好きな人との間に子どもが宿るのは、こんなにも幸せなことなのか。お医者さんから「おめでとうございます」と言われて、更に湧く実感。もちろん、いの一番に伝えたい相手は左馬刻さんだ。病院を出て、綺麗な紅葉が続く道を歩いて、バスへと乗り込む。空いている奥の席へと座って、お腹に手を当てて撫でる。ここに左馬刻さんとの子どもがいるのが本当に嬉しくて。

次のバス停で停車をしたバス。3歳くらいの子どもがお母さんとお父さんに手を繋がれて乗車をしてきた。今まで何でもないその光景も私と左馬刻さんの光景に重ねてしまい、思わず笑みが零れてしまう。男の子かな、女の子かな。どちらしても、健康的に産まれてきて欲しい。家に着くまでに楽しい想像は膨らむばかりだ。

左馬刻さんと暮らすマンションの近くのバス停で降り、家へと帰る。今日、左馬刻さんの帰りは22時頃になると言っていた。左馬刻さんが帰ってきて、軽く食べられそうな物を準備して、私も自分の夜ご飯、お風呂と寝支度をしながらも早く報告したい気持ちを抑えられないまま玄関が開く音を待った。



時計を見ながら今か今かとまるで遠足前の子どものような自分にくすぐったくなってしまう。そして、時計の針は22時を待たずに玄関から左馬刻さんが帰ってきた音が聞こえてきた。鍵が空いた音に急いで玄関へ行くと、そこには無数の傷を付けた左馬刻さんが。左馬刻さんはそれを気にもせずに、煙草を吸っている。その様子に私は自分の報告など後回しに声を上げた。

「左馬刻さん! 大丈夫ですか? 手当をしないと……」

そう言って、手を取った。が、すぐに振り払われてしまった。初めての拒絶に、びっくりして左馬刻さんを見やると彼の口から受け入れ難い言葉が飛び出す。

「誰だ? お前?」
「えっ……」

靴を脱いで、リビングへ向かおうとする左馬刻さんを追いかける。

「左馬刻さん?」
「何、勝手に部屋に入ってんだ? 早く出てけ」
「冗談ですよね……。左馬刻さん、私、ういですよ」
「知らねぇな」

もう、私の方も振り返りもせずにリビングへと入ってく背中を追いかける気にはとてもなれなかった。左馬刻さんが冗談でも、そんな事を言わない人だというのは、よく知っているからこそ全く原因がわからない。けれど、このままここにいても埒があかないだろう。一先ず頼れそうな友人のところへ行こうと私は急いで簡単に出て行く準備をして、家を後にした。



仕事中、ラップバトルを仕掛けられた。俺を相手になかなかな奴らで久しぶりに追い詰められてしまったバトル。確かに苦戦はしたものの最後は相手がほぼ力尽きたので、何とか勝つ事が出来た。

早く帰って今日はさっさと寝ちまおうと家に帰宅すると、女がいる。左馬刻さんと馴れ馴れしく呼ぶが、どこで会ったかも全く思い出せない。たまにこういう変な女がいるのも否定は出来なくて。ただ、あの女は聞き分けがいいのか何やら荷物をまとめるとすんなりと家から出て行った。その姿を何となく眺めてから、クタクタな体をベッドへと投げ打つとその日はすぐに寝てしまった。

次の日の朝、体に倦怠感が残ったままだった。気持ちが悪いので、とりあえずシャワーを浴びようと風呂場に向かう。けれど、俺の家にあるはずがない女が使うような物がチラホラ。昨日の女の物だろう。勝手に物まで置いて行った事に思わず舌打ちをしてしまう。シャワーを浴び終え、家中に置いてあった女の物をまとめて、ゴミ袋へと突っ込み、ゴミ捨て場へと持って行った。

「ったく、変なやつはどこにでもいるな」

捨てたゴミに悪態をつき、家へと戻ろうと振り返ると銃兎がそこにいた。

「どうした? 銃兎」
「俺の事は覚えていた様で何よりだ」
「何だよ、それ。ってか何の用だ?」
「とりあえず家上がってもいいか? 話しはそれからだ」

2人でエレベーターに乗り、部屋に戻る。すると、玄関口で立ち止まった銃兎が声を上げた。

「お前、まさかさっき捨ててたものって女の物じゃないよな?」
「何でわかんだ? そうだ、聞いてくれよ。昨日、変な女が家にいてよー」
「寄りにもよってういの事を忘れるとはな」
「うい?」

