見えた。ここまで来てしまえば、タイミングを見計らって自分の家まで帰ってしまおうとしばらく様子を伺う事に。

子どもは一階の自分の部屋に入っていく。ランドセルを置いて、座布団に僕を寝かせ、ブランケットを被せてくれた。それから隣に座り込み「大丈夫だよ」と優しく頭を撫で始める。これじゃあ、抜け出せる余地がない。

隣にいる子どもは女の子で、長い黒髪に可愛らしいワンピースを来ている。僕を撫でている間子どもらしからぬ浮かない表情を浮かべていたが、ブランケットがズレたりすればすぐに治してくれたりと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。

だいぶ体が落ち着いてきて、そろそろ戻ってしまうのではと焦って来た所で、玄関先から音がした。すると女の子は立ち上がりながら「お母さん、帰ってきた!」と嬉しそうに部屋を出て行ってしまった。きちんと閉め切らなかった扉は半開き。そこから見えたのは、子どもと同じ長い黒髪の女の人と、見た事のあるお付の人が見えた。

「ただいま、うい」

…………冷ややかででもどこか演技がかったように優しい声色は紛れもなく草摩楝。慊人の母親だった。……僕を拾った子どもは楝さんをお母さんと呼んだ。…………隠し子という言葉が脳裏に浮かぶ。

瞬時のうちにいろいろな推測が巡るが、ここに居てはとにかくマズイという事はわかる。何とか体を動かして、部屋を出ると玄関はすぐそこだった。仔犬では玄関の引き戸を開けるのは大変だが火事場の馬鹿力なのか何とか通れるくらいには開いてくれた。いきなり居なくなるのは申し訳ないが楝さんにバレる訳にはいかない。家を抜け出して、自分の家へと重たい体を急がせた。


風邪も治り、学校にも行けるようになったのは二日後。僕は夕方頃あの離れへとやって来ていた。あの女の子の情報としては、中の人間。けれど、十二支の事は知らないらしい。楝さんをお母さんと呼んでいた。ランドセルを背負っていたから、年は五歳以上。慊人さんより年上。本当に楝さんの子どもだったら、あの子は慊人さんの姉になるのだが。頭の中であの時得たものを整理しながら、離れを覗こうとした時だった。

「紫呉くん?」
「楝さん……」

離れへとやって来た楝さんに早々に見つかってしまった。けれど、焦りはない。きっと子どもの方に聞いても何も分からない、知らないのだろうと思っていたからだ。だから、直接楝さんから聞き出してしまった方が早いと思ってたのもあるので、都合がいい。

「あの、」

楝さんは僕の聞きたいことがわかっているのか右手の立てた人差し指を口に当てて、「話しは中でしましょう」と静かな声で言い中へと入れてくれた。 誰にも話しを聞かれそうにない奥の部屋へと通される。机を挟んで楝さんと向かい合わせに座った。

「あの日のワンちゃんって、紫呉くんでしょ?」

僕は静かに頷く。楝さんは小さく口元に笑みを浮かべる。

「あの子は誰なんですか?」
「私の子どもよ。晶さんとの子どもではないけれど」
「…………つまり、隠し子、ですよね」

今度は楝さんが静かに頷く。それ以上口を開こうとしない楝さん。そのあまりにも穏やかな静けさがこれ以上詮索をするなと言われているように感じる。

「近づかないでくれるかしら。あの子何も知らないの。私、あの子が大切なの」

優しく笑う母親の楝さんに、呆気に取られてしまう。それから僕は話してくれた事に対して礼を行って、家へと戻った。

ういと呼ばれたあの子に近づいては行けない事はわかった。尚更、十二支の僕なんて。けれども、人間は禁止されればされる程、反発したくなるもので。楝さんが外出してきる時を狙って、あの離れであの子を待ってみる事にしたのだ。しばらく待ってみるとあの子が帰ってきた。家の前にいる僕に気づくと、不思議そうな顔を浮かべる。

「草摩の子、だよね?」
「うん」
「いつも一人だなと思って気になっててさ」

少し眉を寄せて寂しそうな表情をしたういちゃんは、困った様に口を開く。

「お母さんにあんまり人と遊ばないようにって言われてるから」
「寂しくないの?」
「お母さんがいつも遊んでくれるから寂しくないよ。えっと、お兄さんは?」

この間看病してくれたワンちゃんだよ、なんて口が裂けても言えなくて。「気になったから、一緒に遊びたいなと思って」と言うと、ランドセルの持ち手を両手で強く握り締め下を向いてしまう。困らせたい訳ではなかったので、すぐに「ごめん、迷惑だったね」とういちゃんの脇を通り抜け様とした時だった。

「今だったらお家上がっていいよ。一緒に遊びたいな」

切羽詰まった様な。きっと今まで楝さんの言いつけを全て守ってきたういちゃんにとってかなり勇気を振り絞った言葉なのがわかる。

「それならお邪魔しようかな」

そう僕が言うと一転して表情がパッと明るくなったういちゃん。その時、いや看病してくれた時から自分を押し殺しながらも自分を見失わないように生きているういちゃんに惹かれていたのだと思う。小さな体で何も知らない中でも何かを感じ取りながら震えているういちゃんを守りたいと思ったんだ。


「紫呉? さっきからボーッとしてどうしたの?」
「ん? ちょっとういと出会った時を思い出して」
「ああ、ストーカーの様に家の前にいた時の事か」

大人になった今、ういに出会いはストーカーだとからかわれるのがいつもの流れになっていた。だからういは今でも十二支の事は知らないし、草摩が楝さんがどういう人間なのか知らないまま平和に生きている。楝さんは僕がういと会っている事は知っているのに、何も言ってこないのは不思議だったが、突っ込んで来ないなら来ないで好都合なので僕もわざわざ口に出すこともなかった。

「でもそのストーカーのお陰でういに友達がいるんだろ」
「その通りでございます。ありがとね、紫呉」

当人はずっとこの閉鎖的な環境で育てられているから何も感じないのだろうけれども、はたから見れば縛り付けられている様な環境であっけらかんと笑うういに心が締め付けられる。けれど、この環境はういに好意を抱いてる僕にもこの上ない好条件で。そんな事も知らないういに今日も心をかき乱されるのだ。




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