*1/29解禁のハマドラパのネタバレあり
衝撃的な事実ばかりを突きつけられたその日の夜、その事しか考えられなくて頭は冴えていくばかりだった。洗脳をされているとはいえ何度も何度も妹に言われた言葉が木霊して頭がおかしくなりそうだった。絶対に合歓を連れ戻すと決めたがすぐにどうしてやる事もできない自分にも腹がたってしょうがない。
眠れないのを誤魔化すために寝返りを打っていたが、眠れなくてじっとしていられないならと適当に上着を羽織り外に出かけた。少し夜風に当たりながら頭を冷やそうと静かな夜のヨコハマの街を歩く。
特に何も考えずに散歩をしていると少し広めの公園に着いた。昼間は親子連れで賑わっているであろう場所はしんと静まりかえっている。公園の明かりだけで照らされている広場には人影と大きな白い望遠鏡が見えた。人影は女性らしくベージュのコートに白地で細い赤線のマフラーをしてベンチに座り、何かノートに書き込みをしていた。ふと顔を上げた女性となんとなく目が合ってしまいどちらからともなく会釈をした。ノートを傍らに置いて、望遠鏡を覗きはじめる彼女に近づき、彼女の隣に並んでみるが、望遠鏡を覗くのに夢中なのか気づかないでいる。いつ気づくか試してみようとそこに留まった。
数分して望遠鏡から顔を外した彼女は俺を見て驚いた顔をした。その様子に本当に夜空を見るのが好きなんだとわかる。
「えっと、こんばんわ」
「おう、こんばんわ。星見てるのか?」
「ああ、星というより月の方ですね。今、月の観察が課題でして」
恐る恐るといった様子で挨拶をした彼女は俺が普通に挨拶を返した事に一応変質者ではないと思ったのか質問に答えてくれた。
「月ねぇ。今夜は満月ってやつか?」
空を見上げるとまん丸い月が夜空を照らしている。ふと合歓も同じ空を見ているのかなと考えてしまう。
「そうですね。……満月は明かりが強いのでちょっと星が見えずらいんですよね」
「月を見てたんじゃ?」
「趣味で月を見るのは好きなんですけど課題となると義務っぽくなっちゃって、星を見たくなっちゃうんですよねぇ。よくある集中しなくちゃいけないのに、他所に意識がいっちゃうってやつですね」
そう言いまたベンチに座り、また何やらノートに書き込みをしている。さっき言っていた課題だろう。どう書こうか悩んでいる彼女を横目に俺は顔を上げて月を見上げる。普段夜空などあまり見上げないものだから、星が見えずらいかどうかまではわからなかった。ただ、満月だという事を気にして見てみると更に月が大きく見えるように感じた。
「お兄さんは星とか月とか好きなんですか?」
「好きというかあまり意識した事ないな。けど、たまにはじっくりと見てみるのも悪くなさそうだ」
「宇宙っておもしろいですからね。夜空を観察するのは楽しいですよ。よかったら望遠鏡覗いて見ますか?」
折角だからと覗かせてもらうことにして、ちょっと待ってくださいねと彼女は慣れた手つきで望遠鏡の角度を変え始め、時折覗きながら微調整を始める。角度が定まったのか俺の方を振り返った。
「ちょっと見えづらいと思いますが覗いて見てください」
そう言われ望遠鏡を覗き込むとそこには視界いっぱいの星空が広がっていた。後ろから明るい3つの星、わかりますか? と聞かれ1度望遠鏡から目を離し、直接星空を指さしながらあの3つか? と聞くとそうですと嬉しそうに答えてくれた。再び望遠鏡を覗き込み彼女のガイドを聞く。
「今見てるのは冬の大三角です。左上がベテルギウス、右上がプロキオン、下を繋ぐのがシリウスです。ベテルギウスはよく聞くオリオン座の1部ですね」
普段気にもしない星達に名前がある事を知ると空を見上げるのもおもしろいと感じる。明るい星は冬の大三角。そう頭の中で繰り返して覚えようとしている自分がいた。望遠鏡から目を離し、彼女に視線を送ると彼女は夜空の三角形を見つめていた。その目は星のように輝いている。
「オリオン座は狩人なんです。けど、ちょっと傲慢な部分があって他の神様たちを怒らせてしまうんです。怒った神様たちはオリオンに蠍を遣わしてオリオンは刺されて亡くなっちゃうっていうのが神話ですね」
傲慢ではないが狩人と聞いて理鶯を思い出す。中央区の奴らを怒らせてしまったら同じように毒針で刺されてしまうのだろうか。いや、理鶯ならその蠍を調理に回してしまうだろうと想像し、少し笑ってしまうと彼女は少し不思議そうにしながら何で、笑ってるんですか? と聞いてきた。
「いや、オリオンには似つかわないが狩人って聞いて身近に当てはまる奴がいて、ついな。……そうだ、兎座なんてのはねぇよな」
「えっ? ありますよ? 兎座ですね……」
そう言いながら望遠鏡を動かして、これこれと動きをとめた。どうぞと言われ再び望遠鏡を覗き込むとまた彼女のガイドが始まる。
「さっきも言いましたが今日は満月の明かりが強すぎて星が見えずらいのですが、台形に見える星……」
背中を軽く叩かれ顔を上げると、あの星ですと冬の大三角の星より暗めの星を直接指を指して教えてくれた。また望遠鏡を覗き込むとさっきよりもその星を確認できた。
「オリオンに優しい心をと兎を遣わすんですけど、オリオンは踏み潰しちゃうんですよね。オリオンは気性が荒くて私はあんまり好きにはなれませんね……」
理鶯とくれば銃兎だと軽い気持ちで聞いたが神話は気分が良いものでは無かった事に彼女の意見に同感した。
「あと有名どころだと牡牛座と双子座が見れます」
そう立て続けに2つとも見せてもらって、一通り彼女のガイドは終わった。
「いきなり邪魔したのに丁寧にありがとな」
「いえいえ。星の楽しさが伝わったなら私も嬉しいです」
そう笑った彼女は時計を確認して、私はそろそろ帰りますねと望遠鏡を片付け始める。公園の時計を確認すると時刻は1時。女性1人だと危ない時間帯だがいきなり現れた男に送られるのもどうかと悩んでいると彼女が口を開いた。
「そういえば、お兄さんはこんな時間に何をされていたんですか? ちょっと見るからに普通の職業の方では無さそうですが……」
「ただ、眠れなくて散歩してただけだ。まぁ、あまり関わらない方がいい奴ってのは確かだがな」
そうなんですねと荷物を纏めた彼女はじゃあ、私はこれでと会釈をして広場を出て行こうとしたところをつい呼び止めてしまった。振り返った彼女に近づき危ねぇし、嫌じゃなかったら送ると言うと大丈夫ですよ、夜遅いのはしょっちゅうですしと返ってきたのでこれ以上何も言えなかった。
「気遣っていただいてありがとうございます。よかったらまた私を見かけたら声かけてください。しばらくここで月の観察をしなくてはいけないので、夜のお散歩のお供にでもしてください」
ではと一礼をして彼女は公園を出て行った。ベンチに戻り腰をかけて空を見上げながら、教えてもらった星を1つずつ確認していく。ついさっきまで突きつけられた辛い現実でいっぱいだったのに、全く関係がない夜空の星達の名前を聞いて覚えようとしていたら意識が逸れている事に気づいた。
どんな時でも一休みをしなければ最善の策も思いつかないもの。きっと俺は彼女の課題が終わるまで星の名前を覚え続けるのだろう。