広い舞台にピンスポットで照らされ、しなやかに踊る彼女に目を奪われた。

こういった事にコネを使って裏に入れてもらうのもどうか悩んだが、スタッフにお願いをして彼女の楽屋の扉の前まで来てしまったのだが。

「今、電話かけてくる時点でもう私の事考えてないよね? もう、絶対会わないから。じゃあね」

中から聞こえる電話の声。……別れ話だよな。タイミングが最悪だ。また別の日にしようと踵を返そうとしたと同時に楽屋の扉が開いてしまった。

部屋から出てくるのはもちろん先程まで華麗な踊りを魅せていた上杉ういで、近くで見ると思っていたより身長の低かった彼女は俺を見上げた。咄嗟の出来事に何を言えばいいかわからなくなって、遠い目をしている俺に彼女は千秋真一! と声を上げる。

「俺の事知ってるんですか?」
「もちろん。というかこんな所でどうしたの? 迷子?」
「いや、あなたに会いに来たんですけど」
「私?」

見上げたままの顔がキョトンとした顔に変わる。そうだよな、いきなりあまりよく知らない男が楽屋前にいたら驚くよな。

「指揮者が私に何の用?」
「ああ、えっと」

あなたの演技に一目惚れしましたと言えばいいのに、なぜか言葉が上手く出てこない。何と答えようか言葉に詰まっていると上杉ういの口元が悪戯げ笑った。

「私に会いに来たんだよね?」
「はい」
「これから時間ある? 飲みにでも行かない? 話しもできるし」

こんな願ったり叶ったりな誘いに乗らないわけにはいかない。すぐに是非と答えると支度するから待っててと楽屋に戻って行った。

数分して出てきた彼女は纏められていた髪が下ろされ、Tシャツにジーパンと舞台の華やかさとは程遠いラフな格好で登場した。

「行こう」

短くそう言った彼女はやや早歩きで劇場出て行く。出遅れないように俺も着いていき劇場を後にした。

タクシーなど拾わないあたり徒歩でいける距離なのだろう。隣に並ぶとそう言えばと彼女が口を開いた。

「結局、私に何の用だったの?」
「上杉さんの演技が良かったから同じ表現者として話しがしてみたかったんです」

ラフな彼女を前にしたせいか次はすんなりと理由を言えた。彼女はふーんと何かを考えているように見える。途端に足を止めた彼女に合わせて俺も足を止める。会話に意識が持っていかれて、周りの景色を見ていなかったがいつの間にか裏路地に入っており、1軒の小さな隠れ家的なバーの前にいた。

慣れた手つきで店のドアを開け入っていく彼女の後を追って中に入る。店内はカウンターと奥が少しばかり個室になっているようだ。カウンターでグラスを拭いていたマスターらしき人物は上杉さんを見た後、視線を俺にズラして楽しげに小さく笑った。

「なんだい、ういちゃん。浮気かい?」
「あの人とは別れたから浮気じゃないですよ」
「じゃあ、新しい男かい? 注目されてる若手指揮者とはやるねぇ」
「違いますよ! どっちかっていうと私が言い寄られてる、みたいな」
「いえ、そんなんじゃないです」

慌てて否定してみたけど、あながち間違ってはない上杉さんの言い方に言葉尻が小さくなってしまう。マスターを見るとまるでわかっていますよとでも言いたげな顔をしている。俺ってそんなに表情に出やすいのか……。この場の空気をどうやり過ごそうか考えていると、上杉さんが奥空いてる? と話しを進めてくれた。

「空いてるよ。オーダーは?」
「飲み物と食事いつもと同じで。千秋はどうする?」
「ワインがあるなら食事に合うものをお願いしたいです」

マスターがかしこまりましたと返事をしてまた上杉さんの後をついて、1番奥の個室に入り、向かい合わせに座った。すぐにサラダと簡単なツマミ、頼んだお酒が運ばれてきてお疲れ様と乾杯をする。深く椅子に沈んでピーチフィズを1口飲んだ上杉さんは、深くため息をついた。

「公演は良かったのに、その後が最悪。最初は優しかったのに、どんどんバレエと俺どっちが大事なの? って。最終的には公演も見に来てくれなくなって、終いには今日は公演だった事すらも忘れて終わった後の余韻に浸りたいのに電話をかけてくるし。もう散々」

何となく愚痴に付き合わされる気はしていたので、矢継ぎ早に顔も知らない人の事を聞いても悪い気はしなかった。心の準備が大切なのは今までの周りの人達の経験が随分活きているものだ。

「彼はこういった業界の人間じゃなかったってことかな?」
「そう、IT関係の人間。自分のとこの会社のお偉いさんがバレエが好きでたまたま接待で見に来てた公演に私が出ていてその打ち上げにその人達もいて知り合ったの」
「俺たちの仕事は自分の身を削って芸術を生み出すって事が理解できなかったって事か」
「さすが、話が早いわ」

