まちぼうけのひび
仕上がった絵は、満足のできるものになった。
花びらが散り、風の道を進む姿が脳裏に浮かぶ。あの瞬間の命の輝きには劣るけれど、私の目指す絵に近づいていた。少し心配なのは、私が感じた感動がほかの人に伝わるかどうかだ。
その第一号が神田がいいと思っている。いつもはリナリーとかアレンとかが絵ができたことをどこからか聞きつけて喜んで見に来てくれるけれど、今回は最初は神田がいい。あの瞬間を少しだけでも共有した人だから。
早速私は神田の部屋へと向かった。
「かんだー、いる?」
ドアをノックして、呼びかけてみる。だが応答がない。任務ではないよなと思いつつ手元の懐中時計をみるとお昼だった。気づくと胃が悲しげに鳴いた。そういえば、絵を描き始めてからろくなものを食べていなかった。たまにアレンあたりが差し入れてくれたサンドイッチを適当にほおばったりはしていたけれど、何も食べない日もあった気がする。絵も描き終わったことだし、パーッと食べよう。私は神田を探しがてら食堂へと向かった。
「あ、なまえ!!」
食堂へと行くと、私をいち早く見つけたのはアレンだった。
「絵、描き終わったんですね。」
「あ、うん。」
げっ、ばれた。と思いながらも顔には出さない。
「見に行ってもいいですか?」
「ごめんね。今回は一番に見せたい人がいるの。それからでいいかしら。」
「わかりました。残念ですけどね。」
思いのほかあっさりした返答をいただけてほっと胸をなでおろす。
「じゃあねアレン。」
ひらひらと手を振って、アレンのもとから離れた。
神田は食堂の端あたりにいた。相変わらず蕎麦をすすっている。
「神田。」
声をかけるとちらりと視線だけを神田は向け、蕎麦へとまた戻す。あいさつがないのはいつものことだけれど、時々思う。私、神田より7歳も年上なんですけれど。日本人って年上とか重んじるんじゃなかったっけ。
うーん、と心の中でうなりながら向かいの席に腰を下ろす。
「・・・絵、できたんだな。」
ここでも簡単にばれた。
「うん、できたの。神田に一番に見せたくて。」
私は笑顔で言った。神田は無言で蕎麦を食べている。私もジェリーさんの作ったオムライスをほお張った。
食べている間中、私たちの間には一言の会話もなかった。私は伝えたいことは伝えたのでほかに話すこともなかったし、神田は私に対してあまり何かいうということがない。無口というわけではないのだけれど。私と神田は基本、あまりくだらない話をしない気がする。ほんの少しの言葉だけで大体のことが分かる気がするのだ。マリと神田はよく話している印象があるけれど、マリと神田と、私と神田とでは違う信頼関係が築かれているのだろう。
いろいろ考えながら食べている間に、神田は蕎麦のおかわりを食べ始め(さすが育ち盛り)、私はオムライスを食べ終えた。
「じゃあ、見にきたいときにきてね。それまでは誰にも見せないから。」
席を立つときに神田に言い置いて、私は自室へと戻った。
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しかし神田は、一向に見に来なかった。その気配すらない。
絵が出来上がってから五日がたつ。遅くても一日くらいだろうと予想していた私にとって五日という期間はだいぶこたえた。その五日の間にアレンやリナリー、ファインダーたちや科学班などから絵の公開を何度も迫られた。いちいちごめんねと謝っていくのにも疲れた。
なぜ、神田は来ないのだろう。見たいといってくれたのに。私は部屋のベッドに横になって考えていた。
アトリエのような部屋には私のベッドと机くらいしか家具らしい家具はなくて、いつも私は何かを考えるときはベッドで横になっていた。自分が絵の具で汚れていようといまいと関係なく寝転がっているおかげで、布団はいつも絵の具がついたりしてしまっている。総合管理班からはよく怒られているけれど、ついついやってしまうことだった。