どうやら、銃兎は昨日の女について何か知っているようだ。それは、詳しく聞いておきたい。

「銃兎、お前何か知ってんのか?」
「大体の概要は今掴めたけど、思ってたより最悪の状況だな」
「それ、どういう意味だ?」

「とりあえず中に入れてくれ」と言われて、リビングに入ると家のチャイムが鳴った。モニター越しに確認すると理鶯で、「鍵は開いてるからそのまま入れ」と言うと理鶯も深刻そうな顔をしてリビングへと入ってくる。

「左馬刻、少し見損なったぞ」
「入ってくるなり失礼な奴だな」
「銃兎から大体の事は聞いている。まさかういの事を忘れてしまったとはな」
「さっきから、銃兎も理鶯もうい、ういって。誰だ、そいつ。昨日家にいた女の名前か?」

俺が言い放った言葉になぜか銃兎が舌打ちをした。理鶯も深いため息をつくのが聞こえる。

「とりあえず説明する前に、ういはどうした?」
「あ? そりゃ、不法侵入だからさっさと出てってもらったが」
「銃兎、小官はういを探しに行ってくる」
「頼んだ」

理鶯はどこかに電話をかけながら、家を出て行った。状況がよくわかっていない俺に銃兎は冷静に話を始める。

「いいかよく聞け、左馬刻。ういはお前の結婚相手だ」
「は?」

そんな大切な相手を忘れるはずがないだろ。本当に昨日いた変な女の事なんざ知らないのに、俺の結婚相手だと? ひとつも事態を飲み込めてないのは俺だけなのにも、少し苛立ってくる。

「昨日、左馬刻が相手にしたヤクザいるだろ」
「おう」
「あの後、俺が片付けたんだがそいつらが持ってるマイクが違法マイクで人の記憶を消すマイクだそうだ。お前、結構くらったんだろ?」
「悔しいけどな」
「それが原因でお前はういの事を忘れたんだ」

説明を聞いて、納得はした。したが、された事でそのういって女を思い出せるわけがないのだ。けれど、仮に本当に俺の大切な人だとしたら。急にあの時に見た驚いた顔が脳裏を離れなくなってしまう。

「……今の話、信じるにしても信じないにしても記憶が戻るにはどうしたらいい」
「方法は無いらしい」
「打つ手無し……か」
「とりあえず、お前がわからないとしてもういはちゃんと探し出すから」
「……ああ」

そう言い残し、銃兎も家を出て行った。



あれから数ヶ月経ったが、女の事は思い出せないまま。銃兎も理鶯も女の手がかりは掴めないままでいた。

思い出せないのであれば仕方ないので、変わらず日々を過ごすしかない俺に銃兎や理鶯はたまにういの話をしてくれたが、何も思い出すきっかけになってはくれなかった。けれど、やはりあの時の表情は脳にこびりついたまま離れてはいない。もう1度会えば思い出すのだろうか。だが、それも叶わない。

季節は秋から冬に変わり、さすがに家の中も寒くなってきて、布団を入れ替えようとクローゼットの奥に手をつけた時。青地にドクロのマークのブランケットを見つけた。その瞬間だ。

"MTCっぽくて良くないですか?"
"左馬刻さん、おかえりなさい"
"人参とピーマンもちゃんと食べてください"
"ずっと着いていきますよ"
"もしかしたら、妊娠したかもです。明日、病院に行ってきますね"

一気に蘇ったういの記憶。

……最悪だ。思わずクローゼットの扉を思いっきり殴ってしまう。違う、こんな事をしていても意味が無い。そうだ、あの日はういが病院に行っていた日だ。嫌な汗が伝うと同時に自分の不甲斐なさにその場にしゃがみ込んだ。



「ういが見つかったって?」
「すまない、左馬刻。小官が先に確認したが違った」

銃兎がういに似た人を見つけたと連絡があり、先に理鶯が確認してくれたみたいだが、別人で。自分の事務所で理鶯からそう電話を受けた。自分への苛立ちはあの時から変わっていなくて、近くにあったゴミ箱を思いきり蹴飛ばしてしまう。

「くそっ」

思い出した時からういが行きそうな所をひたすらに当たってみたものの、どこもハズレ。先生にも事情を説明して、どこかの病院にいないか探してもらってはみたものの有力な情報を掴むことは出来なかった。