嬉しそうに身を乗り出してきた上杉さんは、やっと共感してくれる友達を見つけたと顔が少し明るくなった。

「なら、同業者と付き合えばいいではないですか」

例えば俺、とか。なんて。大学生時代の俺様キャラはだいぶ落ち着いて来てはいるので、そんな事言えやしないが。上杉さんが急に静かになったが、1つ言いたい事があるのと頬杖をついた。

「敬語いらないよ。呼び捨てでいいし。私たち同い年でしょ?」
「知ってましたが。急に会った男がタメ口なのは印象が悪いでしょう?」
「確かに言う通り。案外礼儀正しいのね。音楽は"俺様"なのに」

のだめや周りからもよく言われるイメージだ。やはり、そう聞こえる節があるのかと改めて思わざるを得ない発言だ。それに、いつもの連中から言われるより少し気恥しが勝ってしまい、表情を隠そうと口元を手で覆う。

「照れてる?」
「見なかったことにしてくれ」
「わかりました」

手を膝の上に置いてわざといい子を演じた上杉。結構お茶目は部分もあるのかとまた別の所に心を惹かれていく。この話しを終わらせたいのとこれ以上上杉のペースに乗せられるのも何となく自分のプライドが許さなかったので、話しを戻すことにした。

「で、話しを戻すが同業者とは付き合わないのか? そういう大変さとかわかるヤツの方がいいだろ」

俺が言葉を崩したのが嬉しかったのか満足気に笑った上杉は、また椅子に沈んだ。

「同業者は嫌なの」
「どうして?」
「弱くて暗い私を見せたくないから。レッスンって孤独じゃない? 私、結構苦手なのよね。だから好きな人には舞台で輝いてる私を好きでいて欲しいの」
「観客しか好きにならないと」
「そういう事」

身内は同業者ばかりと付き合っているものだから上杉の考えは新鮮でそういう考え方の人間もいるのかと、少し驚いた。それと同時に俺のこの気持ちは同じ様な業界にいる時点で終わりを迎えてしまったではないか。どう気持ちを切り替えればいいのかと悩んでいるとふと清良が言っていた言葉を思わず口にしていた。

「けど、俺は多分音楽をしていなかったら、上杉には出会えなかった」
「…………えっと、そうね。そういう人達はたくさんいるけど」

ああ、俺はたくさんいる中の1人なのか。そこから抜け出せる事は出来ないのだろうか。少なからず同業者と付き合えばその元彼の様な事にはならないだろうとも言えなかった。あんなに怒っていた上杉の顔が暗くなっているから。

「自分から振ったのに未練タラタラって顔だな」
「好きだったの、すごく。けど、いつも私の全てを見せれないの。どうしても」
「そんな弱い自分を見せて嫌いになる奴の方が俺は信用出来ないがな」

きっと仕事でバレエをしている自分と恋人に見せたい華やかな自分が全く違うからなのだろう。けど、人と付き合っていく以上見せたくない部分も見せないといけなくなっていく。仕事で"完璧"を求めているだろう上杉は、それが根底に癖づいて恋人の前でも"完璧"でなければと思っているのだろうと推測を立ててみる。

「自分に対して少しばかり厳しすぎなのでは?」
「厳しくしないとやっていけないでしょ?」
「それはわかるが。ずっと苦しいのもよくないぞ」
「千秋は上手な息抜きを知ってそうね」
「学生時代に音楽はそれだけじゃないって事を知ったから」

シュトレーゼマンが作った変人の集まりのSオケに苦しいだけじゃないのを教えてもらったから。どこか悔しいけれど。

「何か楽しそうね」

思い出してつい顔が緩んでいたのかそう言われてしまった。誤魔化すためにひとつ咳払いをして上杉の目を見た。

「けど、そんな考え方でバレエ嫌いにならないか?」
「本当は辞めたいって言ったら?」

俺自身もやめた方がいいと思っていた時もあった。けれど、周りの力のお陰で乗り越えられてきたのだ。ここまで話しを聞いて俺は上杉が苦しみから救われた時のバレエが観たいという気持ちも生まれていた。

「俺が支えたい」
「えっと、どういうこと?」
「業界の人間として上杉の才能は無くなってはいけないものだと思ってる。だから友達としてなら弱いとこも見せられるだろ?」
「唐突でよく飲み込めてないのだけど、頼れってこと?」
「上杉の好きなように解釈してくれて構わない」

とりあえず連絡先でも交換しようと話しを無理矢理切ってしまったが、上杉の戸惑った様子もどこか可愛らしくて、守ってあげたくなる。そして、この孤独なバレエダンサーを1人にしてはいけないと思ったのだ。



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