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なみだがきらめく

売り払ってしまった絵は、もう二度と見ることはできないと思っていた。そして私はそのつもりで心を決めて絵を手放していた。だからこそ、一度描いた絵のことは一生忘れないように、脳裏に焼き付けてから、手を放していた。
だからとても久しぶりに見たその絵のおかしさに私は気づけた。

任務初日。私とジャンは、昼間に通常の状態の絵を確認した。

絵そのものは何も変わったところはなかった。しかし描いた当時に感じていた感覚はさっぱりと消え去っていた。あの、絵の世界へと入り込めそうな感覚。それはいったい、どこへ行ったのだろう。あれこそが、絵の魅力の中核を担っていたといってもいいほどなのに。


「まるで別の絵・・・・」


漏れでた声に、私は驚く。絵を見始めてからずっと感じ続けていたことが、今まさに具体的な言葉として伴ってきた瞬間だった。

はじめから、自分で描いた絵のはずなのに、何も感じることが無かった。懐かしさも、魅力も、作者である当時の私の情熱も。何も感じることがなかった。
もしかすると描きあげたときから、イノセンスの力が宿っていて、私はそれに魅せられていたのだろうか。そしてそのイノセンスの力は、絵を買い取った成金のほうへと向いているのだろうか。


「っ!」


不意に腕をつかまれて驚いた。ジャンだ。


「・・・不用意に触らないほうが。」


いつの間にか私は、絵に触れようとしていたようだ。自分でも、気がつかなかった。絵の魅力に引き寄せられたわけでも、なんでもなかったのに。いや、むしろあの絵が何も感じさせない虚無の状態だったから、手がその虚無へと吸い寄せられたのかもしれない。

「そうよね、うっかりしてたわ。」

私は微笑むことでごまかした。

「夜に、もう一度ここに来ましょう。何か起きるかもしれない。」

「・・・」

無言で頷くジャンが与える寂しさは、とてつもなく大きい。



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「ジャン、きっとこの絵に触れた人に何か起こるんだわ。」

「・・・危険です。」

ジャンは私が言いたいことが分かったのか、先の先まで読んだ短い返事を返した。

「でもエクソシストの私が触った方が一番、害がないと思うのよ。」

そういうと、もっともだと思ったのか、ジャンは沈黙した。

数日間ジャンと私は絵の前で監視体制を敷いた。昼夜関係なく交代制である。しかし絵は一向に変化を見せる様子はなかった。

そこで改めて家の奥さんに絵について尋ねたのである。すると奥さんは絵を一度も触っていないことが発覚した。絵は主人が一度触れたときから触ってはいけないと言い渡されていたらしく、手入れは主人が自分でしていたようだ。奥さんには部屋にさえあまり近寄らせなかったという。他の絵画に関してはそのように厳しくなく、むしろ他は奥さんが手入れを行っていた。

このことから、私もジャンも、触れると何か変化が起こると気が付いたのであるが、私が触ると言い出すと、明らかにジャンが纏う雰囲気が最悪になるのである。
しかし私の言い分を正しいと思ったらしいジャンは黙っているので、話を進めることにした。

「そうするけど、いい?いいなら頷いて。」

ジャンがゆっくりと頷く。私はそれを見届けてからすぐさま絵に触れた。

「なっ。」

ジャンが驚きの声を上げる。その声に聴きおぼえがあって、私は首をかしげる。

「もしかして私たち、以前にあったことが、」

その時だった。
絵が急に光りはじめ、部屋中に光のしずくのようなものが飛散し始めた。それらは自らの意思を持っているかのようにそれぞれ自分のあるべきところへと集まっていく。

ある光は人の形を、ある光はキャンバスのような形へとなっていく。
それらが正しく形をかたどったとき、一瞬にしてすべてが色づいた。

「あ・・・」

神田と、私が描いた絵。まだそこには布がかけられていて、絵を見ることはできない。
私は吸い寄せられるようにそこへ歩み寄った。
神田がこちらを向く。それから、何かを言ったあとにゆっくりと布に手をかける。私はうれしくて何度もうなずいた。早く布を取って、私の絵を見てほしかった。

布が取り払われる。私は神田の表情をじっと見つめる。彼の最初の反応が見たくて、目を凝らす。

しかし。急にすべてが光にもどって消え去った。気が付けば、私の肩に誰かの手が乗っている。ジャンだ。今までずっと意識にすらなかった人物が、急に浮上して、じわじわと私の頭に認識されていった。
ジャンの顔はやはり見えない。けれど彼が、この先を私に見せまいとして肩に手を置いたのだということは分かった。

「ど、して・・・」

虚無が私に襲い掛かる。私はジャンの手を弱々しい手つきで払いながら、言葉をつづける。

「どうして、止めたの。」

虚無が私の脳内を占めたとき、次に湧き上がってきたのは哀しみだった。私の望み。私が私であるために必要なこと。それを打ち砕かれた哀しみ。
私はジャンの胸にこぶしを押し付ける。何度も、何度も押し付けた。やり場のない哀しみにどう向き合えばいいのかわからなくて、ジャンに八つ当たりした。

「・・・あれは所詮、願望だ。」

聞きなれた声が、上から降ってきた。
私ははっとして、上を見上げる。自分よりも背の高いジャンは、いつの間にかフードも首に巻いた布も取り払って、自分の姿をさらしていた。

「神田・・・」

ぽたりと落ちた涙は、先ほどまでの哀しみを吸い取って、私に驚きを残した。








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