すでに時は5年も経っている。ういからすると結婚相手にあんな事を言われて、もう探し出して欲しくはないだろうし、会いたくもないだろう。俺自身、会えたとしてもういを取り戻せれるなら取り戻したいが、他の男を見つけてそいつと幸せにしてればそれでいいと思っている。そうなっていれば、俺が入る隙などありはしないのだ。それでも、事情だけはどうしても説明しておきたかった。そして、謝りたい。その一心で探し続けているのだ。

「カシラ、そろそろ」

部下に呼ばれ、車へと乗り込む。今日はヨコハマを出て少し遠出する予定の日だ。仕事の電話をしながらも道行く人の中にういがいないか探すのは癖として根付いていた。

その日の仕事は思っていたよりも早く終え、せっかく遠くまで来たのだから、この土地で何か飯でも食っていくかと地元の人に聞いた少し評判だという中華料理屋へと足を運んだ。裏道にある目立たない所にあるものの、昔からこの土地に根付いている安心感の様なものを感じる。店へと入ると適当に席に座っていいらしく、入口に1番近い所へ座ると4歳くらいの男の子がお水とおしぼりを持って現れた。

「いらっしゃいませ」

手に持ってるものを手渡しされ、ニコリと笑う。

「手伝いか。偉いな」

そう言って頭を撫でてやると、嬉しそうに厨房へと戻って行った。「ユウ、ありがとうね」と母親らしき声に俺は思わず立ち上がる。ういの声にそっくりなのだ。奥から出てきたのは、髪をポニーテールにして、エプロン姿、伝票を片手に出てきたのは、俺がずっと探し続けていた人物だった。

「いらっしゃいませ、ご注文おうかがい……。左馬刻……さん」
「ういだよな」
「おかあさん?」
「ユウ。ちょっとお店の事お願いしててもいいかな?」
「うん! まかせて」

「ユウは頼りになるね」と子どもの目線にしゃがんだういは、頭を撫でて立ち上がって俺に「ちょっと待っててください」と言って、奥へと戻って行く。少しして帰ってきたういはエプロンを取っていて、「時間もらったから、外いいですか?」と聞いてきた。俺は声も出せずに静かに頷き椅子から立ち上がってういに続いて外に出る。

「うい」
「会いたかったです。左馬刻さん」
「俺も、俺も会いたかった。すまなかった。あの日俺、違法マイクでういの事忘れちまったんだ。最低だよな」

ういは無言で遠くを見ている。泣きも驚きも笑いもせず。ただ無表情で俺の声に耳を傾けているように見えた。

「今更、戻って欲しいなんて言わねぇ。えっと、幸せにやってんだよな?」
「ここは、友達の両親のお店なんです。あの時唯一頼れる友達にお願いして置いてもらって。すごく良くしてもらって、幸せですよ」
「良かった」

そう言うういの顔は辛そうには見えなくて不自由してなくて良かったと安堵する。けれど、ういは俺の方へと振り返ると声を荒らげた。

「けど、好きな人にあんな風に言われて本当の幸せなんてある訳ないじゃないですか。でも、左馬刻さんは私の事嫌いになったからあんな事言ったんでしょ? なのに、今更現れて違法マイクだったって言われても。ずっと会いたかったのは、文句を言いたくて」

怒りながら、涙するういを思わず抱きしてしまうが、ういは俺の腕から逃れようと必死にもがく。けれど、もうこんな近くにいるのに離すなんて考えたくなくて、何度も「ごめんな」と繰り返す。

「ごめんなじゃないですよ」

ういは大人しくなって、俺の背中に手を回して更に泣き出してしまう。嗚咽混じりに「本当はすごくすごく会いたかったです」と小さく消え入りそうな声が耳に届く。

「ずっと不安でした。自分から左馬刻さんに会いに行こうとしなかったくせに、ユウにいつかはお父さんに会えるからって言いながら、いつも自分にそう言い聞かせてました。いつか迎えに来てくれるって信じたくて」

泣きじゃくるういに触れるくらいの優しいキスをする。

「すまなかった。本当に。もう絶対にういの事忘れない。離さない。だから、戻ってきて欲しい」

ういの腕を掴んだまま、頭を下げる。ういは涙を止めようと上を向いてから、俺と視線を合わせた。

「一生、離さないでくださいね」
「当たり前だろ」

ういをまた抱きしめ、キスをした。腕に力を込め、きつくきつく抱きしめる。もう、絶対に離さない、子どももういも何があっても守っていく、そう強く思って。

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