この汚い部屋を訪れるのは大抵完成した絵を見に来る人たちだ。私がいいよといって扉を開けば彼らは嬉々として中へ入って見飽きるまで絵を見続けてくれた。その光景が思い浮かぶ。あの時初めて私は自分と自分の絵が周囲に認められた気がするのだ。そういえば神田は一度もこの部屋を訪れたことはなかった。今まで一度も私が描いた絵は見たことがないはずだ。完成させてしばらく公開したあと、あの絵は売り払われていく。おいておくのも荷物になってしまうので、それくらいだったら売りたいと私が言い出した。売ったお金は教団が活動するための資金にされたり、部屋の修繕費に当てられたりする。だから私が公開しているときだけしか絵を見る機会はない。だから神田は一度も絵を見たことがないのだ。
そう考えると、今まで彼は私の絵に興味なんてなかったのだということに気がつく。ならどうして急に見たいと言い出したのだろう。なぜすぐに見に来てくれないのだろう。はじめは興味があったけれどもう興味をなくしてしまったのだろうか。それならそうといってくれればいいのに。いつもは言いたいことを言うくせに、こんなときは何も言ってくれないなんて少し意地悪だ。
悶々と、神田のことを待つ日は続いた。その間の一日一日は長くて退屈だった。
絵が完成して一週間過ぎ、二週間まで過ぎた。一向に神田は絵を見にこない。
「ねえ、いつになったら絵を見せてくれるの?」
二週間目の日に、食堂でリナリーとちょうど出くわし一緒にご飯を食べていたときのことだ。彼女は私の描いた絵をいたく気に入ってくれていて私とリナリーの間でよく上る話は絵の話ばっかりだ。
「それがね、まだ分からないの。一番に見せたいと思っている人がなかなか見に来てくれなくて。いつでも見に来ていいっていった手前、催促しづらいし。」
私は申し訳なく答える。思わず最後にはため息すら漏れた。
「それ、だれ?私が催促しましょうか。」
「それはいいよ!なんか悪いし。」
「そう?」
「うん。」
私は苦笑した。
「下手したら一年くらいかかるかもね。」
冗談交じり、もしかしたらそうなるんじゃないかと思って言った言葉は思いのほか自分自身にダメージを与えた。
「その間何も描かないの?」
「うん・・・何もかけないの。どうしても集中できなくて。」
「そう・・・」
重苦しい雰囲気が漂い始める。リナリーの残念そうな雰囲気が重荷になろうとしていた。
そのときだった。
「わぁ!!」
男性の声と同時にばさばさばさっ、と紙が散らばる音がした。見てみればジョニーさんがしわくちゃの黄ばんだ紙を拾い集めている。
「リナリー、行こう。」
「ええ。」
私はジョニーさんのお手伝いをしに向かった。
「ジョニーさん手伝います。」
「あ、ありがと。」
紙類を拾っていく。どれも重要なもののようで、右上に重要というマークがついていた。
「なんです、この紙。コムイさんのはんこもらいに行くんですか?」
「いや、そうじゃなくて、これは焼却するやつなんだ。もういらないんだけど普通に捨てて外部に情報が漏れたら困るから。」
「へぇ・・・」
焼却、か。私は心の中でつぶやいた。持っている紙と関連して燃えそうなものがひとつ思い浮かぶ。あの絵のことだ。
――もし神田が見てくれなかったら、そのときは焼却してしまおうか。
そんな過激なことを考え、気づけばひどく胸が締め付けられる感触がした。
私の心の結晶でもある絵を焼き捨てるということは、自分で考えておきながら残酷な考え方だった。その行為は極端な話、私の心を壊死させることだってできるというのに。
けれど、一番に見せたいと思っている人がいるのに、売りに出したり、誰かに見せたりしたくはない。それならばいっそのこと誰の眼にも触れぬよう燃やしてしまうのが最上だと思ったのも確かだ。
焼却される予定の紙類を拾い、集める作業を繰り返しながらあの絵のことを考えた。自分の心の一部を削りだして描いた、あの一枚の絵を。もしかすると誰の眼にも触れず、灰になるかもしれないことを想像して。
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翌日の早朝、ノックの音に飛び起きて、嬉々としてドアを開けるとそこにいたのはリーバー班長だった。
「朝はやくからごめんな。急ぎの任務なんだ。朝食も含めて30分で用意して司令室に来てくれ。」
「・・・分かりました。」
じゃあ、といってドアを閉める。はぁぁぁぁ、と深いため息がでた。肺の中にある息をすべて吐き出して窒息してしまうんじゃないかってくらい。
私は早朝特有の静けさと肌寒さに身を震わせてから身支度を始めた。
まちぼうけのひび